見出し画像

【うちには魔女がいる】#17 いのちのスープストック


うちには魔女がいる。

魔女はハローキティとほぼ同い年。
7月生まれの蟹座。A型。右利き。猫派か犬派かでいったら、断然犬派。
私のお母さんの、5つ歳が離れた妹。

これは魔女がつくる、やさしい料理の備忘録である。


20代半ばを過ぎてからというもの、油ものを食べるとすっかり胃もたれをする体質になってしまった。
ファストフードやポテトチップスを食べようものなら胸やけが爆速で追いかけてくるし、揚げものは魔女が家でつくってくれた出来立てのものならまだしも、時間が経過した総菜やコンビニ弁当はあとのことを考えると怖すぎて安易に手が出せない。
たしかにもともと胃腸は強いほうではなかったが、にしたって劣化の進みがいささか早すぎではなかろうか。

特にショックだったのが、ラーメンをおいしく食べられなくなってしまったことだ。

少し前までは、寒い時期になると、ときどき魔女とふたりでラーメンを食べにいった。
「今日はなんとなく気分が乗らないな」みたいな日に、外食を好まない祖父にだけ夕飯を出してこっそり食べにいくラーメンは、たまの不摂生の高揚感も含めて楽しむささやかな非日常の象徴だった。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大を機に、元より頻度が高くなかった外食を完全に絶って一年。
緊急事態宣言が解除されたタイミングで、向かい合わずに黙々と食べるラーメンなら問題ないだろうと、久々にお気に入りのラーメン屋に足を運び、衝撃を受けた。
好きだったはずの醤油ラーメンが、なんとも味気なかった。味気なく感じてしまった。思わず愕然として魔女の方を見たら、同じような表情の彼女と目が合った。
そのあとも店を変えて何度か試したが、結果はどれも惨敗。味気ないのに胃がもたれるとは、これいかに。

どうやら私たちは、この長い自粛期間で、すっかり外食の楽しみ方を忘れてしまったらしい。




仕事から帰ると、我が家の一番大きな寸胴なべで魔女がくつくつとなにかを煮込んでいた。
おかえり、と言いながら真剣な顔で鍋の中を覗き込む様は、本当に絵本に出てくる魔女そのものだ。
キッチンに充満する、やさしくて繊細で、けれどもどこか青さを感じる香り。出汁……に似ているような気もするが、それよりももっとあっさりと爽やかな印象だ。
なにつくってるの? と聞けば、魔女はこともなげに「スープストック」と答えた。
「スープストック」
「そう。庭にあふれんばかりのセロリがなっちゃってさあ」
鍋を覗けば、なるほど、大量のセロリやにんじん、玉ねぎ、パセリ、だいこんその他もろもろの大量の野菜たちが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれてしんなりくたびれていた。
「余ったくず野菜をぼんぼこ入れて煮込むだけなんだけどね。いーい味が出るのよ」
出来上がったスープストックを、くず野菜だらけの鍋から保存用のジップロックに移し替える。野菜の旨味を余すところなく抽出したスープストックは美しく透きとおる黄金色で、ああ、これは命のスープだな、となんとなく頭をよぎる。

このスープストックでつくった魔女の料理は、さぞ満ち足りた味がするだろう。

「このスープストックでなにつくるの?」
おいしいものの予感にウズウズしながら尋ねると、魔女はどうしようねえと悩み始めた。
「なにに入れてもおいしいとは思うんだよね。ポタージュとか、ロールキャベルとか。鍋の出汁にしてもいいし」
「ポトフは?」
「あ~いいね。あとは……」
そこでハッと息を呑んだ魔女が、勢いよく私を振り向いた。
「……サッポロ一番塩ラーメンは?」

なんだそれ。
絶対うまいだろ。



まずはサッポロ一番塩ラーメンの麺を通常通りに茹でる。普段であれば麺の茹で汁で粉末スープを溶かすのだが、今回は主役がいるためここでオフ。素材の味を楽しむのがテーマなので、具材はあえてネギとゆで卵のみに絞った。

そうして器にたっぷり注ぐ、黄金の命のスープ。

きらきらと輝く透きとおったスープに、サッポロ一番の白い麺がよく映える。
仕上げに胡椒とバターを乗せれば、魔女のスープストックによる『野菜だしラーメン』の完成だ。
「いただきます」
おなじみの挨拶をして、まずはスープを一口。
やさしくて澄んだ味わいが、じわーっと体内を巡る。やがてそれは食道まで戻ってきて、「はあぁ」という満足気なため息として口から転がり落ちた。

あっさりとしているのにスープの深い味わいがよく効いて、穏やかな満足感がお腹の底をじんわりとあたためてくれる。
巷でよく聞く『飲みのシメで食べるラーメン』なんて食べたら絶対に翌日胃もたれで死ぬと思っていたが、このやさしいラーメンだったらイケるかもしれない。
「久々においしくラーメン食べられたねえ」
嬉しそうに麺を啜る魔女に、口いっぱいに頬張りながら頷く。やはり魔女も、ラーメンを楽しめなくなってしまったことが多少なりともショックだったようだ。
これだったら、おばあちゃんになってもおいしく楽しめそうだなあ。

ぺろりと完食した魔女のおうちラーメンを、スープまで一滴残らずきれいに飲み干した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?