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綿毛

最初の一行、が書けなくてためらう。何度も書いて消して、やっぱりこんな書き出しになる。 今これを書いているのは2019年の春のはじめ、これを聴いているあなたは、いつか死ぬ間際のわたし。地べたか、床か、ベッドのうえか、瓦礫の下か、どこでかはわからないけど恐らくは横になり目を閉じている、今のわたしよりも確実に古くなったあなたの耳の近くで、2019年のわたしが詩を朗読します。ねぇ、初めて死ぬのはどんな気分? やっぱりとても苦しいものですか。2019 年のわたしは人が死ぬのをまだ一度も見たことがありません。死体なら何度か触ったことがあ る。おばあさんも、おじいさんも、若くして病気になった雑種犬も足のちぎれてしまった子猫も同じように冷たく縮んで硬かった。台所や理科室や自然のなかで、わたしはこの手で生き物を殺 めたこともある。でも自分の肉体が死んでいくのは初めてで、想像することでしかあなたに寄り添えないことがとてももどかしい。

あなたは、今までの面倒なことが全部終わって、真冬に暖かなお風呂で脱力するように死ねるんでしょうか。そうだといいな、と願うばかりだけれど、そこまでの道のりがどうであれ、そして今もしも一人きりであっても、あなたはふぅっと小さな息を吐いてほんのすこし軽くなって、 この厄介な身体という乗り物を置いて、どこか自由なところへ行くのね。泳ぐように。

人の魂の重さは21グラムで、その根拠は死んだ直後に人の身体がその分軽くなるからだ、と 100年以上も前のアメリカの医師が唱えたらしいです。どうにも怪しい論説らしいけれど2019年 のわたしはそれを信じていて、詩はおそらくその21グラムをつなぎとめている玉の緒なんだと、 2019年のわたしは考えています。ヘリウムの詰まった風船みたいに、21グラムの魂を、詩の細紐が肉体に繋いでいる。全部の人間の身体には魂がそんな風にくっついているに違いないと夫に話すと笑われてしまいましたが、結構本気で信じています。

詩は、肉体と魂、どっちについて行くんだろう。ここを離れる前に、それだけ見届けさせてほしい。2019年のわたしの仮説は、魂について行く。です。そして新しく生まれ変わるとき、まずは詩が、ま新しい肉体に、根を下ろす。

窓の外は春の夜の濃い群青。そのなかを気の早いたんぽぽが綿毛になって飛んでいく。緑のまっすぐな茎と放射状の葉の単純な死体。ぞっとするぐらいの頑丈な根っこ。あれらはやがて枯れてしまうのに、綿毛はいつかどこかへ届く。

手を握りますから、最後の息を、吐きましょう、ふぅっと。群青のなかへ綿毛を飛ばすよう に。


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