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【diary 23】2023/08/15(火)

今日はお盆の帰省ラッシュで道路もレストランも人で溢れかえり、何をするにも順番待ち。そのイライラからか、あろうことか家族に当たってしまいました。

人間関係の中で最も重要なものの一つが、家族との関係です。しかし、この価値ある絆を築く道のりも、僕にとっては必ずしも平易ではありません。これまでも怒りの感情によって家庭内のコミュニケーションが難航することがしばしばありました。

僕のイライラや怒りはどこからくるのか。分析した結果、僕は他人への期待値が高すぎるのかもしれない、と思いました。

例えば、満員電車に乗ったとします。僕のいるドア付近はぎゅうぎゅう詰めです。しかし車両の奥の方は比較的空いていて、そこには我関せずとばかりに自身の前方に広くスペースを確保してスマホを見つめる人々。そこで「人々は周りに対して配慮するもの」という期待を裏切られた僕の怒髪が天を衝く、とかそんな感じです。

気にしなければよいのです。成田悠輔という人物が「心の中で他人を見下している」「他人の行動や反応を昆虫観察をするように客観視している」というようなニュアンスのことを述べていました。防衛機制の一つなのではないかと思います。そのような心持ちでいられれば、上述のような所謂怒りの起点にいちいち反応することなく、誰にも同じように接する聖人君子のようになれるかもしれません(少なくとも外見上は)。

彼の境地にはたどり着けそうにありませんが、近似解のようなものを見出しました。怒りの起点に遭遇した際に、「仕方ない、残念な人なのだから」と心で唱えるのです。なかなか問題のある呪文かもしれませんが、これが心のクッションとして機能し、怒りを抑え、冷静で適切な反応を促す役割を果たせるようなのです。

chatGPTに意見を聞いたところ、「性根が腐ってますね」を百倍薄めたような表現で「上から目線だ、よくない」と反論をされたました。しかし何度か問答を続けるうちに「重要なことは、これが一時的な工夫であり、最終的な目標が相手への理解や共感であるという意識を持ち続けることだと思います」といわれました。匙を投げられた感はありますが、心の平静を保ち、結果として周りと良い関係を築くための一つのステップとしてはアリとみなされたようです。

人と人との関係は、複雑で微細なものです。その中での自己の特性・位置を理解し、感情をコントロールしようとする努力は、富んだ人間関係と豊かな人生へとつながるはず。そう思いながらこれからも試行錯誤を続けていきたいと思います。

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