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人間のさまざまな「生息世界」!?

 先週1週間、(a)先生たちの研修会、(b​)教材制作、(c)公開セミナー、のために、インドネシア・ジャカルタの協定大学のDP大学に行っていました。そのときの奇妙な感覚の話。
 インドネシアは、45年ぶりの2回目です。「45年ぶり」というのは、45年前の学生時代に大学の交流プログラムで1か月ほど来たことがある。「2回目」というのは、去年の12月に続いて2回目です。
 出発前にするべき仕事をバタバタと片づけて、前の夜に朝一6時のタクシーを予約して。9月11日(月)は、タクシー→最寄り駅から広島空港までバス→広島→羽田→ジャカルタ、という旅程。スカルノ・ハッタ国際空港に4時に到着で、空港を出たのは6時すぎ。空港にはDP大学の国際交流課のTさん(日本の方)が迎えに来てくれた。ほぼ7時ごろにSくん(大学のドライバー)が運転する大学の車にTさんとともに乗って、ホテルへ。着いたのはほぼ9時。 Tさんといっしょに夕飯をして、11時ごろにホテルの部屋に帰着。これで、この日は、終わり。
 翌日12日から15日までは、毎日Sくんがホテルまで送迎してくれて(ホテル⇔大学は約30分)、9時ー5時出勤! この5日間は、(a)と(b​)の仕事。そして、16日(土)は、公開セミナー。ジャカルタ周辺の大学、中高などの日本語の先生たち約80人の参加があった。そして、同日の夜の21:25の飛行機で帰国。羽田から逆ルートで帰宅。
 この1週間の経験は、何だか奇妙な感覚の経験でした。わたしという人間の1週間がすっぽりとJapanから引き抜かれて、スポッとジャカルタにはめ込まれた感じ。そして、こちらの大学に9時ー5時出勤。何だか、いきなりの「日常」でした。その一方で、車での出退勤はこれも何だか落ち着かない経験。日本では、公共交通機関を使って「自力」で移動ができるのに、この国では、特に今回の「短期ゲスト」のような状態では、「自力移動」はむずかしい。こちらの人は、女性でもオジェックというタクシーバイク(要は、バイクの後ろに乗せてもらう!)で登校・出勤したりするが、オジェックでの30分の移動は「短期ゲスト」としてはちょっとつらい。
 こんな経験をして思ったこと。
 現象学で、生活世界(Lebenswelt)という概念があります。Lebensweltは、生活世界と言うより、生きることの世界ですね。今回の経験で、このLebensweltというのは、人としての生息世界、あるいは文化的生息世界と呼んだほうがいいのではないか、と。
 日本で暮らしているときは、何をするにしても簡単にできた。しかし、ジャカルタという彼の地の文化的生息世界は、異文化的生息世界で、あらゆることで「勝手が違う」。だから、あらゆる場面で助けを求めずにはやっていけない。もちろん、「冒険心」を発揮して「冒険」することはできますが。
 それで、思い出したのは、約1年半前に広島大に赴任してきた当初のこと。大学でのお仕事は「類似」なので「生息世界」苦労はあまりなかった。具体的な人間関係を結びさえすればOKでした。苦労したのは、こちらでの生活です。当初1年間は、大学の南の外れの宿舎にいて、そこからいろいろな店がある街まで歩いて30分という状況で生活していたので、生活のコーディネーションと運営がとてもたいへんでした。しかし、「勝って」は分かるので、何とかできる。また、1年後には街側にある宿舎に引っ越し、この新しい宿舎の周りには生活関連の店等が普通にあるので、とても「普通に」生活ができて、すぐに快適な「生活環境」を得られた。まあ、この「生活環境」というのも、「生息世界」の一部ではある。
 ジャカルタでの奇妙な経験は、(b​)の教材制作のチームでの仕事です。DP大学での仕事が始まったその日に、もう「仕事的生息世界」ができあがりました。本当に、「即日」、「即座」でした。教材制作のチームは、学科長のA先生、副学科長のH先生、そしてO先生、R先生、AS先生、ハユン先生とわたしでした。わたしがチームリーダーで、すぐに仕事の内容と要領が確認され、すぐに作業がスタートしました。そして、この日以降、9時ー5時出勤で、夜は少々翌日の準備、という生活でした。そして、出勤中は、(b​)の仕事と並行して、(a)の仕事。「仕事的生息世界」がいきなり始まり、5日間続きました。5日目の終わりには「同僚」のような感覚になりました。「仕事的な生息世界」の共有!?
 旅行中や滞在中も家族とはラインで「いつも通り」やり取りしていました。この部分の「生息世界」はずっと維持されていました。日本の「仕事的生息世界」との連絡も一定程度はとっていましたので、この「生息世界」も維持。
 そして、今、広島に戻ってきて、その日からこちらの「生息世界」が復活しました。そして、今日は帰国後初出勤で、慣れ親しんだ大学までの道、キャンパス内の道、いつもの建物、そして、いつもの廊下、研究室、事務室。そして、いつもの同僚の先生たち、そしてスタッフ。「帰ってきました!」「おつかれさまでーす」から始まって彼の地での生活やお仕事のことを少し話した。いつもの広島での「生息世界」の再開です。
 今週末には、香川で学会があり、講演するのと、友人との会もあります。その後には、大阪にいる家族、東京にいる家族とのラインでない「生息世界」も予定されています。
 わたしたちは、空間を超えた「生息世界」、幾種類もの「生息世界」で生きることを営んでいて、そんないろいろな「生息世界」で生きることを営んで、各々の人はそれぞれの「生息世界」でそれとして認められて生きている。それが、現代社会で生きるわたしたちの生き方の様態なのだなあ、不思議なものだなあと感じました。
 ああ、そして、重要なこと。フワフワ感!? 浮遊感!? このフワフワ感は、何? それは、わたしの「生息世界」が、土地あるいは場所に根ざしていないことです。現代社会に生きるわたしたちは、みんな、大阪から少なかれ「根無し草」なのです。

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