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生きてる意味がわからなくても

いてもいなくても同じ、いらない存在だとしても
今はそうでもどこかで自分を必要としてくれる人、場所、環境はある。

自分自身なのか、二次的なものなのかはわからない。二次的っていうのは、才能とか。

「あなたはいらないけど、あなたの書く作品はいいね」
そんなものかもしれないけど

それでも、だれかに必要とされるのは自己肯定感があがるし、それだけで生きていける気がする。

代わりはいくらでもいる場合なら、使い捨ての物扱い。私だけじゃなく、世界は使い捨てできるものをこんなにも愛用してるのに、自分自身を他人に使い捨てされることは、堪えがたい。

そんなことに矛盾を感じたり、感じなかったり。 
使う人、使われる人 それぞれがどちらも併せ持ってる。

ある日、我慢が限界にたっしていちぬけぴした。
どこにも吐き出すことができない気持ち、吐き出してたら違うかたちになって、体の中から出ていったのかもしれないけど。

いてもいなくても、なにも変わらいなら
いないほうがいいと思った。



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