「健康である」も「生きる」も正しいはずである。出生前検査について考察する。
※説明のわかりやすさを優先するために「異常」という言葉を使います。現在の当事者様向けというより、一般向けに書いております。ご容赦願います。
医療は患者の合意をもってなされるべきだが、
医療には「インフォームドコンセント(informed consent)」というものがつきものです。インフォームドコンセントの言葉自体は、説明(informed)し、納得したうえで同意を得る(consent)という意味です。実際の内容もほぼその通りで、検査・診断・治療・その見通しに至るまで患者本人や家族が、医療従事者から十分な説明を受け、納得したうえでその方針について自己の意思で決定し、合意を得るというものです。病院に行って検査・治療を受けた方にアンケートを行えば、「十分にあった」と答える方もいれば、「不満がある」と答える方もいることでしょう。仮想の、あくまで仮想の潔癖な医療従事者が病院に行った際に「十分に」インフォームドコンセントあったということの例えを一つ。
昨晩からの39℃の発熱、感冒症状があり発熱外来を受診しました。この後に、体温、血圧・脈拍・経皮的酸素飽和度を測定し、咽頭所見の観察、呼吸音の聴取、胸部X線撮影、インフルエンザの抗原検査を行われました。至極よくある診療だと思います。この際に、担当の医師より「体温を代表とした、バイタルサインの計測が全身状態の評価に重要です。感染症によりショックとなる可能性もあります。咳も出ており、咽頭痛もあり、上気道炎である可能性が高いです。上気道の評価のために咽頭の所見を観察する必要があります。ここまでの検査では肺炎を起こしているかどうかは評価できません。呼吸苦はほとんどないため、肺炎を疑う症状まではありませんが、経皮酸素飽和度の計測、場合によっては胸部X線検査を行います。現在インフルエンザの流行期で、インフルエンザ感染である可能性が高いです。通常感冒は上気道へのウイルス感染で発症しますが、インフルエンザの場合は治療薬がありますので検査を行うメリットはあります。陽性であった場合、職場への出勤が規制されます。検査を行わず、インフルエンザ薬の投与のみを行うことは保険診療上できませんし、医療倫理上もできません。一方で、インフルエンザ感染症であれば、ほとんどの健康な成人であれば自然経過で治癒します。高齢者ではまれに肺炎となり、重篤化する症例もあります。子供では脳症を発症することがあります。」という説明を受け、納得し、お医者さんと患者で合意をもって、先にあげた検査を行いました。
全ての検査に対して説明をある程度行っています。しかし、これは現実的でしょうか?医療機関を受診した動機として、発熱・感冒症状の「原因を知りたい」もしくは「治療したい」ということがあるはずと推定されます。先にあげた事例では、原因を身体症状と一般的な検査で調べ、治療につなげるという過程に、非合理性はないのであまり説明なく上にあげた検査を行います。従って、通常は、診察室に入る前に体温、血圧、脈拍、SpO2を測定し、診察室に入るなり、「口を開けて喉見せてください。」、「胸の音を聞きますね」、に続いて、「インフルエンザの検査をしますね、それから念のためにレントゲンもとりましょう。終わったら待合室でお待ちください。」という流れになるでしょう。これで「なんで喉見せなアカンの?」と憤る人はいないでしょう。なぜその検査をするのか、その検査で何が分かるのか、その結果何が想定されるのか?ということについては知らないよりも知っている方がいいでしょう。しかし、それを通常行わないのは「社会通念」と「リスクとベネフィット」が関係しています。ついでにコストも。「お医者さんにお任せします」というやつで、個人的には悪いこととは思いません。
「社会通念」と「リスクとベネフィット」、それからコスト
「口を開けて喉を見せてください」では、「あ、喉をみて炎症の有無を見てるのかな?」と思うでしょうし、喉の中を見て危険なことはほぼ起きません。見た目に細菌性かウイルス性かを見分けることもおおよそには可能でしょう。では、「念のためレントゲンもとりましょう」ではどうでしょうか?社会通念としては「思ったより悪い状態を見逃してはいけないからレントゲンもとるのかな?」という方が多いのではないかと思います。一方でリスクとベネフィットでは、「レントゲンって放射線でしょ。被ばくしたくない。」と思う方はいるかもしれませんね。胸部X線を撮影では東京-ニューヨークを往復する飛行機の中で被ばくする量程度の放射線量といわれています。健康被害を起こすことはありません。が、得られる情報は「多分肺炎までは起こしてはいないと思うけど念のため」というためにレントゲンを撮りますので、このリスクとベネフィットを天秤にかけたときに納得して合意できるか、ということになります。ちなみに筆者はこの天秤では撮影してもらいます。
コスト面では上に挙げた検査を全て行うと、概算で自己負担は3,000円以内ではないかと思いますので、これを高いと思うか、安いと思うかは個人次第でしょう。ちなみに診察室で「この検査をしなかったらいくらになりますか?」という質問に正確に答えられる医師は少ないと思ってください。これは筆者の持論ですが、無駄な検査はよくないですが、コストを見ながら検査を組み立てると、必ず方針を間違えます。国民皆保険が導入されている国では、医療の基本方針はコストではなく医学に基づいて組み立てるべきです。
生まれる前にどんな「ヒト」か調べる出生前検査
さて、表題の出生前検査についてです。産婦人科領域では、NIPTがいまだに話題の中心です。NIPTとは日本語で「非侵襲的出生前遺伝学的検査」や「母体血を用いた出生前遺伝学的検査」のことで、他にも「新型出生前診断」などとも呼ばれます。正確には、この検査では「診断(つまり確定すること)」はできませんので、「診断」と名前付けるのは商業的で間違っていると考えます。母体の血液に混ざっている胎児の遺伝子を調べることで、ある限られた染色体異常について調べることができるというものです。
ある「ヒト」がどのような「ヒト」であるか、は生まれて育たなければわかりません。優しい「ヒト」、頭のいい「ヒト」、背の高い「ヒト」。これらは古来から生まれてこなければわからないことです。性格遺伝子の存在も示されていますが、現在もわかりません。
では、「男の子か女の子か?」はどうでしょうか?早ければ妊娠5カ月で教えてもらえることもあるでしょう。これが広い意味で最も一般的な「出生前検査」になります。しかし、実際にその子が男の子か女の子かどうかの診断は「外性器が男性型か女性型か?」という見た目によって決定します。少なくとも戸籍に関わる出生届の性別は「見た目」のみです。従って、もって生まれた疾患によっては担当医も悩むということが非常にまれにあります。そして、育った後に体の性と心の性の違いに悩む、性同一性障害がありますが、これこそある程度成長してから表出する問題です。
必要な出生前検査もあります。出生直後に高度な医療が必要なほどの疾患を抱えていないかということを生まれる前に推定することは、超音波検査が一般的になった現代の産婦人科では必要なこととなってきています。例えば完全大血管転移や大動脈縮窄症などの心疾患を抱えている場合、小児循環器が管理可能な施設で分娩する方が、個人の産院のいる施設で分娩するよりも圧倒的に救命率は高いと考えます。断っておきますが、正確な診断は難しいため、ここでは出生前の「診断」ではなく「検査」が必要であるという表現にとどめます。
このように、生まれる前にどのような「ヒト」であるのか?を診断することを広義の「出生前診断」と呼びます。最も多く行われているのは超音波検査で、その構造を観察することで診断します。ここには誤診以外の「リスク」はありませんし、日本では特殊な場合を除き妊婦健康診査の中で行われるため、コストもかかりません。どのような構造の違いまで見ているか、については「社会通念」と医療の常識の間にある程度の差はあるかもしれませんが。ですので、この検査を行うにあたりインフォームドコンセントが行われることはほぼありません。筆者は一度、「異常がありません」と説明したところ、怒り出した妊婦さんがいましたので、それ以降、①異常がない場合、②尋ねられない場合、は説明しないようにしていますし、それゆえ構造について精査していることも私からは伝えていません。「赤ちゃんの形を詳しく検査しますね。」と伝えて「やめてください。」という人はほぼいないと思っているからです。
超音波検査でわかるような形に現れない疾患もあります。今回の話の中心です。その代表格が21番染色体を3本もつ「21トリソミー」、別名「ダウン症」です。染色体異常という疾患群の一つで、胎児の染色体異常を調べることを一言で狭義の「出生前検査・診断」と呼ぶことがあります。
染色体とは両親からもらった23本ずつ受け継ぎ、ヒトが合計46本持っている遺伝情報の塊です。23ペアあり、哺乳類では性別を決定する「XY(男性)」や「XX(女性)」が一般的には有名です。基本的にはどれか一つが1本しかないモノソミー、もしくは1本多いトリソミーといった「数の異なり(異数体)」は「遺伝情報の異常(遺伝子疾患)」のなかでは比較的よく起こることです。実際には、ある遺伝子の一部の違いという塩基の変異や単一遺伝子の変異よりも、1本分の遺伝子情報が多いまたは足りないので、症状や形の違い(表現型)として表れやすいのです。ただし、これらの多くは発生初期の段階から生命を維持することができないため、ほとんどが流産するという運命をたどります。その中の、ある意味例外的に、生を受け、天寿を全うできる可能性がある染色体異常が21トリソミー、生を受けることができるものの短命である染色体異常が18トリソミー、13トリソミーです。21トリソミーは顔貌の異常、そして精神発達遅滞が必ず起こります。消化管・心疾患の合併も多いですが、内臓疾患については合併しない場合も多くあります。このような「染色体異常」は生まれ持って明らかに疾患を抱える先天異常の中の25%程度といわれています。
染色体異常の出生前検査・診断
染色体の数の違いは出生前に診断することが可能です。それも妊娠の比較的早い段階で。方法を列挙して簡単に説明します。
1. 超音波検査を用いたソフトマーカー検査
ソフトマーカー検査は、胎児の超音波検査によって行われ、染色体異常の可能性を示唆する特徴(ソフトマーカー)を評価します。この検査は通常、妊娠13週までに行います。ソフトマーカーには、頸部浮腫や血流、鼻骨の低形成などがあります。診断精度は完全ではなく、正常な胎児にもこれらのマーカーが見られる場合があります。リスクは非侵襲的であるため低いですが、誤診の可能性があるため、確定診断には追加検査が必要です。
2. クワトロマーカー検査
クワトロマーカー検査は、母親の血液中の特定の物質(AFP、hCG、エストリオール、インヒビンA)のレベルを測定し、染色体異常のリスクを評価します。この検査は妊娠15週以降に行われ、21トリソミー、18トリソミーの染色体異常と二分脊椎のスクリーニングに有用です。診断の精度は完全ではなく、偽陽性や偽陰性の結果が出る可能性があります。最大でも「約25%の確率で21トリソミーの可能性があります」というような結果の提示を受けるものです。非侵襲的であるためリスクは低いですが、陽性となった場合には羊水検査が必要です。
3. 絨毛検査
絨毛検査(CVS)は、胎盤から絨毛を採取して染色体分析を行う検査で、妊娠11〜14週に行われます。胎児の構成成分を採取して行う検査ですので、染色体異常を「診断」することが可能です。しかし、流産のリスクがわずかに高まるなどの侵襲的なリスクが伴います。絨毛検査は確定診断が可能であり、確定的な結果を求める場合に適しています。羊水検査と比較すると、比較的早い週数で可能な検査です。
4. 羊水検査
羊水検査は、羊水中の細胞を採取して染色体異常を調べる検査で、妊娠14週以降に行われます。こちらも胎児の構成成分を採取して検査するため「診断」が可能な検査です。流産のリスクがわずかに増加するという侵襲的なリスクがあります。絨毛検査と比較すると、流産率が低い検査となるため、現行では出生前「診断」の標準的な方法です。
5. NIPT(非侵襲的出生前遺伝学的検査)
NIPTは、母親の血液中の胎児の染色体を分析し、染色体異常をスクリーニングする検査です。理論上はあらゆる染色体異常が診断可能ですが、一般的には21トリソミー、18トリソミー、13トリソミーのみに限定して行われています。妊娠10週以降に行われ、高い精度でリスク評価が可能ですが、確定診断ではありません。非侵襲的でリスクが低く、偽陽性や偽陰性のリスクも比較的低いです。しかし、胎児の成分を直接採取しているわけではないことや、母体の年齢によってその精度が変化することから、確定診断としては用いられません。あくまでスクリーニングの一つという位置づけです。しかし、リスクの少ない妊婦の求めに従って全員に羊水検査を行うことは、流産率を高めるのみであり、これにより流産する胎児が増えては元も子もありません。従って、コストを考えなければ、出生前診断を受ける希望がある場合には、まずはNIPTを勧めます。
6. 着床前診断(PGD)
この検査は染色体異常を診断する「出生前診断」ためには用いられていません。着床前診断は、体外受精によって作られた胚の細胞を一部採取して行われる染色体検査です。胚を培養し、基本的には染色体異常や遺伝病のリスクを評価する目的ではなく、繰り返し流産してしまう方に妊娠継続しうる胚を選択するために行います。また、致死的な遺伝病の家族歴のある方に対しても行うことがあります。この検査は妊娠前に行われ、リスクは低いですが、すべての染色体異常を検出できるわけではありません。筆者は、生命倫理としてはこの検査は出生前検査には適しているものの、医療倫理としては全員に勧められるものではないと考えてます。
上に述べたようにスクリーニングの方法はいくつか存在しますが、診断するためには、最終的には、羊水検査か絨毛検査が必要です。
さて、出生前検査にはインフォームドコンセントは必要か?
答えはもちろん「YES」でしょう。狭義の出生前検査について、少し説明したことも踏まえて、実際に「赤ちゃんの染色体異常が心配です。」と質問された場合の説明をしてみます。
「染色体異常を正確に診断するためには染色体検査を行わなければわかりません。出生時に診断可能な疾患、先天性の疾患には致命的なものから軽微なものまで含めると約2%に存在するといわれており、その25%が染色体異常であるとされています。仮に、羊水検査を行っても先天異常の大部分は診断できませんが、染色体異常は特殊なケースでない限り診断可能です。胎児の疾患の多くは妊娠中に治療を行うことはできません。従って染色体異常を早期に知り得たとしても、その予後を明らかに改善させることはありません。日本の法律では胎児疾患を理由に堕胎を行うことは許可されていませんが、それとは全くの別問題として夫婦の合意のもと妊娠の継続をあきらめる権利が女性には付与されています。」
というところだと思います。これに続いて検査の方法について説明がなされます。
医療者側にも様々な意見があるとは思いますが、希望された方には現実的にはこのような説明がなされていることがほとんどだと思います。「社会通念」上は、説明した事実は一般的な認識とは程遠いものです。なぜならほとんどの人は流産することなく、妊娠・出産し、個性はそれぞれあるにしても、大多数と同じように赤ちゃんの頃から成人するまで、育っていく子の成長を見守ることができます。2%も何らかの疾患を抱えて生まれてくるなんて思ってもみないという方がほとんどです。それらのほとんどが生まれる前に診断がつくことはなく、加えて胎児期に治療することも、異常があるから中絶するということもできないことは「社会通念」からはかけ離れています。「リスクとベネフィット」については、早期に染色体検査で診断するベネフィットは①早期に知ることで精神的な安定を図ること、②その妊娠の継続を夫婦によって決定する機会を改めて与えること、となります。リスクは検査による流産と染色体異常の保因者であることを知ってしまうことです。自分の遺伝的な情報を知っていまうこととやそれが配偶者に知られてしまう可能性があることは、どんなにアイデンティティが確立した成人でも、仲睦まじい夫婦でもリスクではあるのです。このためインフォームドコンセントは欠かせません。
感冒症状の検査と出生前検査では、得られる情報とそのリスクが全く異なります。圧倒的に出生前検査の方がハイリスク・ハイリターンです。そして、人を「ヒト」と考えた時には、種の存続として生殖は誰にでも関係のあることで、出生前検査は気がついたらのそ当事者になっています。上の「一般的な感覚」に従えば、目的や方法、それにより分かることとそのリスクについては、全員に正確に説明されるべきだと考えています。知らない限りは、出生前検査を希望するかどうかもわからないからです。すべての親もしくは親になる可能性のある人、つまりは若者全般に対して説明がなされるべきで、可能であれば学校の保健や倫理の授業でも取り扱ってもいいほど、大切なことではあります。実感すること事例を一つ。
妊娠初期に妊婦さんに超音波検査をしていると、大きさ、心拍が問題ないことを確認し、それを説明した後に、「赤ちゃん大丈夫ですか?」と産婦人科医に質問することが度々あります。妊娠初期であれば一見して特に骨格の形態に問題がなく、大きさ、心拍に異常がなければ、「(医学的に)大丈夫」です。実際には、臓器の形態などあまり細かいことはわかりませんので、この時の医師の「(医学的に)大丈夫ですよ。」を「医学的大丈夫」とします。しかし、妊婦さんはおそらく「(一般的に)大丈夫」か?と質問しています。いわば「一般的大丈夫」というのは、どういう意味でしょうか。妊娠初期に、特に16週くらいまでに超音波で分かる「医学的大丈夫」ではない状態というのは、致命的なものが多いです。例えば心拍がない、頭がないなど一見してわかるものが多いです。そして、もう一つが上にあげた「ソフトマーカー」に異常のない「一般的大丈夫」か?という意味合いで質問されている方が多いと思われます。至極真っ当な質問で、親になるものの心理としては、大丈夫かどうかということは当然心配になります。各々のケースに従ってお返事しておりますが、この時点では「医学的大丈夫」かどうかについてお返事しています。一方で、少し有名になって「一般的大丈夫」の代表格となったNTと呼ばれる後頚部の浮腫は、最新のガイドラインでは一般スクリーニングとしては行われるべきではないということになりました。偽陽性、異常がないのにむくんで見えることが多いからです。さらに偽陰性、異常なのにむくんでいないことももちろんあります。多くはこのような会話をする時点で妊娠16~20週となっており、妊婦さんたちが心配する「一般的大丈夫」に応えるために、出生前検査を行うには遅い時期に差し掛かっています。妊娠をあきらめるには妊娠21週6日までに処置を終えなければならないからです。
最近では、「大丈夫」のすれ違いを避けるために、主に看護師さんや助産師さんから、出生前検査についての説明が提供されることが増えたと思います。
優先するのは「生きる」か「健康」か?
早速ですが、事例を一つ。
羊水検査の結果が21トリソミーであったにも関わらず、その結果を正確に説明しなかったため産婦人科医が民事裁判で敗訴するということがありました。最終的な判決自体には私も納得で、ご家族の不満や悲しみは幾許かと思います。特に、決定的な結果であったので、ミスしてはいけないものであるのですが、裁判所の主文についてはここに堂々と書くことができるほどに疑問があります。「(診断結果により)中絶を選択するか,又は中絶しないことを選択した場合には,先天性異常を有する子どもの出生に対する心の準備やその養育環境の準備などもできたはずであり,」とあります。この表現は、検査結果と中絶の選択の因果関係を認めていることになります。言い換えますと、「ダウン症だから中絶します」ということは法律的に正しいと、法律家が認めたことになります。この判決についてはネットニュースで知りましたので、業界で話題になっているというわけではありません。産婦人科診療に関わるものからすると、母体保護法では胎児理由での中絶は認められていないことは常識です。が、現実との乖離があることも承知しております。実は「胎児に異常があるので中絶します。」は法律上は認められていないのです。
これは一般の感覚からすると驚くのではないかと思います。出生前検査では胎児に染色体異常がないかどうかを調べます。異常があった場合は治療はできません。そして法律上、それを理由に中絶することはできません。多くの染色体異常で生まれてくる子は21トリソミーです。半数ほどは内臓疾患を抱えていますが、半数ほどは内臓疾患がない、つまり出生後に生命維持のために特殊な管理を必要としない子です。内臓疾患は専門家が超音波検査を行えばわかることがほとんどです。しかし、心疾患の正確な出生前診断率は40%程度と言われており、見逃すこともあります。
言いたいことがわかりにくいですね。つまり先ほど引用した主文の後半、「又は中絶しないことを選択した場合には,先天性異常を有する子どもの出生に対する心の準備やその養育環境の準備などもできたはずであり,」の部分が本来の意味での出生前診断の目的なのです。ここには「適切な医療の提供体制の整備」という文言が抜けていると思いますが、少なくとも中絶の選択の判断のためではないのです。法律上は。なぜか?
ここで出てくるのが「倫理的な」問題です。どんな検査もヒトが「健康」であるために行います。適切な治療に繋げるために行います。出生前診断も胎児が健康かどうかを診断することで、出産に際して適切な医療体制を提供できるために行っています。ということになっています。これは倫理として正しいです。
一方で、染色体異常という疾患は「健康」ではないのでしょうか?確かに、胚として発生した時点でのほとんどの染色体異常は「健康」ではありません。ほとんどが流産という形で死亡してしまいます。性を受けたわけではないので、死亡したわけでもありません。一方で、内臓疾患を伴わない21トリソミーの方は、「健康」ではないのでしょうか。天寿を全うできるほどに、「生きる」ことが可能な彼ら彼女らは、見方を変えると「健康」です。確かに見た目や精神発達は、一般の「ヒト」と比べると明らかに異なります。しかし、彼らを中絶という形で排除するのは、倫理的に「正しくない」という考え方があります。少し前に、背が低い男性に対して「人権がない」という表現をして、炎上したYouTuberがいました。炎上させた側の考え方に従うと「出生前診断で異常=中絶」という考え方は、その比ではないほどに「倫理的に問題がある」ということになります。
一方で「Women’s Rights」の考え方からは少し異なります。女性の人権問題です。誰もが「健康」を願っています。とはいえ、「健康」でない可能性が高い子を妊娠し出産することは、妊婦である女性の「健康」をリスクに晒します。場合によっては、その子は数時間で息を引き取るかもしれません。そのために10ヶ月もの間生活を制限され、出産という難題を越えなければならないとすると、「あまりに不条理である」とする考え方も存在します。加えて、仮に「健康」であったにしてもその後の養育に莫大な時間的経済的「コスト」を割く義務が発生します。主に母親が。精神的にも「健康」であるとは言えない状態になることは容易に想像できます。
このように、がんの診療のように「異常→取り除く」という単純な問題ではないのです。「生きる」ことは正しいです。「健康」であることも正しいのですが、最大多数の「健康」な人生のために「生きる」が奪われたり、たった1人の「生きる」のために多くの人間の「健康」奪われるという問題に突然、若者が晒されるのが「出生前検査」です。この専門家でも「倫理的問題」とお茶を濁している問題を、法律では規制していますが、現実はお茶を濁されている状態になっています。社会全体で取り組むべきとすべきですが、倫理観は各個人間で異なるものでもあります。
母体保護法の存在意義
最後に法律と一般的な倫理観がどのようにずれているのかということを述べて終わりたいと思います。特に専門家同士のこの手の会議で出てくるお決まりの文言に、「倫理上の問題から、、、」という様に、倫理の問題があるとされています。
妊娠中絶の可否についての倫理観を問うような議論はほとんどありません。実は専門家たちの中では答えが出ているような話題になっています。日本には宗教がないので「個人の選択」になっています。
専門家たちが議論するのは、その選択を迫る「出生前検査へのアクセス」についての倫理観です。産科婦人科学会の声明文にこのような声明があります。
この指針にはこのような文言もあります。
これらの文章からは、やはり法律では禁止されている行為が、一般には行われているものであることを容認しています。認めていることは大きな問題ではありません。このような学会指針とは社会で提供されている医療に際して、現場の医療従事者がその提供に際して判断に医療倫理的な観点から困らないように、基本的な立場と方針を示すものです。現実に出生前診断で異常を指摘された妊婦が妊娠を中断することは起きていることです。
そして母体保護法の文言でこのコラムを終わりたいと思います。その存在意義は、立法の経緯から、現在の運用はその存在意義が問われることになるのではないかと思っています。