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【うちには魔女がいる】#15 ポン酢


うちには魔女がいる。

魔女はハローキティとほぼ同い年。
7月生まれの蟹座。A型。右利き。猫派か犬派かでいったら、断然犬派。
私のお母さんの、5つ歳が離れた妹。

これは魔女がつくる、やさしい料理の備忘録である。


台所で大量の柚子を見かけるようになると、もうそんな季節だなあと冬の訪れに気づく。

暗くなるのが早くなった空に、日に日に布団から出るのがしんどくなる朝。むせ返るような柚子の匂い。
我が家の冬は、柚子の匂いとともにやってくる。



冬の始まり、魔女は必ずポン酢をつくる。
いつから始まったかも忘れてしまったが、もう何年も欠かさずつくり続けているから、我が家ではポン酢が初冬の風物詩となっている。

魔女がひいひい言いながら半分に切った柚子を絞り器に押し付けている姿を見ると、必死な彼女には申し訳ないが「今年のポン酢だあ」とほんのり嬉しくなる。
私は一年のうちで冬が一番苦手だが、魔女のポン酢だけは心から待ち遠しい。

家の庭で採れた柚子と、さらに柚子の木持ちの知人たちからもらってきた柚子を合わせると、まあ相当な量になる。魔女のポン酢づくりは、この大量の実を絞って、絞って、ひたすら絞りまくるところから始まる。
時々交代しながら延々と柚子を絞り続け、大きなボウルになみなみの柚子ジュースが出来上がったらようやくひと段落。
ゆうに50個は超える柚子をひたすら絞り続けるため、毎年この時期の魔女は瀕死だ。魔女のお手製ポン酢には固定ファンが多く、必ず4、5人にはおすそ分けをしているので、果汁は少しでも多いほうがいいのだ。
とはいえ「この果汁の量だと出来上がるポン酢は1.5リットル……200㏄ずつ分けたら7本しか出来ないじゃん。やっぱりもうちょっと量がほしいところだよね」と真剣な顔で言い募る魔女は、やはり基準が少々狂っているとは思う。

さて、ここまでくればもう簡単。
絞った柚子の果汁と醤油、酢を同量混ぜ、みりんと酒を少々。カットした出汁昆布をまとめて瓶に入れれば完成だ。
あとはそれらが混ざり合い、熟成し、酸味と塩味が落ち着いてくるのをじっと待つだけ。


人にあげるときは少なくとも1ヶ月から2ヶ月程度は冷蔵保存で熟成させるのを推奨しているが、私は出来立てのポン酢の、尖りに尖った酸味もけっこう好きだ。

一滴舐めるだけで目が覚めるような、脳天を突き抜ける強烈なすっぱさ。
顔中のパーツが全て吹っ飛びそうなほど刺激のある味だが、同時に清らかな風味が鼻から抜けていくのが小気味よい。つくりたての頃は頭頂部にツーンと刺さっていた鋭い酸味は、やがて昆布から溶け出した旨味をじんわりと吸って、少しずつ落ち着いていく。
日に日に角が取れ、まろやかでふくよかな味わいへと移り変わる。
味わいの変化を舌の上で、リアルタイムに確かめていくのも魔女のポン酢の楽しみ方のひとつだ。

そうして一升瓶にたっぷり詰まったポン酢を、一年かけて、ゆっくりゆっくり消費していく。

鍋を食べるときのお供にしてもいいし、生牡蠣にかけて牡蠣酢にするのも乙だ。最近だと、ネギをたっぷり入れただけの牛しゃぶをポン酢で食べるのにハマっている。
料理がシンプルであればあるほど、魔女のポン酢の味わいが引き立つのだ。

茹だった野菜にたっぷりポン酢をかけ、はふはふと言いながら口の中に迎え入れる。
鼻筋に添って登ってゆく、芳しい柚子の香りと、まろみのあるやわらかな酸味。

ああ、今年も我が家に冬がやってきた。

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