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筆を執る

最近は文章を“書く”ではなく“打つ”事が多くなり、
漢字が書けなくなったなぁと思う今日この頃。

一般的にも鉛筆で文字を書くことが減って、筆圧が弱くなっているという結果も出でいるらしい。

文字を書くことのみ取り出してみると、化学の進歩とともに、人間は退化しているといえるのだろうか!?

大学生の頃、「文章を考える時は、書く動作と打つ動作は思考回路が異なるので、紙に1度書き出してからパソコンで打つように」と言われたことがあった。

その言葉が心に残っていて今でも何か制作する時は必ず紙に書き出すようにしている。 
(人には見せられないほどの殴り書きではあるけれど…)

文章を書くという言葉に「筆を執る」という表現がある。

私たちが鉛筆やペンを持つ前。
昔の人は筆を使っていたのだ。
現在多くの人は、義務教育の書道の時間でしか手にすることは無いのかもしれない…。

筆という道具が、言葉を残す手段として重要な役割であったことは、「筆」という文字を使った言葉が沢山残っていることからもよく分かる。

もう想像することも難しいけれど、筆を使って文章をしたためるときの思考回路は、鉛筆や携帯を使った書き方とは大きく違うということは感覚的に分かる気がする。

話は変わりますが。
私の尺八教室に通っている小学生の生徒さんが、音をプツプツ切って吹いていたので、「筆で文字を書くみたいに吹いて」と伝えたらびっくりするくらい音が繋がった事があった。

この発言をした理由は、私の書の師匠から「音楽と書は通じるものがある」と教えていただいていたからで、確かに目には見えない軌道が音楽にもあって、感覚的に似ている部分が存在していると思うようになった。

しかし、普段から慣れ親しんでいる訳では無い「筆」の感覚は潜在的に私たちの中にあるということなのだろうか。
きっとこの感覚は西洋には無いものなのでしょう。
「筆」という言葉は時代の流れから遠ざかっているように見えて、実は日本文化の根本的なものを捉えているのかもしれない。

さて、そんなわけで。

最後に宣伝です(^o^)

書と音楽のコラボレーション企画。
是非よろしくお願いします!

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