光のような彼と影のような私

私の家の隣には、家族ぐるみの付き合いをしている家族が住んでいました。ひょうきんなおじさんと優しいおばさん、そして私より2つ下の男の子A君が住んでいるお家です。

A君はどちらかというと物静かで、可愛らしいタイプの子でした。同じように内向的な私と気が合うのか、一緒にいることが多かったのです。

私はA君を弟のように扱っていました。小さな子供の話ですから、たまに意地悪をすることもあります。するとA君も男の子なので、すぐに仕返ししてくるというカンケイでした。

しかし子供の頃の2つ差というと、男女とはいえ、かなり大きな体格差があります。母にも「お姉さんなんだからね」と、口を酸っぱくして言われていたので、私はだんだんとお姉さんぶるようになってきました。

食べるものや順番は必ずA君を先に譲り、泣いているときは慰めてあげたり、一緒に遊んであげたり、何事も手加減をするようになりました。そういったことに慣れてくると、今度はそれが心地よく感じてきたのです。

子供心に「ああ、これが母性本能か」と感じていました。

私がそんな風に接していくことで、A君の方でも何か心境に変化があったようです。

それまではワガママで憎らしいことも多かったのですが、私の一挙一動に恥ずかしそうにするようになりました。なんとなくヨソヨソしく感じます。

その変化は私たちが成長していく度に大きくなって、私たちの関係に溝を落としていきます。私の身体もちょっとずつ女性のフォルムへと変わっていき、A君の身体も心なしかガッチリしてきたように思えました。

そして、その度に私たちの関係が、疎遠になっていくように感じました。家の前などで顔を合わす度に、「こんにちは」と挨拶するぐらいしか会話をしないようになったのです。

昔は「お姉ちゃん」と言ってくれて、どこに行くのにもひっついて来てたことを思い出します。そのときは友達と遊ぶ時も付いて来たりしていました。帰るように言っても言うことをきかないA君を、煩わしく思ったこともありました。

不思議なもので、いまではそんな出来事を懐かしく思い、寂しくなっている自分がいました。そのときに改めて、私たちは「姉弟のような関係だった」のであって、「姉弟ではなかった」ということをハッキリ感じたのです。

そんな関係が決定的となったのは、私が中学になった頃でした。

私も男性を意識するようになりました。服装や髪型に気をつかったり、ちょっとしたメイクをするようになります。

心のどこかで「お姉ちゃん、キレイになったね! 大人っぽくなって、ぼくビックリしたよ!」なんて、A君に言われるシーンを想像してました。

そして、そう言われるためにも、ちょっぴり背伸びしてた自分もいたのです。

しかし、現実は厳しいものでした。私は久しぶりに会ったA君の挙動に、ショックを受けることになるのです。

それはある朝、学校に行くときのこと。いつもより寝坊してしまい、慌てて家を出たときでした。隣の玄関に、同じタイミングで家を出たA君がいます。

共に玄関扉を閉める音に反応して、互いに目が合いました。私は反射的に、「おはよう!」と声をかけていました。

それと同時に、「なんでちゃんとメイクできてない今日なんだ」と、内心嘆きます。せめてもの抵抗として、すこしでも整えるために髪を掻き上げました。

それに対してA君の反応は、私が予想していたいくつかのパターンの、どれにも当てはまらないものでした。

一度ちゃんと目があったはずのA君は、すっと目を伏せて、まるで無視するかのように前を向いて走り去って行ったのです。

正直、これにはカチンときました。

それまで「お姉さんなんだからね」という魔法の呪文で、彼に対するあらゆる苛立ちを抑えてきました。しかし、謂れもないシカトをされて、私が今まで築き上げてきた高い壁は、いとも簡単に崩れていきます。

「何も無視することないじゃない」という一言に尽きました。学校に着くまで、それ以外の言葉は浮かんでこないぐらいでした。

思春期の男の子が、女の子へ無闇に強く当たることがあるのは知っていました。クラスメイトにもいますし、漫画やドラマなどでもよく見かけます。

ですが、A君は2つ年下なのでまだ小学生です。思春期というにはまだ早い気がします。なにせ私がまだ、そこまで思春期ではないのですから。

私たちは決して「姉弟」ではなく、かと言って他人というほど遠くもなく、男女の隔たりを行ったり来たりしている、不安定な関係なのです。

何かしらハッキリした形もありません。そんなあやふやな関係だから、A君は接しにくくなっているのかもしれない。そう思いました。

昔みたいにA君と話せるようにならないかな。

中学2年も終わりに近づいて来ました。受験勉強が少しずつ私の生活を侵食して来た頃です。

そんなとき夕飯の食卓で、母がこんなことを言いました。
「隣のAくん、勉強についていけてないんですって」
「へ、へぇ、そうなんだ」

と興味がなさそうに返しました。彼をすこしでも意識していることを、母に悟られたくなかったんだと思います。

「なんかダンスに夢中なんですって」
私は運動が苦手なので、羨ましい反面、ちょっとカッコいいと思ってしまいました。

「中学で学力が差がついたりしないか、心配なんですって」
たしかに、同級生にもそういった人たちが男女問わずにいました。小学校までと違い、毎日コツコツとやらないと応用ができなくなるからです。

「なら、私がみてあげようか?」
思いつきで言った言葉でしたが、これは我ながら悪くない考えだと思いました。

「何言ってんの。あんたも来年受験でしょ」
「毎日は厳しいけど、気分転換にもなるし、教えるのも勉強になりそうだから、大丈夫だよ」
「そう? なら、お隣の奥さんに言ってみようかしら」

表向きは冷静を装っていますが、私はA君とまた仲良くなれるかもしれないということに、すこし心が踊っていました。いままで話せなかったことをたくさん話そう。色々な考えが頭を巡っていました。

それからも、相変わらずA君と顔を合わせることはありません。勉強をみるという話はどうなったのかもわかりませんでした。

母からそのことを聞けばいいだけのことなんですが、なんだか照れくさくて、彼に興味があると知られるのが嫌で、自分から切り出せません。

そんなモヤモヤした二週間を過ぎたあたり。

流れるような毎日と受験シーズンの波に逆らえず、だんだんとその話に興味を失ってきた頃です。

またもや食事中に母がこう切り出してきました。
「そういえば、Aくんの話なんだけど」

「ああ、うん。どうなったの?」
「なんか勉強みてもらうのがイヤなんですって」

興味は失せてきた事柄でしたが、改めて突き放されるとショックです。

何がダメだったんだろう。私じゃ頼りなかったのかな。それとも……嫌われてるのかなあ。

照れてるとか、そういうことじゃない気がします。実際問題、勉強が遅れていることは事実でしょう。にもかかわらず、無償の申し出を無下に断られたことに、すこし腹が立ちました。

そうしてしばらくしたとき、再びA君と話ができる機会が訪れました。それは彼が中学に入学してきたときの話です。

新三年生複数と新入生複数でグループとなり、学校のさまざまな場所を案内したり、交流を深めるといった活動をすることになっていました。

このグループは住んでいる地区によって分けられるため、私と彼が同じグループに入るのはわかっていたことです。気恥ずかしさもあって、人の目を盗むようにタイミングを見計らってA君に話しかけます。

「私が勉強みるって話、断ったそうじゃない?」
「ああ、うん……ごめん」
いきなり素直に謝られたので、ちょっと勢いが削がれます。

「私じゃ役不足ってこと?」
ちょっと冗談めかして言いましたが、彼は神妙な面持ちでこう答えます。

「姉ちゃんが成績良いのは小学校の頃から有名だったじゃん」
「じ、じゃあ、なんで」
「俺、やりたいことがあるんだ。だから、決められた時間を持っていかれるのはイヤだっただけだよ」

久しぶりにA君と会話しました。

いつの間にか彼は、自分のことを「ぼく」から「俺」と呼ぶようになっていたことに驚きます。そして「お姉ちゃん」ではなく、「姉ちゃん」と呼び方が変わっていたことにもすこし落胆しました。

それと同時にすっかり変化して、男らしくなった姿や立ち振る舞いに、ちょっぴり胸が高鳴りました。


ドキドキしている中、複数人の女子の、黄色い歓声がしました。私が驚いて目を向けたときには、目の前に女子の塊が迫っていたのです。

そして、気がついたときには、目の前にいたA君は女子の塊にさらわれて見えなくなりました。自然に私は弾かれるように外へ追い出されます。

よろめいてるところへ、グループの中で仲の良い女子が支えてくれました。
「なんなの……いったい」

私がつぶやくように言うと、支えてくれた彼女が、
「知らないの? A君、超人気あるんだよ」

「へっ? なんで?」
「なんでって、ホントに知らないんだ。あんた幼なじみだし、知ってると思ってたんだけど」

私はなんとなくバカにされている気持ちになりました。
「A君、ダンスやっててさ、入ってるグループがかなり人気あるんだよね。小学校でもモテモテだったみたいよ」

運動ができない私は、そっち方面の情報に疎かったのです。

知り合いの彼が人気者で嬉しく感じる反面、自分に知らされてなかったことへの悔しさ、いきなり目の前に現れた女子の塊に、幼なじみとの再会シーンをかっさらわれたことへの苛立ち、そして単純なジェラシーを覚え、モヤモヤとした気分になります。

そしてそれが、学生生活でA君とまともに接した最後の瞬間となりました。私は受験がありましたし、彼は自分の夢を追いかけていきます。

自由になる時間やタイミングも違います。趣味も思考も違うのです。わざわざ顔を合わせる理由がありません。家は隣同士なのに、お互いの距離はとてつもなく遠くなっていきました。

確かに、改めてみると格好良くなってるけどさ。

そう思いながら、A君のイラストが挟まれた下敷きを、自室の机の前で眺めてみます。

どことなく面影が残っている弟のような彼ですが、セットされた髪型、そしてうっすらと施されたメイクに違和感があります。

そういった色気づいた部分が別人のような気もして、昔の彼を知っている分ウソっぽくて、いまいち周囲のように、キャーキャー騒ぎ立てる気にはなりませんでした。

私はあれからお嬢様が集う高校に進学し、有名な大学へ進みました。

A君のように何かしらの特技があったわけではないので、コツコツと勉強し、人並みにオシャレをして、適度に恋をして、ちゃんと失恋も経験した大人になりました。

技術を学ぶためのインターンにも参加し、これまた特に問題のない成績を収めた影響か、それまで考えたこともなかった、テレビ局のアナウンサーをやることになりました。

アナウンサーを目指して頑張っている人には悪いですが、こんな立派な職業に就けると思っていなかったので、棚からぼた餅のような心境です。

私が入社して二年目の頃です。意外な形でA君と同じ世界を共有する出来事がありました。

とあるダンスユニットがメジャーデビューしたのです。
そして、そのメンバーの中にあのA君がいました。

最大手の某アイドル事務所ではありませんが、最近は歌って踊れるダンスユニットが流行っていました。

私の同僚にもファンがいるようで、推しメンの宣伝らしく下敷きをもらいました。その配られた下敷きの中にA君の写真が挟まれていたのです。

私は彼がデビューしたことを、その下敷きで初めて知りました。

A君は中学卒業後に家を出て自立しました。
それからは会っていませんし、話も聞いていません。

私も就職が決まって家を出ましたので、ますます彼の話を耳にする機会はありませんでした。

そのような彼が、いつのまにかこんな下敷きになっていたのです。
まったく想像していなかった再会でした。

すっかり色気を出しているA君に違和感を覚えながらも、頑張ってるんだなあと思いました。

そんなある日、私はとある音楽番組のアナウンサーに起用されることが決まりました。私にとってはもちろん、アナウンサーとしてはかなり大きなお仕事です。

この機をモノにすれば、大成できる可能性もあるという話も聞きました。

私は日々背伸びをしすぎず、とにかく精一杯番組をサポートできるように努めることにしました。自己評価をシビアに捉えているので、背伸びをして自分を演じても、すぐにボロが出ると思ったからです。ミスがないことよりも、ベストを尽くせるように工夫しました。

その甲斐あってか、私の生真面目すぎてアドリブが利かないところが、逆にカワイイといった評価を受けるようになりました。

番組中のポジションも、司会進行以外にいじられるようなキャラが定着してきました。業界的にこれは、ひとつの成功の形だそうです。

やがてその日がやってきました。

彼がダンスユニットとして芸能界に入ってきたこと。私が音楽番組に起用されることが決まったこと。そのときから、いつかこんな日が来るのではないかと、妄想はしていました。

彼のグループが番組のゲストとして出演することが決まったのです。勉強のため曲をきいてみると、楽曲もダンスユニットにありがちな軽いノリの曲以外にも、メロディアスなしっとりとする曲も多くあって人気があるのも頷けます。

仕事とはいえ、幼なじみとしての思い入れがあるとはいえ、私はすっかりA君と、そのグループの虜になってしまいました。

こうなると、収録日が待ち遠しくなります。その日が近づくにつれ何も手に着かなくなって、頭の働きも鈍くなっていきます。

さまざまな妄想が頭を駆け巡り、「実際は彼女とかいるのかな」とか「ライブ行ってみたいなあ」とか、俗な雑念に支配される割合が多くなっていきます。

しかし、私の信条は「ミスはあってもベストを尽くす」です。アナウンサーに大事なことは、とにかく「慌てないこと」と「切り替えること」です。

周囲が地震で慌ただしくなっていても、冷静に原稿を読み上げるほどでなくてはなりません。

ましてや、バラエティー班のような面白みのある、興味がそそられる受け答えができない私は、生真面目さを欠いてしまっては売りがありません。

この番組も、どちらかというと音楽の芸術性を紹介していく重厚な雰囲気の番組です。だから私のような、真面目バカが起用されたのだと思います。

こんな浮き足だった状態では彼に対しても、私を起用してくれたプロデューサーさんにも失礼だと思い、自分を抑制するので精一杯の日々でした。

こんなに待ちに待った収録日はありませんでした。
同時に、これまでで一番緊張している自分がいます。

理性が強いせいか、人前に出ることや本番に強いタイプの私ですが、この日は思わず手足が震えてしまいました。

周囲に気取られないよう足をピッタリ閉じて、お尻に力を入れます。マイクは両手で持って、少しでも震えが伝わらないようにしました。

「大丈夫? 体調悪いの?」
総合司会のタレントさんが気遣ってくれます。私が固くなっている場面があまりないので、気になったのでしょう。

「いえ、大丈夫です。ちょっと緊張しちゃって」
「緊張? キミが? 珍しいね」

「ええ、今日のゲストさんが……ちょっと」
気恥ずかしさで語尾を濁らせてしまいます。

「ああ、ファンなんだね。俺にもそういったことあったよ。タイプの人がいると緊張するよね」
そんな会話を本番前に交わし、多少緊張が治まりました。

「大丈夫だよ。何かあってもフォローしていくから」
「すみません。ありがとうございます」
そうして、本番が始まりました。

お馴染みのオープニングのBGMにのせて、今日のゲストが何組か登場してきます。ゲスト毎に私が紹介の言葉を添えていき、番組は進行していきました。

そして彼のグループが登場しました。

予め渡された原稿のとおり、タイミングを計って紹介文句を添えていきます。
そのときです。

チラッと彼が、こちらを、私の方を見たような気がしたのです。

その瞬間、彼のグループで伝えるはずの紹介文句が、途中まで言ったところで吹き飛んでしまいました。

当然、他のグループよりもリズム的に悪い紹介シーンとなり、なんだか言葉足らずの瞬間が訪れます。すると、

「すごい歓声だね。観客の大部分がファンなんじゃないの」
総合司会のタレントさんがアドリブを入れてくれました。

思わず私が視線を向けると、タレントさんもアイコンタクトで「つなげて」と言ってくれているようでした。

リズム尺的におかしくならないよう、予め用意された紹介文句を短くして、曲の紹介など伝えるべきメッセージを伝えます。

自分のミスが招いたことですが、番組の特性上こういったプチハプニングで尺合わせをすることはままあることなので、これ自体はファインプレーともいえます。

こうして番組は進み、A君たちの出番となりました。
私は一層緊張しながら進行を努めました。

A君はリーダーなので、間を繋ぐためにも何かと話題を振られるポジションだったのです。そしてA君にも尋ねるようになる流れになってしまうことが多くありました。

よくあることですが、台本にはない内容ということも含めて緊張が強まってしまいます。

「浮いた話はないようですが、気になる女性はいるのでしょうか?」

A君と直接会話するのは何年ぶりのことでしょうか。

質問内容など原稿に書かれた文言は、どんな内容であっても事務的に伝えられるようにクセがついています。しかし、言い終わった後、相手の返答でドキッとさせられることがあるのは、また別の問題でした。

「ええ、いますよ。初恋の人です」

A君は照れる様子でもなく、サラッと言いました。

途端、観覧席から歓声があがります。メンバーからも「出た、カミングアウト」なんて茶化すコメントもありました。

「初恋っていつの話なの?」
総合司会の方がアドリブで質問を加えます。
「小学校の頃ですね」
私はドキッとしました。

「小学校って、ずいぶん前の話だね。どんな子?」
「隣に住んでいた、2つ年上のお姉さんです」

その瞬間、私は意識が遠のいていくように、頭がボーッとしてしまいました。

本番中であることも忘れ、耳が遠くなり、体中が熱くなり、目頭も熱くなっていました。

「ああ、その頃ってちょっと年上の人に憧れるよね」
「ええ。でも、何かと世話も焼いてくれましたし、本当のお姉さんのようにも思っていましたから、結局言い出せなかったんですよね」

とっても遠くから、微かにそんな会話が聞こえました。

「今も好きなの?」
「そうですね。それ以外の人を好きになったことはなかったですね」

「じゃあ、後悔してるんだね。それで前に進めない感じなんだ?」
「ちょうどそんな感じかもしれないですね」

「良い機会だから、もうここで伝えちゃえば?」
「いや、もう伝わっていると思います」

「そりゃそうだね。それじゃスタンバイの方を」

笑い声がフェードアウトされる中、総合司会の方が軽く肘で合図してきました。

私はハッとして、暗記していた記憶を再生するように、彼らの楽曲名を事務的に紹介します。

「今月25日に発売される新曲です――」
曲名は伏せます。

思い上がりかもしれませんが、曲のタイトルが彼からのメッセージのように思えました。

私が初めて聞くことになる楽曲で、英文の歌詞が含まれていました。本来の意味とは違いますが、私にはこう歌っているように聞こえました。

「お姉ちゃん、ごめんね」


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