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【うちには魔女がいる】#5 シフォンケーキこわい


うちには魔女がいる。

魔女はハローキティとほぼ同い年。
7月生まれの蟹座。A型。右利き。猫派か犬派かでいったら、断然犬派。
私のお母さんの、5つ歳が離れた妹。

これは魔女がつくる、やさしい料理の備忘録である。



頼めばお菓子もつくってくれる魔女だが、どうやら本人的には苦手意識があるようだ。

なんとなくの目分量でおいしくできあがる普段の料理と、数グラム単位の計量ミスで失敗することもままあるお菓子づくりでは、いろいろ勝手が違うらしい。食べている私からすると十分いつもどおりにおいしいのだが、料理人の世界は難しい。

魔女は完璧主義者である。
傍から見ているぶんにはあまり分からないのだが、彼女の中では確固たる基準があるようで、このボーダーラインを満たさないとどうにも気が済まないのだ。さらに勤勉で努力家でもあるので、満足する基準に達するまでひたらすら、何度も何度も練習を重ねる。
それ自体は素晴らしい。魔女の料理がいつもおいしいということの、なによりの証明だろう。私は楽な方へ楽な方へと流される典型的な享楽主義者であるので、ひっくり返っても持てない魔女の清らかな真面目さを尊く、素敵だと常々思っている。

しかしながらその美徳が、うっかり手を離してのたうち回るホースのごとく暴走することも、たまにはあるわけで。



時計の秒針の音がやけに耳につく夜更け。やわらかな甘い香りが充満するキッチン。テーブルの上に並ぶ、焼き立てのシフォンケーキ。
「……高さが足りない」
カチッと、なにかのスイッチが入る音が聞こえた。

あ、ヤバい、と思ってもあとの祭り。
こうなった魔女は、もう誰にも止められない。



魔女の完璧主義と勤勉さが不穏な方向で発揮されるのは、大体シフォンケーキなどのメレンゲ系菓子をつくったときだ。
メレンゲを使うお菓子は塩梅が難しく、高さを出す難易度が高い。らしい。

勘違いしないでほしいのだが、じゃあ魔女が見るからにぺちゃんこの失敗作をつくりだすかというと、決してそういうわけではない。
少なくとも私の素人目から見ると十分な高さのある、ケーキ屋さんで見かけるようなおいしそうなシフォンケーキなのだ。
いったいなにがダメなのだろうと毎回思うのだが、魔女の厳格な基準には到底達していないようだ。「高さが足りない、高さが足りない」とうわ言のようにブツブツ呟きながら、再び卵と小麦粉に手を伸ばす。

「もう寝ようよォ……」
「あと1回、あと1回だけやらせて!」
勤勉モードに入ってしまった魔女は、どれだけ私が泣きついても合格ラインに達するまでは特訓をやめようとしない。己の中の基準を満たすまで、繰り返し繰り返し同じものをつくり続けるのだ。
食べたいとおねだりした手前、作業している魔女を置いて先に寝るわけにもいかないが、起きていたら起きていたで容赦なく味見を頼まれるのでもはや半泣きである。
シフォンケーキの味見は今夜5回目だし、時刻は深夜2時を回ったところだ。一体これはなんの修行だろうか。

魔女のつくったものはなんでも喜んで食べる私であるが、夜中のシフォンケーキ(本日5回目)は流石につらいものがある。
5回味見をしているということは、すでに5台分のシフォンケーキが焼き上がっているということだ。どう考えてもひと家庭で食べきれる量ではない。
机の上を埋め尽くす焼き立てのシフォンケーキを、「数が揃うと圧巻だな」とぼんやり眺めていた私の目は、おそらく死んでいた。




朝になって正気に戻ったらしい魔女は、大量にできあがったシフォンケーキを前にほとほと困り果てていた。
悩んだ末、カットしたシフォンケーキを丁寧にラッピングし、当時高校生だった私にたんまりと持たせた。「学校で配ってこい」ということらしい。

せっかく魔女がつくったものを無駄にするのは私としても不本意なので、言われたとおりその日は1日中、寝ぼけ眼のまま魔女のシフォンケーキを学校で配り歩いた。
本気でものすごい量だったので、親しい友人だけに留まらず、ほとんど話したことがないレベルのクラスメイトにも配った。話したことすらないのに急にシフォンケーキを渡してくる同級生の女はわりと不気味だろうが、背に腹は代えられない。

我が家としては苦肉の策での無料配布だったわけだが、常に腹をすかせている欠食高校生たちには相当ありがたい差し入れだったらしい。
渡した誰も彼もが大いに喜んでくれたのは不幸中の幸いだ。
「えっめっちゃうまい!」
「売り物みたい! コイちゃん家の叔母さんすごいね!」
そうだろうそうだろう。私もそう思う。でも本人的にはまだ納得いかないらしいので、今夜もあの大量のシフォンケーキが待っているかもしれないと思うと少しばかりゾッとする。
おいしいとはしゃぎながらあっという間にシフォンケーキを完食した同級生たちに、「次持ってきたときもよかったらもらってね」と一応保険をかけておいた。念のため。





そういう経験を、親しい親族(ハルナ一家とか)を含めた我が家の人間はもれなく全員経ているので、最近ではメレンゲ系のお菓子を「食べたい」と言うことに対してだいぶ慎重になった。

いや食べたい。
めちゃくちゃ食べたいのだが、1回スイッチが入った魔女は絶対に止まらないので相応の覚悟が必要だ。

以前うっかり台湾カステラでも同じ流れを踏んで、連日焼き上がるふわふわの台湾カステラを前にハルナと揃って頭を抱えた。
生地がきめ細かくて素朴な甘さのそれはもちろん最高においしいのだが、やはり人間、適正量というものがあってだな。

それでも、近い未来、きっと私は魔女にまたシフォンケーキをおねだりして、大量に焼き上がるそれらを前に途方に暮れるのだろう。
さて今回はどこで配り歩こうか。

なんだかんだいっても、けっきょくのところ、おいしいので。
その魅力には、どうしても抗えないのだ。

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