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顕微授精してまで子供がほしいのか?

人生白黒決められないことの方が多い。冷静で元気な時は"最善"を選んで踏ん張れるが、心で悩んで、体が疲れていれば、最小の動きを選びたくもなる。ただ、上がったり下がったりしながらでいいから、自分の納得いく道を選ぶことは諦めないようにしたい。


顕微授精を検討するにあたり、クリニックを変えた。私が通っている医院もけして悪くはなかったが、医師と信頼関係を築くのが難しかった。真面目で治療や技術に関して詳しい先生だった。話のテンポも合う。でも、いつもほんの少しだけ言葉足らずな印象を受けて、なんとなくぼんやり不安を残したまま医院を後にしていた。積み重なった気持ちが「別のクリニックも見てみたい」という気持ちに繋がった。

転院先の先生は、前のクリニックの先生よりも社交的そうだった。前の先生同様知識が豊富で、治療のスピード感も早い。話すスピードまでも風のように早く、このクリニックが繁盛していて、とても忙しいことがひしひし伝わってきた。とはいえ内診は丁寧で、待ち時間もそこまで長くなかったので、まあいいかという感じでぬるっと転院した。


疲れた。率直な感想として、帰りの電車は疲れていた。今までの治療経緯を説明して、新しい受付システムを理解しようと努め、行きなれない道を右往左往した。雨こそ降らないものの、急に蒸し暑くなった外気も体を怠くしていた。夫は一緒に初診を受けたが、再度検査に2万とか3万とかお金がかかることを憤っていた。彼なりに、私の治療に今後影響するといけないから、という想いで抑えようとしてはくれていたが、それでも不快感はにじみ出ていた。
夫は私を直接責めていなかった。帰りの電車に乗り込んだ後も、1つ空いた席を私に譲ってくれた。ありがとう、と顔をあげると彼は無言で頷いて、押し込むようにイヤホンを耳につけた。私は視線を落として、自分を静かに責めた。

次の予約を入れるために予約サイトを開いて、人気のクリニックゆえに昼間のど真ん中に予約を入れざるを得ないことを知った。なんとなくそうかもなとは感じていた。だが、本当にそうなんだなと目をつむった。今の仕事に、悪い影響がないといいな。上司とチームに、なんて説明しようかな。体、もつのかな。

二人とも余裕がなかった。帰宅後は、どちらともなく険悪だったし、互いに背中を向けて眠った。蒸し暑い夜だった。




一夜明けて、私は夫のそばに横たわりながら気持ちを伝えることにした。川の字になり、見慣れた天井を見上げながらとつとつと話した。治療を通じてあなたを不快にさせることに対する苦しさ。より強くなる薬の影響や、仕事のやりくりへの不安。新しいクリニックと治療への緊張。それから、今の生活がいかに穏やかで、幸せか。二人で過ごすことの豊かさや、心のゆとりと健康について。

「わたし、正直さ、なんでそこまでして授からないといけないのか、分からなくなってきたんだ。」
気づけばそのまま泣いていた。夫は私を抱きしめて、ごめんね、と呟いた。昨晩、内省していたのは私だけではなかったらしい。彼は、口では君に寄り添うようにふるまえたけど、心では面倒だと感じていたと正直に話してくれた。本当は面倒だと感じていたがゆえに、転院や再検査などに必要以上に苛立ちをぶつけていて、薬や通院、仕事の負担がかかるのは君なのに、自分事にできていなかった。子供だった、ごめんね、と、丁寧に謝ってくれた。

「一緒に納得いくまで頑張ろう。ちゃんと支えるし協力するよ。覚悟はできた」


私は、ほ、とため息をついた。張りつめていた心がゆるんだ気がした。ずっと一人で頑張っているような気持だったのだな、とその時初めて自覚した。きっとうまくやれる、そんな勇気が出てくる気がした。


大丈夫、この人となら、必ず人生を豊かに歩める。どっちの未来でも、納得のいく選択ができる。そんな風に思えること自体、とても幸せなことだ。

顕微授精をしてまで云々は、単純に負担を比較できるものでものない。そこに答えは無い。単に私たちは、納得のいく選択がしたいだけなのだ。最善を尽くし、納得したいから、治療を続けるのだ。自分たちの気持ちに、何より自分たちの人生に一つずつ納得するために、今治療を受けることを、誰からの指示でもなく、まごうことなき自分たちで選択しているのだ。


おわり




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