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「お前は侍の子孫だから、他人の模範となるように振る舞え。」
睦合に暮らしていた幼少の頃、祖父の口から上記の言葉を伝えられた事がある。子供の時分は、流石に今の様に捻くれてもいない為、厳しい躾にも耐え、素直に祖父母に従い、中学に上がるまで生真面目に過ごしていたのであるが、その内、祖父の祖父、土屋家初代が少年期に、幕末から明治に至るまでの著しい世相の変化に不安を抱き、酒と博打に逃げて離婚を経験したと言う逸話を知り、加えて、実家には裃や刀のような武士階級を象徴するような物証がない事から、徐々に、本当に侍の子孫なのかと疑問を抱くようになってゆく。そうして、数年前、ふと気になって実家の戸籍を取り寄せた所、案の定というのか、私の家は明治二十年代の後半に分家した平民の家系であり、近隣の家庭と変わらず単なる一農家に過ぎず、幼少期に祖父より伝えられた侍の末裔であると言う話が、子供を躾ける為の方便、端的に言えば嘘である事が判明した。今思うと、恐らくではあるが、初代が節制に努めず、まだ家制度の時代に諸々の騒動を起こした事への戒めとして、私に侍の様に真面目に生きる様に仕向けていたのであろう。
家庭での躾について、平成の時代を迎えて尚、農家ではあったものの、起床と就寝の時間は厳格で、毎朝仏壇にお供えをし、テレビやラジオは専らNHKのみという環境で育ったが、そうした生活を送ったせいか、やがて他人から士族の末裔と誤認され、おまけに、NHKの放送で学んだが為に、秋田の農村出身にも拘らず、言葉遣いが標準語となった故、高校の頃、音楽教師から妙に都会的と評されるようになった。尤も、これによって得をするかと言うと必ずしもそうではなく、「侍もどき」は田舎のムラ社会では暮らし辛いだけであり、結局、都市へ移って会社を転々としながら食つなぐ日々を送っている。外資系企業に勤めている関係もあり度々、無職の状態にはなるが、或る意味で、仕えるべき主君を失った浪人と同じ状況に置かれてもいると言っても良かろう。
田舎の老人の考えた、こうした子供の躾け方、平時はともかく、世界規模のパンデミックと日本国内での政治経済の変転を経験した激動の令和時代を生きるに当たっては一助となったよう思う。

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