นครนายก ナコーンナーヨック 県名の由来は諸説あるようだが、ある1節を紹介しよう。 同県は、もともと、”บ้านนา”(バーンナー)水田の村、と呼ばれていたらしく、稲作が盛んだったようだ。ただ、アユタヤ時代、この地一帯は深い森に覆われており、多くの野生動物が生息していたことから、農耕に不向きな土地であったようだ。 このため、住民たちが移住し、街が廃墟化したようだ。これをみかねた当時の王様が、”นายก”(ナーヨック)水田税を免除したことで、住民たちが戻り始め、より
นครสวรรค์ (ナコンサワン)=天国の都 สวรรค์ (サワン) は天上界、天国を意味する。”นคร” (ナコン)は、大きな街、都を意味するので、文字通り、天使の都という意味となる。 タイ北部から流れるピン川、ワン川、ヨム川、ナーン川が、ここ同県の 県庁所在地であるパーク・ナム・ポーで合流する。ここは、嘗てเมืองพระบาง(ムアンプラバーン)と呼ばれていたそうだ。”บาง”(バーン)とは、 水辺の村、集落という意味がある。ここは、4つの大河が、 チャオプラ
บุรีรัมย์ (ブリーラム) รัมย์ / รมย(ラム/ロム)とは、楽しい、面白い、嬉しい、美しいを意味する。古代クメールの時代から繫栄してきた街は、大いに賑わっていたようだ。 街全体が古代クメール王朝支配下にあったブリラムでは、現在もその強い影響を受けた遺跡や文化が残っており、当時の繁栄を垣間見ることができる。 タイにあるクメール遺跡で、最大且つ、最も美しいといわれるปราสาทหินพนมรุ้ง(パノムルン遺跡)は、県の観光地のハイライトの1つとなって
สระบุรี (サラブリー) 仏足石が祀られる寺院 วัดพระพุทธบาท (ワット・プラプッタバート)が有名である。 「サラブリ」という名の由来だが、当初、街は、"บึงหนองโง้ง"(ブンノンゴン)という沼の畔に建設されたが、 "สระ" (サッ)という、池を表す語をあて、「サラブリ」池の街 とした説が有力らしい。 因みに、タイには、池や沼、沢を表す言葉がいくつかある。 "สระ" (サッ) 池やプール、髪を洗うという意味もこの単語。 "บึง"
นนทบุรี ノンタブリー “นนท” (ノン)は文語で面白さ、喜び、楽しみを表す。 ノンタブリーはチャオプラヤー川河畔にあり、アユタヤ時代から続く街である。県は、都市部と農村部に分かれ、農村部には、大小様々な運河が、蜘蛛の巣のように張り巡らされており、現在も昔ながらの水上生活が営まれている。 同県を流れるチャオプラヤー川のクレット島には、小さな村がある。 村は、モン様式のテラコッタの焼き物が、有名で、その技術は先祖代々に渡って受け継がれている。 毎年4~6月
ปราจีนบุรี (プラーチーンブリー) アユタヤ時代に 「プラチンブリー」という都市の名前が初めて登場する。「プラチン」または「プラジン」は、東方を意味し、「ブリー」は「都市」を意味することから、「プラチンブリー」は東の街を意味する。 美しい滝や十字に交差した運河を有するこの地は、クメール時代から栄えており、古代遺跡や歴史的建造物も数多く残されており、観光スポットとなっている。 また同県は、3,000㎢超の広さを誇るタイ最大の保護区となっているタップラン国
ลพบุรี ロップブリー “ลพ”(ロップ)とは、切ること、刈ること、切り離された部分、かけら、火花、水滴などの意味がある。ただ、県名の由来とは、直接関係がないかもしれない。クメール王朝時代から存在したとされる古代都市は、もともと “ละโว้” (ラウォー)と呼ばれていたらしい。これは、当時、ここに住んでいたラワ族に由来するという説もあれば、サンスクリット語で “ละโว้” (ラウォー)は水を意味し、水資源が豊かだったから。とか、モン語で “ละโว้” (ラウォー
ราชบุรี ラーチャブリー = 王の街 ラーチャブリーは、218 年頃、インドのアショカ王がこの地域に仏教を広めて以来、この地方で最も繁栄した都市の 1 つだったようた。当時、ラーチャブリーは商業都市でもあり、多くの人々が街に集まったことから、文化的にも民族的にも多様な地域だった。現在でも県の住民の1.1%が少数民族で、カレン族やモン族、ラワ族、ラオス、クメール系の人々が暮らしている。 手工芸も盛んで、竜の文様が描かれた有名な水かめやタイの農民が腰に巻いているパー
สุพรรณบุรี(スパンブリー)=黄金の街 สุพรรณ (スパン) は黄金という意味で、สุวรรณภูมิ( スワンナプーム)空港の スワン(สุวรรณ) と同じ語句である。ちなみに空港の名前は、インドシナ半島を指す黄金の土地・国の意味で、プーム(ภูมิ)は大地・土地という意味があり、自身の称号から、先のラーマ9世王が命名したものだ。 バンコクからわずか100㎞程のスパンブリー県は、自然が豊かで、長い歴史を持つ街。スパンブリーの歴史は、伝説上の王国、スワンナ
สิงห์บุรี (シンブリー)=獅子の街 สิงห์ [sĭŋ] は「獅子」のこと。 シンブリーはバンコクの北にある小さな古都で、チャオプラヤー川の西岸に位置している。元々インブリー、プロムブリー、シンブリーと3つに分かれていた軍事要塞都市であったが、ラーマ5世の時代に、3都市が融合して、現在の県を形成している。どうして獅子という名がついたのか?はっきりとはわかっていないが、獅子のような血気果敢な男たちが、沢山いたのかもしれない。 県章 県章はカーイバーンラチ
กาญจนบุรี (カーンチャナブリー)=金(きん)の町 กาญจนา (カーンチャナー) は、光を有するもの。という意味があり、金の文語である。単独で使うときには、母音が伸びる形となる。日常語では ทอง (トーン) を使う。 エラワン国立公園やサイヨーク国立公園などを擁し、大自然の宝庫とされるカンチャナブリー県は、西側をミャンマーと接し、古の時代から、国際都市として、様々な民族や文化が共存する街であった。国境の街サンクラブリーには、仏教を熱心に信仰するモーン族やカレ
ชลบุรี (チョンブリー)= 水の街 ชล (チョン) はน้ำ (ナーム) 「水」を意味する。 チョンブリーはアユタヤ時代から地方都市として栄えていた。ただその後1950年代までは、開発に後れを取っていた。ベトナム戦争を境に、県内に、ウータパオ空軍基地が整備され、現在は国際空港へ発展を遂げている。また、1960年代頃から開発が始まったパタヤは、世界を代表するリゾート地となっている。その他、実に10を超える工業団地が建設され、県は未曽有の発展を遂げている。 県章
จันทบุรี (チャンタブリー)=月の街 จันทร์ (チャン) は月のこと。元々は、チャンタブーンと呼ばれていたという。 チェンタブリ―県は1893年のパークナム事件(シャム危機)の後、フランスに占拠されたことやコーチシナのカトリック禁制等によって流入してきたベトナム人が多く住んでいる。その影響で、街並みには、フランスやベトナムの影響が色濃い。タイ最大のカトリック教会、イマキュレート・コンセプション大聖堂もその1つとして有名である。 県名の由来 伝説があるよう
เพชรบุรี (ペッチャブリー又はペットブリー) ダイヤの街 ペッチャブリーは古の時代から栄えてきた街だ。その歴史は、8世紀のモン族の統治時代にまで遡る。その後クメール人が住みついた。ワット・カンペーン・レーンのプラーン(仏塔)には、彼ら独特の建築様式がの残っている。 街の名産は、砂糖椰子から生産される砂糖だ。砂糖椰子は、県章にも描かれている。古くから外国との交易も盛んで、多くの外国の古文書に、街の名前が登場している。オランダ人はこの街をピプレイと呼び、フランス人は
⁂データや内容は、当時のものとなりますので、ご理解ください。 こんにちは、いかがお過ごしでしょうか?今回のテーマは、「地域企業」SMCE -Small and Micro Community Enterpriseです。「Community」という言葉が入っています。今タイでは、地域開発で注目されている企業形態なのですが、普通の企業ではなさそうです。さて、どこがどう違い、環境とどんな関係があるのでしょうか。 地域企業とは 法人・非法人に関係なく、家族・地域社会全体の自
⁂データや内容は、当時のものになりますので、ご理解ください。 こんにちは、いかがお過ごしでしょうか?今回のテーマは、「バナナ」です。タイには、「クルアイ・クルアイ」(「バナナ・バナナ」)という言い回しがあり、「簡単なこと」や「ありふれたこと」を意味します。タイ人とバナナが深く結びついていることが伺えるのですが、そんなバナナが今、注目を集めています。もうすぐ、チェンマイは煙害の季節ですが、煙害防止にもバナナが一役買っているのです。バナナのどこがそんなによいのでしょうか?