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何者にもなれなくて辛いんだ。でも諦めて幸せになるのはいつでもできるから、もうちょっとだけ頑張るんだろう。

今日の話は私自身に贈る。いつも自分に向けて話してはいるけれど、今日はちょっと特別に私に向けた話。

先日、うまくやれると思って結構な大金(50万弱)を投じて取り組み始めて3か月ほどたっていたネタが、取りやめになった。いや、こうなるのは時間の問題だったかもしれない。始める前から心のどこかで、売り物としてのこいつに自信がなかった。そしてこれを買う人を想像して、馬鹿にしていた。人を助けるようなものでなく、自分が楽しいようなものでもなく、ただ得意で、そして弱者から搾取するだけのもののように感じていた。

始めた時は新しい部屋に飛び込んだような高揚感があった。変化に耐えきれなかったことがショックだった。何よりも、取りやめた挫折感から自信を失っていた。勇気を振り絞って3日3晩悪夢を見ながら苦しんで取った選択だったのに、たった3か月で元の自分に戻ってきてしまったことが本当にショックだった。普段たいていのことでは落ち込まない私が、2週間ほどへこんだ。ここ数日のノートも”荒れまくり”である。「失敗なんかない、できない方法を見つけただけだ」と偉い人は言うけれど、どうしたってやっぱ、へこむものはへこむのである。


「答えがほしいよう」と恋人に泣きついた。私の弱音をほぼほぼ聞いたことが無い彼は、どうしたらいいかよくわからなそうに眼と口をすぼめ、肩を落としてしゅんとしていた。彼は私が落ち込むと、大抵一緒にしゅんとする。

私はつづける。「私は何者にもなれない。私ができることなんて誰でもできる。無価値だ」と泣きながら苦々しく絞り出した。そのまましばらく電話口でずりずりと鼻をすすっていると彼は徐々に険しい顔になってきて、ぶっきらぼうに言った。「僕は君が努力家で、熱心で、君にしかないものがいっぱいあるって信じてる。だからそんな風に言われるとすごくイライラする。たかだか25歳でしょ。なんだよ」。そういってお風呂に入ってくる、と挨拶も手短に電話を切った。


次の日も、その次の日も、彼は「おつかれ。元気?」と聞いてきた。私は次の日も、次の次の日も「うーん、まだだめ。」と答えた。彼は困り眉をしながらそっか、と答えて、今日あった他愛のない話をし始める。そんな彼に私の気持ちを分かってほしくて癇癪を起しそうになりながらも、さすがに申し訳ないと思い口を結ぶ日々が続いた。そして仕事もずる休みをして、ご飯もお菓子で済ませて、進退窮まったなと思った頃、ふと手に取った雑誌に書いてある一文が目に留まった。「何者にもなれないという執着を手放したら幸せになれた」みたいな話だったと思う。あまりよく思い出せない。

ああそうだな、と納得した。荒れているときの記事にもはっきりと書いている。そうなのだ。前にも進まず、後ろにも下がらず、今のこの場所が本当に幸せで、むしろ何の変化も望んでいないのだ。この生活を守るために懸命になっているのだ。


私は、ここに気持ちを置いておこうと思う。

何者かになるのを、私は諦めたくない。もしかしたら今の方法は間違っているかもしれないし、自分は才能がないことに対して懸命になろうとしているのかもしれないし、間違った努力をして結局何にもなれずにおばあちゃんになるのかもしれない。でも、諦めればいつでも幸せになれるのだ。私には幸せな場所がすぐ手の届く場所にあるのだ。


だからこそ諦めない。諦めたらすぐに手に入る幸せな場所をお守りにして、私はサバイブする。何にもなれていない間はそりゃあ辛い。弱くてみじめで地味でダサい。足りないものに目を向け続ける時間は永遠に辛くてたまらない。


何回も止まって、でも、まだもう少し。あともうちょっとやれる。今の私はまだ限界じゃない。歩き出せ私。私がついてる。





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