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#11 母は、母をやめない。

▶︎ ひとりでは、歩けなくなった。

祖母が転倒したのは、去年の終わり。
電話が鳴った18時過ぎの冬の夜は、暗かった。
オレンジの電灯と祖母の弱り切った声を聞いたのを身体で覚えている。大急ぎで支度を済ませて仕事をキャンセルし、車で四時間、不安なまま病院に向かった。震える声と蹲る姿をみて、幼稚園の頃振りに触れた手は冷たかった。

数ヶ月経った今はほんの少しづつだけれど調子を取り戻して、歩行器で歩き始めていた。それから僕も合間をみて帰るようになって、今回は家の中で歩行器を使い易くする為、家を片付ける理由で帰ってきたのだが。。。

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本当は、遠方で暮らす兄二人も帰ってくる予定だった。コロナの影響で帰ってくるのを控えた。兄と会うのは数年ぶりだったので楽しみでもあったが、僕は、ずっと会っていない人がいる。

それは、父だ。16年以上会っていない。高校二年生の頃、蒸発したのである。それから僕自身は、祖母や周囲の大人たちに育ててもらっている。(この手の話は、「なんか聞いてごめんね?」と言われがちなんだけれど、ぼくにとっては単なる事実で、こちらにとって普通の事象として受け取って頂きたい。)

▶︎ 春と小鳥の疼きのような

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基本的に実家は、黙って帰るようにしている。それは足が悪いのに無理して準備をしたり、まだ子どもと思っているからご馳走を沢山用意させてしまったり、こちらとしては祖母に下手に動き、怪我をして貰いたくないからだ。

今回も、開口一番「あら、帰ってきたのね。何も用意してないし、布団も準備してないよ」と言う。

加えて「最近ね、庭にめずらしい小さな鳥がやってくるんだよ。その柵に何かいるんだろうね、行ったり来たりしてね。その鳥が呼んでくれたのかしらね」と祖母が話して、ちょっとゾッとした。

それは帰る日に異なる場所で、「小鳥が三角屋根のてっぺんで何か話しかけて来てるんだよね」と言う話を聞いたばかりだったからだ。

心の中で勝手に結び付け「同じ鳥だったとしたら・・・。」と思った矢先、祖母が「お父さんが近くまで帰ってきてるんだよ。行くに行けないからそこに行ってくれないかな」と言った。

▶︎ フィクションとノンフィクションとの境

僕の家は変わっている。一般的な「当たり前」は形成されづらい環境下にあった。祖母は、父を異様に愛しているし、愛され過ぎた父は自己愛ばかりが育ち、僕は放置されていたのかもしれない。

二人をみていると、父と祖母の間には特別な繋がりがあるのは確かだった。よく祖母をみていると、そこに本当のことか嘘のことかより、もっと大切なことがあるように見えた。

ただ、これまでの16年間の父の振る舞いをみて、今回の「帰ってきた」話が明らかに虚実だと分かっていたけれど「じゃ、近くまで来てるなら会いに行ってくるよ」と思えたし、そう伝えた。

そう言うと、祖母は急ぐように身支度を始めた。
一人で行くつもりだったが、その姿を見て、祖母は父にすぐにでも会いたいんだなって、理解した。

もしかしたら父もどんな顔をして実家来たらいいか分からないから、近くにまでなら会いに来るかもしれないと、1%程の可能性だけ信じてみる事にした。

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▶︎ コント「祖母とドライブデート」

二人っきりで運転する立場になるのは、初めてのこと。
正直、それだけで特別なことのように思えた。これから起こる出来事よりも、自分の気持ちよりも、祖母との時間を面白く過ごそうと思って、コントだと思うことにした。祖母は、3本分のペットボトルの飲み物を持って、車に乗り込んだのだった。

移動中も、父の話をずっとしている。そして、いつになく楽しそうな表情を浮かべていて僕も嬉しかった。父と二人だったら何と話したらいいのか分からなかったけれど、祖母が喜ぶなら大丈夫だなとちょっとした緊張も鎮まっていくように、ハンドル握る力が抜けていった。

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約束した場所に、到着。
一生懸命になって、外を覗く祖母と僕。少しづつ移動をしながら、山道を探した。祖母は、歩くのも歩行器が必要なのにも関わらず、気が付くと車から出て、今出せる精一杯の声で叫んだ。健気な姿をみて、99%の疑いを捨てて、いっしょに大声で叫んだ。山の中腹に居るかもしれないから、もっともっと大声で叫んだ。別の場所に移動しながら、車の中で窓も閉まってるのに、祖母は叫んだ。なんだか込み上げてくる感情に言葉を与えるよりも、今はただ祖母を信じることが、正解だと思えた。

でも、結局父とは会えなかった。

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▶︎  道の駅のそばを食べながら

僕の中では、コント「祖母とドライブデート」は続いていた。
小さい時に訪れた道の駅に寄って、ご飯を食べた。しっかり歩行器を掴みながら、一歩一歩踏み出す祖母の歩測に合わせて歩いた。

ふと我に帰るように「時間を使わせてしまって、ごめんね。あの馬鹿が・・・。」と言い、「ばあちゃんの信じるを信じるからなんでもいいよ。」と伝えた。

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▶︎  真実とは、何か。

ひとりで歩けなくなったのは、本当は父の方だった。
いつの間にか祖母の支えなくては父は生きれず、祖母もまた父を支えることで元気で居たのかもしれない。

正直、警察や専門的な調査を入れた方がいいレベルのことのように客観的には見たら思うし、理解する。今、父が何処にいて何をしているかは、本当に家族の誰にも分かっていないし、携帯電話の番号を検索したら居場所が分かるサイトだってあるのを知っている。

ただその真実が、祖母にとって何になるかが重要だと思っている。(もう少し祖母が若かったら真実をぶつけていたかもしれない。)

ずっと騙されていた事実が祖母を苦しめないか、ぼくはこわい。
祖母は「あの子はそんなことするような子じゃない」と言い切ってるからだ。

ぼくは祖母の愛情も、父の行動も、理解はむずかしいのだけれど、「どんな事になっても、誰かを信用し抜くこと」だけ共感をする。そして、94歳の祖母の「父に会いたい」という純粋な気持ちをどうにか叶えてあげたい。これはエゴかもしれないけれど、祖母に対する愛情だと信じ抜きたい。

迷いはあるから、その祖母の気持ちを叶える為に心地よい方法をみつかるまでは、コント「祖母と父」の中で、演者をするだけだ。

今日も雨の中、約束した場所で待ち、来ることの無い人を来ると信じている人のことを思いながら、そしてこの記事を書いた。

▶︎  みんなの「当たり前」を認め合う

僕の家は、変わっている。
家庭にある「当たり前」と社会の「当たり前」には乖離がある。だからこそ誰も否定したりできないし、しないようにしている。それは、その人が培ってきた大切な何かによって形成されているから。

ただそのおかげもあってか社会の「当たり前」に傷付けられることが多い。誰かが誰かを傷付けないような、どんなに変わっていても認め合える世の中になればいいなと心から祈っていて、その活動の為に「対話」というコミュニケーションを大切にしている。

そんなぼくは、ぼく自身を変わっていないと信じているし、信じてくれている人を大切にして、祖母のように信じ抜きたいのである。

おわり。



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