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滝と音楽とヴィジュアル系と。

こんにちわ、滝です。

滝の役者になるまでのお話シリーズ。
特撮との出会い、漫画との出会い。
そして、今回は人生の半分近く費やした音楽、ヴィジュアル系との出会いをお話したいなと思います。


滝は元々音楽の授業は苦手でした。
歌は苦手、リコーダーや鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)もちゃんと弾けないし下手くそ。
当然テストは毎回先生がため息つくくらい。
かの有名な作曲家たちの名前なんて全然覚えられない。
びっくりするくらい音楽に興味がなかった人間でした。

そんな音楽が苦手な滝でもアニメや特撮の主題歌、当時流行ってたJ-POPくらいは聴いてました。
かっこいい曲だな~とか、流行ってるなあとかその程度でした。


毎日買った漫画を読み、漫画を描き、録画してた特撮やアニメを見て模写する毎日。
本気で漫画家を目指してた時です。
そんなときに「GLAY」と出会います。
当時は小4だったかな、「ヤマトタケル」というテレビアニメと特撮実写映画が連動された作品があったのですが、
その映画とテレビの主題歌をGLAYが担当してました。
全然音楽に興味がなかった滝でもGLAYには衝撃を受けました。
かっこいい人たちだなと。
当時はまだ「ヴィジュアル系」なんて知らなかった頃です。



小5になるとクラス替えで新しい友達と出会い、
よく家にお邪魔してゲームして遊んでました。
そのよく遊んでた友達のお兄さんが中学生で、
ギターやベースをやってたのかな?
その影響なのか友達もバンドに詳しくて。
その友達に教えてもらったのが「X(今のX JAPAN)」と「LUNA SEA」でした。
当時のXとLUNA SEAは髪は真っ赤、ピンク、金髪でロング、逆立て。
衣装とメイクは物凄く派手で、当時の私は「怖い」としか印象がなく、
友達が「どう?」「かっこええやろ?」と聴いてきても「すごいね」としか返事できなかった記憶があります。
でも曲を聴かせてもらった時は「かっこいいな、なんか耳に残るな」という感覚はあった気はします。


実は当時、うちの学校ではJ-POPをカセットテープにダビングして、
給食時間にラジカセで流すっていうのが流行ってまして。
滝も負けじと親にこの曲とこの曲ととレンタルしてもらってダビングしてました。
この頃から自然と音楽番組を観るようになります。
ちなみに初めてお小遣いをためて買ったCDはFEEL SO BADの「バリバリ最強No.1」。
全くヴィジュアル系でもなんでもないロックバンド。
「地獄先生ぬ~べ~」のアニメのOP曲でした。


そんなときです。
小5の終わりだったかな、今でも覚えてます「ニュース23」でXのhideさんが難病の女性をライブ招待したきっかけで交流が始まるという特集でした。
後にhideさんはこの女性との出会いがきっかけで骨髄バンクドナー登録をされます。
滝はこの番組を見て、「こんな見た目怖そうな人だけど優しいんだ」と偏見?抵抗?がなくなり、XやLUNA SEAを聴き始めます。
とはいえ、まだどっぷりハマるまではいかず、友達からCDを借りる程度。
まだまだ漫画やアニメを優先してたので、
CDを買い漁るまではいきません。
当時アニメの主題歌もヴィジュアル系バンドやヴィジュアル系出身のアーティストが歌ってたことも多かったです。
T.M.RevolutionやL'Arc-en-Ciel、黒夢を知ったのもこの時期です。
ちなみにGLAYで初めて買ったCDは「a Boy ~ずっと忘れない~」。
小6ながら歌詞に感動し、お年玉で買いました。


中学に入りテレビを点ければ当時は第2次ヴィジュアル系ブーム。
アニメにもドラマにもバンドマンがいっぱい出てました。
GLAYやラルクを筆頭にいろんなバンドがお茶の間を賑わせてました。
滝もCDを興味本位で買い始めたのもこの時期。
とはいえ、まだ音楽をやってみたいなどとは思わず。
相変わらず漫画とイラストを描く毎日でしたが、突然訃報が入ります。

Xのhideさんの死。

当時の私はびっくりでした、だって一番前向きな言葉や曲を書いてる人がそんなはずないと。
けどテレビを点ければ連日報道される葬儀場へのファンの列。
こんなたくさんの人に愛されてるのに本当に?という思いでいっぱいでした。
そして、次第に興味がわき、持ってなかった音源を片っ端から買い漁り、
そして次第に「興味」から「愛」に変わり、
この人みたいな音楽を創ってみたい、表現してみたい!という思いになり…ギターを買って貰います。

滝はhideさんきっかけで音楽を始めたのです。

そこからはもうすごかった笑。
もう新品やら中古やら片っ端からいろんなバンドを買いまくり聴きまくりました。
でも主軸が音楽に変わっただけで、
特撮、アニメ、漫画好きなのは変わらず。


高校に入り、平成仮面ライダーにドはまりすると同時に、
とあるバンドに出会います。

「cali≠gari(カリガリ)」。

丁度21年前、「第6実験室」というアルバムを出したばかりで、今のボーカルの石井秀仁さんに変わった時期でした。
初めてCDを聴いて脳が震えました。
このバンドやばい、とにかくやばい。
その一言に尽きます。
石井さんがきっかけでボーカルをやってみたいとなるのです。
(ちなみに本名の「晃太郎」をかっこいいと言ってくださったのも、石井さんです笑。)

ファンレターのお返事は今も大事に保管してます、宝物です。

石井さんからのファンレターのお返事。今でも綺麗に保管してます。



そこからはだいぶ端折りますが、
18歳でライブハウスに立ち、22歳で上京。
いろんなバンドをいくつか組み、
30歳になる春にヴィジュアル系を卒業しました。

バンド時代の話をするとスゴーく長くなります笑。
なので割愛!笑。

けどそのバンド時代ではいろんなことを経験させてもらいました。
全然売れなかったし、組んでは3ヶ月程度で解散し、
組んでは解散しとワンマンや主催どころか音源すら作ってないレベルでした。
だけどそこで出会った仲間は今でも連絡取り合ってますし、
役者になってから再会、仲良くなった人もいます。
不思議な縁ですね。
本当にバンド時代の経験は財産です。

色々お話しましたが、だいぶ端折りました。
だって全部書いたらもうキリがないんだもの笑。
細かい話とか聞きたいよとかあれば気軽にTwitterや InstagramのDMにお願いします。


次のお話はいよいよ役者になり始めた話ですね。
Twitterでもお話してたように「デカレンジャー」のお話をしたいなと思います。



では今回はこのあたりで。

お付き合いありがとうございました。



ではまた。

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