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塾名に寺子屋という名称を入れた理由

こんにちは。小泉です。初めてnote書いてみました。備忘録というか、自分のサイトなどだと、生徒や保護者向けになってしまいます。
そういったものではなく、自分が考えていることを気軽に書けたらなと思っています。まあ、気軽にやってみます。

今日のタイトルですが、ちょっと自塾の屋号にも使わせていただいている「寺子屋」という意味について、考えてみようかなと思います。

私が、今の塾を始めるときに「寺子屋」という名称を入れたかったのにはいくつか理由があります。

1.塾としてのイメージ

2.寺子屋という温故知新の考え方を現代に復旧させたかった

この2点が主な理由です。


1.塾としてのイメージ

これについては、マーケティング的観点で広告的な要素や、認知してもらうために、このフレーズが地域の方が何をイメージをするのか?という点です。これは、一般的かと思います。


2.寺子屋という温故知新の考え方を現代に復旧させたかった
これについては、それなりにこだわりがあります。

寺子屋、ご存じの江戸時代の民間教育を支えた私塾です。
このスタートについて、どれくらいご存じでしょうか?

江戸時代の識字率は、この寺子屋の支えもあり、世界に誇るべき90%以上!同時に、江戸は世界でも有数の大きな人口を抱えた都市でした。

因果関係は無いかもしれませんが、帝国主義時代であった当時の世界史の中で、独立を保ち、世界に名だたる文化を形成した背景には、民間レベルの高さということが寄与してきただろうと思っています。

また、寺子屋は、あくまで私塾であり、公の機関でなかったことは大きなポイントです。

そして、私が最も感化されたポイントが、そう、
「月謝」に差があるということ。

裕福な家庭は普通の金額を支払う一方で、あまり裕福ではない家庭は、見合った金額を支払うのみでよいというところもあったらしい。そして、さらに農家など現金収入が少ない家庭は、野菜などで支払いをしても良いというところもあったそうな。
(もちろん、地域差があるのだと思うが…)

現代において、これが良いことなのか?そうであるかは別問題であるし、こうした公平性を担保するために、「公教育」があるのだから、そういったことを成し遂げなければならない、ということではありません。

単純に、その仕組みによって、社会の教育水準が引き上げられた、という事実に心が惹かれました。

起源は中世までさかのぼるらしいが、広くひろまったのは、江戸時代。寺のお坊さんが江戸時代の社会の発達に伴い文書主義になっていく中で、実学の必要性から、平民の子どもたちに教えることで広まったらしい。

だからこその「読み・書き・算盤」という実学だった、ということを知ると、これも現代にも当てはまるのではないか、と思いました。

実学を求められていたからこそ、社会変遷の中で、学ぶ内容が変化をしていったということも、非常に興味深く感じられました。

学びに固執するのではなく、変化していく。この流動性にも惹かれました。

その歴史と社会のために、という当時の先生となった人たちに敬意を払う上で、開業にあたり「寺子屋」という名称を入れることにしたのです。

当時の学生、塾生を「寺子」と呼ぶようになったことから、「寺子屋」という漢字表記には特にこだわりを持つようになりました。

たまに塾名を「ラボ寺小屋」と宛名名を間違えて郵送してくる場合があります。また、生徒自身も塾名で漢字を間違える残念な子がいますがね(笑)

「寺小屋」だと、文字通り、寺の小屋であり、場所でしかなく、「寺子」という、そこに通う生徒たちに目線を置いた名称ではありません。

あくまで、生徒たちへ目線を向けながら、社会情勢に応じて、学びを変化させていくというスタンスを、いつまでも念頭に置いておきたい、そういう想いを込めて「寺子屋」を塾名に入れました。

自分の想いからすると、決して「寺小屋」ではありえないのです。

自分で事業を行うというのは、こうしたこだわりや気持ちがあるからです。もし、それらが希薄なのであれば会社員のままでも良いわけです。

安定を捨ててまで、始めた事業。

生活のことも考えたり、従業員のことも考えなければならない立場。

でも、こだわりも捨てては元も子もないです。

これをいつまでも忘れずにいるため、それが「ラボ寺子屋」という塾名の気持ちになります。

今回は、これくらいにしておきます(笑)



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