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来年のことじゃないから鬼も笑えない

2009年9月5日に日本を出て、12月11日にトルコから帰ってきた。僕の旅は続く。往復航空券でまたトルコに戻るのだ。それを人に言うと、こう言われることが多い。「帰らなくてもいいんじゃないの?」って。いろいろやりたいこと、仕切り直したい理由があるのだけれど、その1つの理由は22年目になる大晦日ツアーがあるからだ。

22年前連続。そう言われるとすぐに反応ができないのが当たり前だ。年が多くても少なくても関係なく、どういうことなのか理解されない。それくらい昔から続いているのだ。今年度34歳になった僕らにとって、22年前は中学1年生にあたる。

メンバーは4人。僕とタムチン、カツ、それにカズヒロ。皆、同じ中学の陸上部所属で、最後の最後まで一緒に走り続けた。高校受験の2週間前まで駅伝の練習をした。小学校からサッカーを始め、やめる気などサラサラなかったが、サッカー部がないなら、高校までに体力をつけようと選んだ部活。最悪の状況が最高の仲間を作った。

中学の時は僕の部屋に集まった。ファミコンして過ごした。高校のときはカツの家の離れだった。“桃テツ”を一晩中やってた。近所の米ノ宮神社に初詣に行き、田子ノ浦港へ初日の出を見に行った。僕らは大学に入り、唯一就職したタムチンが車を持ってからは一晩中車で走った。その頃から温泉に行くこと、年越しそばを食べることが必須になった。だんだん体力もなくなってきたこともあって、宿泊するようになった。そうなると酒を飲む。紅白を見る。格闘技を見る。初日の出は見に行かなくなったけど、温泉と年越しそばはまだ必須だ。初詣は明るくなってからの行事となった。こんなふうに毎年出かける。東は仙台、西は大宰府までに広がった。

去年、カツが婚約。この仲間内では初めてのことだ。『誰か1人が結婚したら終わり』という約束だった。でも、カツから継続の打診。奥さんも積極的にOKを出した。「自分のせいでこの度が終わるのは責任が重い…」
タムチンとカズヒロからもこんな言葉が。
「大晦日をどう過ごしていいかわからない。誰からも誘いがない。」
中学1年からである。皆、大晦日の過ごし方を考えたことがない。友人達は皆、大晦日ツアーのことを知っている。誘いさえ来ない。『次に誰かが結婚したら終了』『継続可否は全員に決断権あり』というルールになった。もともと強制なんかないんだけどね。

毎年毎年、昔話と近況報告を話す。だんだんと大人になっていくから、過去を振り返ることは楽しい。昔と同じネタで毎年笑う。変わっていない部分がうれしい。近況報告。だって、この時期以外連絡を取らないから。毎年、だいたい10月頃になって「今年どうする?」と相談し始める。なかなか連絡がつかないので、予定がギリギリに決まることも多い。それでも皆予定を空けている。元旦に僕らはこう言って別れる。
「また年末!」・・・約1年後の約束を毎年する。

“来年の事を言えば鬼が笑う”って成句がある。
『明日のこともわからないのに、来年のことなんて予測できない』と。
でも、22年連続だ。もうすぐ四半世紀だ。
だから、“来年の事じゃないから鬼も笑えない”、である。
鬼さえ呆れて苦笑いしているかもしれない。

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