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第9回「三谷幸喜が観た植木等 in CHICAGO」

三谷幸喜さんが代表作を自ら初演出した「笑の大学」が2023年2〜3月、東京PARCO劇場で四半世紀ぶりに上演されました。これは、昭和15年の東京を舞台に、笑いをめぐり対立する検閲官と浅草の劇団「笑の大学」座付作家との攻防を描いた傑作コメディーです。劇団の座長が場違いのシチュエーションで舞台に登場した時の決めゼリフを作家が言わされるのですが、なんと「さるまた失敬!」。これは、植木等さんの「お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました!」を彷彿とさせます。

三谷幸喜さんは、朝日新聞でコラム「ありふれた生活」を連載中、朝日出版で本にもなっていますが、これまで3回、植木等さんのことを取り上げています。

最初は、植木さんが亡くなった直後、2007年の4月、タイトルは「代わりいない"無責任男"」。内容を抜粋して紹介します。
僕に取っては少年時代のアイドルである。年齢的には、いわゆるクレイジーキャッツ世代は僕より上の人たちなのだが、ませた少年だったので、小学校の頃から親戚に連れられてクレイジーの映画は欠かさず観に行っていたし、「シャボン玉ホリデー」もリアルタイムで観ていた。クレイジーには、大好きなアメリカ映画に通じる洒落っ気があった。そしてその中心に植木さんがいた。
まだ六歳か七歳の頃、既に猛烈な植木ファンであった僕のために、叔父が植木さんの自宅に電話をかけてくれたのだ。今では信じられないことだが、当時は電話帳に芸能人の自宅が普通に掲載されていた。当然ながらこっちはかなりの緊張状態。受話器を握りしめた手が震えたのを覚えている。「植木さんはいらっしゃいますか」という僕の質問に、電話口に出た女性は「植木は出掛けて、おりません」と答えた。もちろん外出中で留守ということなのだが、当時の僕にはそれが理解できず、「出掛けていないんだったら、植木さんと代わってください」と粘った。「ですから植木は出掛けて、いないんです」「だから出掛けていないんなら、代わってください」。かなり不条理なやりとりが延々と続き、結局、その女性は電話を切ってしまった。どこかの子供のいたずら電話と思ったのだろう。
今、「無責任シリーズ」を観ると、植木さんの放つ破天荒なバイタリティーに唖然となる。あまりにシュール、あまりにドライ。哀愁やペーソスといった日本人好みの要素を完全否定、そこには観客の感情移入を拒否したかのような、凄みさえ感じる。空前絶後。唯一無二。どんな言葉も彼の前では、大げさに感じられることがない。

1983年10月28日、新宿のシアター・アプル11、12月公演、昭和58年度文化庁芸術祭参加「シカゴ」が開演しました。ブロードウェイで人気のミュージカル・ヴォードビル「CHICAGO」の日本初演。キャストは、スター願望に取りつかれたロクシー・ハートに草笛光子さん、刑務所に収容されている殺人犯ヴェルマ・ケリーに宝塚出身の上月晃さん、映画版シカゴでリチャード・ギアが演じたいかがわしい弁護士ビリー・フリンに植木等さん。演出は、日本テレビで「光子の窓」「11PM」「ゲバゲバ90分」を制作・演出した井原高忠さん、音楽監督は、越路吹雪さんのご主人でもある内藤法美さん、振付・演出は本場ブロードウェイからジーン・フットさんという強力な布陣です。後に、大地真央さんと植木等さん出演のミュージカル「エニシング・ゴーズ」を演出した宮本亜門さんがこの時は、ダンサーとして参加されていたそうです。

この公演は評判を呼び、草笛光子さんが芸術祭優秀賞を受賞、ミュージカル初出演の植木さんのこの舞台を鬼平犯科帳などの小説家で映画・演劇に造詣の深い池波正太郎さんが当時、コラムで絶賛していたのを思い出します。

三谷幸喜さんも、この舞台を観ておられたようで「ありふれた生活」の2008年11月のコラム「そうか、これはショーなのだ」で、次のような感想を書いておられます。
僕はこの「CHICAGO」の日本版初演を大学生の時に観ている。ただその時は、ピンと来なかった。もちろん音楽は素敵だし、役者さんも魅力的なんだけど、ストーリーが胸に迫って来ないのだ。だが、僕も大人になり、ようやくこの「CHICAGO」の面白さがわかってきたような気がする。ストーリーなんてどうでもいいのだ。笑いと音楽と、猥雑さに満ち溢れたショー。そこには感動の入る余地などどこにもない。


植木さんの最初の登場シーンは、今も鮮烈に目に焼きついている。バシッとスーツで決めた植木さんが超二枚目風に現れ、シシシシシとあの独特の笑いを見せると、お客さんからは大きな拍手が起こった。はっきり言って、それはプロードウェイミュージカルではなく、植木等ショーとでも言うべき瞬間だった。
その後も、「プロードウェイなんてくそくらえ、ボブ・フォッシー(CHICAGO初演の演出・振付師)なんてしらねえ。俺は俺だ」みたいなオーラを撒き散らす植木さんは、プロードウェイそのものを植木色に染めてしまうほどの、力強さに溢れていた。「CHICAGO」を一夜限りのお楽しみショーとして考えれば、出てきただけでお客さんの心を掴んだ植木さんは、破天荒ではあったが、ある意味、最高のビリー・フリン役者だったような気がする。

三谷さんは、2015年4月、連載中の「ありふれた生活」の「ミュージカル映画」というタイトルのコラムの中で、次のように書いておられます。
「サウンド・オブ・ミュージック」の完成度の高さには、ため息が出る。「七人の愚連隊」の力の抜けた感じもいい。最近でいえばロブ・マーシャル監督の「シカゴ」と「NINE」だろう。どのナンバーも、何度も何度も観返したくなる。
邦画のミュージカルには、残念ながら僕の趣味に合うものは見つからなかった。一番理想に近かったのは、ミュージカルではないが、「無責任シリーズ」の植木等さんが歌い踊るシーンだ。眺めているだけで幸せな気分になる。

クレイジー映画は、一種のミュージカル映画とも言えますが、植木さんのミュージカルでの舞台出演が「CHICAGO」と「エニシング・ゴーズ」だけだったのは、惜しい気がします。
三谷さんは、最初に紹介した植木さん追悼のコラムの中で、「大人になり、今の仕事をするようになってからも、植木さんとはぜひ一度お仕事をさせて欲しいと、ずっと思っていた。結局は、それはかなうことなく、植木さんは旅立ってしまった」と書いておられますが、クレイジーファンとしては、植木さんと三谷さんのコラボ作品、観てみたかったです。

#三谷幸喜

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