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【音楽と脳科学02】オペラやバレエを鑑賞するときの脳

前回は、音以外から伝わる音楽を少しご紹介しました。人間は聴覚だけではなく、五感をフルに利用して音楽を感じているのではないか、という仮説が出ました。
そこで今回は視覚に着目してみたいと思います。

”見る”ということを伴うと、音楽はどのように脳で処理されるのでしょうか?
視覚を同時に刺激される音楽鑑賞のあいだ脳の活動はどうなっているか?
みていきたいと思います。


"見る"を伴う音楽鑑賞

オペラやバレエは、見るという行為が伴う音楽鑑賞ですよね。
中学生の頃に音楽の先生が見せてくれたバレエのビデオの映像が焼き付いて離れません。クラスのみんなで衝撃を受けた気がします。
それが、ジョルジュ・ドンというバレエダンサーによる「ボレロ」の踊りです。
独特な振り付けで一度見たら忘れられません。真似せずにはいられず、見ているだけで自分の体が動き出すようです。クラスのみんなでこぞって真似した記憶があります。

誰しも音楽を聴いて体が動く感覚を味わったことがあるのではないでしょうか。ロックを聴きながら体がリズムに乗ったりバラードを聴きながら体を揺らしたり、音楽が体の動きを促しているかのような感覚を味わうのが好きという方も多いと思います。
バレエの場合、”見る”ことによって視覚情報がこちらにまで伝わってきます。人間の動きを極限まで研ぎ澄ますとこんな動きになるのか!という、素人にはとても真似できない動きと感じるにも関わらず、ちょっと自分でその動きを試したくなるような、そんな不思議な感覚を覚えます。

スポーツにおいても見て真似ることで動きを習得したりしますけど、見ることと実際に体を動かすことはどんな関連があるのでしょうか。ここで、神経科学の中でも非常に面白い発見をご紹介したいと思います。

ミラーニューロン

イタリアの神経生理学者のGiacomo Rizzolatti (リッツォラッティ)博士は1996年、20世紀末の神経科学における重要発見と言われる論文を発表します。それが「ミラーニューロン」についてです。

Rizzolatti 博士はサルの脳に電極を刺し、運動中の脳の活動を調べる実験をしていました。
サルに手でエサを掴ませて脳の反応を測定する実験がひとしきり終わった後で、休み時間中にもサルの脳が活動していることを偶然発見します。

原因を詳しく探ってみると、研究者がテーブルの上のエサを片付ける時に、それを見ているサルの神経細胞が活動していることがわかりました。この神経細胞の活動パターンは、サルが実験中に自分でものを掴むときのものとそっくりでした(1)。

つまり、自分で手を動かす時と、同じ動作をしている他者を見るだけでも、同じ神経回路が活動していることになります。見ているだけで自分が行う時とそっくり同じ反応を脳が示すわけです。
他者の行為を観察者の脳内に映し出している、とも言えることから、鏡写しという意味でこの神経細胞は「ミラー・ニューロン」と名付けられました。

ミラーニューロンによる共感

Rizzolatti博士はさらに研究を進めました。このミラーニューロンは単に見たもの(つまり視覚特性)に反応しているのか?という疑問でした。つまり、ある特定の動きを見た時に活動するだけなのか、あるいは、もっと複雑な処理の結果として活動が起こるのか。という疑問です。

そこで次に、物を掴む動作をあらかじめ見せてミラーニューロンの活動を確認した上で、今度は掴む動作の途中を隠してみました。それでも、やはりミラーニューロンは反応しました(2) 。
さらにはピーナッツの殻を剥く動作に反応するミラーニューロンは、殻を剥く音でも反応し、また「掴んだエサを自分の口に運ぶか容器に入れるか」という次の動作によっても反応性が変わるということが観察されました。
つまり、ミラーニューロンは単に視覚特性だけではなく、その行為の意図することや前後の流れを把握した上で活動していることが示唆されました。

このサルのミラーニューロンはある特定の脳の部位に存在していて、人間でも同じ役割を持つとされる近しい領域でまさにミラーニューロンのような活動を示す神経細胞があることが報告されています。
人間にもこのミラーニューロン、つまり他者の行為の観察において活動するニューロンが存在しているのです。

これは非常に面白い発見です。なぜなら、他者を見て自分もその立場になって感じ取る、というような「共感」をイメージさせる能力だからです。
実際に2009年の別のグループからの報告では、このミラーニューロンが存在する領域を損傷してしまった患者の認知機能を詳しく調べています。他人のいろいろな表情の顔写真を見てもらって、その写真の人の感情を推測してもらう、というような試験を行いました。その結果、他人の表情からの情動認識が障害されることがわかりました(3)。写真を見ただけでは怒っているのか喜んでいるのかわからなくなってしまったのです。

また、自閉症スペクトラム障害の中には真似するということが不得意であったり他人の表情を読み取るのが苦手だったりすることがありますが、このミラーニューロンがうまく働かないことが一つのメカニズムではないだろうか、という仮説も立てられています(4)。

他者を感じる

ここまででミラーニューロンは身体を動かす運動や、他者の感情への共感を司る可能性があることがわかりました。もちろんこれは観察することがベースの研究から得られた知見なので、懐疑的な意見もあります。ミラーニューロンの反応は感覚の刺激と運動の学習によって作られるもので、必ずしも自分と他者の同じ行為を関連づける物ではないとする意見もあるので、まだまだ研究の途中です。

とはいえミラーニューロンのようなものが存在するのではないかという推測は、この発見のかなり前から存在していました。他者の行動や感情を予測することは人類の進化と生存に不可欠だったかもしれず、結果として人間は、多くの場面で他人の気持ちを理解することができるようになっていることは自分の感覚と遠くないのではないでしょうか。

不安や不満を抱えた人と話していると自分も気持ちが暗くなってきた、あるいはポジティブな人と一緒にいて気分が良くなった、そんな感情の伝染も、自動的に他人の感情を拾うことに特化したミラーニューロンによって生まれている可能性があります。

見ることでダイレクトに伝わるもの

さて、オペラやバレエの話からだいぶ離れてしまいましたが、ここまでの説明で、”見る”ことを伴う音楽が脳に与える影響について想像が膨らむのではないでしょうか。

バレエの躍動するダンサーの体の動き、オペラの演者のふるまい、そういった物を見ることによっておそらくミラーニューロンが活動するでしょう。そして実際に自分が体を動かしたかのような、あるいは感情が動いたかのような神経の活動が起こることが予想されます。

一つの興味深い報告があります。その研究では、オペラを普通に鑑賞した場合と、目を瞑って音だけで鑑賞した場合で脳の活動を比較しています(5)。

それによると、ビデオで視覚を伴う鑑賞を行うとミラーニューロンに関連した脳波の活動が検出されています。視覚情報なしで鑑賞すると、変化が起きなかったようです。つまり、見ることを伴う鑑賞は、脳に違った反応をもたらしているのです。

オペラやバレエ鑑賞時のミラーニューロンの活動についてはまだ報告が少なく、もちろんこの報告だけでは検証は不十分と言えます。この論文にも、ミラーニューロンの活動を直接調べられたわけではないことが言及されています。
この論文ではもう一つ面白いことが言及されていて、オペラとは異なり、ピアノ曲では視覚情報を伴わなくても聴覚のみでミラーニューロンが活動するようです。つまり、歌と楽器では脳による捉え方が違う可能性が示唆されていて興味深いですよね。

今後、見ることを伴う音楽鑑賞には目を瞑って聴く音楽とはまた違った刺激があるという経験的な感覚が、科学的に検証されていくのではないかと思います。

先にお伝えした通り、ミラーニューロンの活動は単に刺激への反応ではなく、意図や文脈を踏まえた反応である可能性があります。つまり、見ることによって得られる感覚とは、ロジックや言語で考えて感じるものではなく、見るということがダイレクトに伝えてくるもの、ということになります。

何を伝えてくれるかというと、それは体の動きのような身体感覚であったり、演者の感情であったりします。音楽を見て聴いているあいだ、実は脳は無意識のうちに膨大な情報を処理しているということです。

芸術を見て理屈抜きに”何かを感じる”時、それはミラーニューロンが活動しているおかげかもしれません。

あとがき

こんな話を聞くと、早速自分でもバレエやオペラを鑑賞してみたくなりますよね。ロックバンドのノリノリに動き回るLIVE演奏を目の前で見るのもいいかもしれません。目を瞑ってじっくり聞くのとはきっと違う体験でしょう。

これまで出会った心震える作品にも、自分が何に”共感”したのか、もう一度見返したくなりますね。

今回は神経科学における重要な発見の一つであるミラーニューロンを交えて、”見る”を伴う音楽鑑賞について見てきました。

”ミラーニューロン”、”共感”といえば、”他人の痛み”と切っても切り離せないと思います。誰かが怪我したり転んだりしているのをみて、うわ痛そう!と感じたことが誰しもあると思います。物理的な怪我のみならず、誰かが怒鳴られて怒られていたら、なーんか嫌な気分になる、
そんな"痛み"の共有も、ミラーニューロンが関わることが指摘されています。

音楽には癒しの効果がありますよね。ストレスを軽減させるということは第一回でお話ししていました。では、”痛み”に対してはどうでしょうか。

そこで次回は、音楽と痛み(心の痛み、体の痛み)に焦点を当ててみたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!次回もお楽しみに〜。

参考文献

(1) Giacomo Rizzolatti et al. (1996) Premotor cortex and the recognition of motor actions, Cognitive Brain Research 3 131-141
(2) Umiltà, M.A., Kohler, E., Gallese, V., Fogassi, L., Fadiga, L., Keysers, C., & Rizzolatti, G. (2001). I know what you are doing. a neurophysiological study. Neuron, 31(1), 155-65.
(3) Shamay-Tsoory, S.G., Aharon-Peretz, J., & Perry, D. (2009). Two systems for empathy: a double dissociation between emotional and cognitive empathy in inferior frontal gyrus versus ventromedial prefrontal lesions. Brain : a journal of neurology, 132(Pt 3), 617-27
(4) Williams, J.H., Whiten, A., Suddendorf, T., & Perrett, D.I. (2001). Imitation, mirror neurons and autism. Neuroscience and biobehavioral reviews, 25(4), 287-95.
(5) Tanaka, S. (2021). Mirror neuron activity during audiovisual appreciation of opera performance. Front. Psychol. 11, 3877.

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