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「明晰とはなにか」気流の鳴る音_ハイライト

人が世界はこういうものだぞ、
とおまえに教えてきたことさ。

わかるか、人はわしらが生まれたときから、
世界はこうこうこういうものだと言いつづける。

だから自然に教えられた世界以外の世界を見ようなぞという
選択の余地はなくなっちまうんだ。

「明晰」とはひとつの盲信である。
それは自分の現在もっている特定の説明体系(近代合理主義、等々)の普遍性への盲信である。

それはたとえば、デモクリトス的、ニュートン的、アインシュタイン的等々の特定の歴史的、文化的世界像への自己呪縛である。  

人間は、〈統合された意味づけ、位置づけの体系への要求〉という固有の欲求につきうごかされて、この「明晰」の罠にとらえられる。

コヨーテがしゃべるということをあたまから信じないのが、
ふつうの人の「明晰」である。

これにたいして、コヨーテがしゃべるということを信じてしまうことが、
呪術師の「明晰」である。

しかし両方の「世界」がともにカッコに入ったものであり、
どちらも「現実」であるということ、
「現実」とはもともとカッコに入ったものであること、
このことを〈見る〉力が真の〈明晰〉である。

「明晰」を克服したものがゆくべきところは、
「不明晰」でなく、「世界を止め」て 見る力をもった
真の〈明晰〉である。

「明晰」は「世界」に内没し、
〈明晰〉は、「世界」を超える。

「明晰」はひとつの耽溺=自足であり、
〈明晰〉はひとつの〈意志〉である。

〈明晰〉は自己の「明晰」が、
「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。

〈明晰〉とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、
対自化された明晰さである。


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