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経口妊娠中絶薬が認可されて半年経ちましたので(?)、人工妊娠中絶を産婦人科医の視点から【解説・私見】

<はじめに私見を>

 まず初めに断っておきますが、私は妊娠中絶については賛成でも反対でもありません。私にとって、「人工妊娠中絶術」と言うものは、技術の1つであり、正当な理由があり、求められれば提供するものであります。きっと、多くの産婦人科医は同じ意見であると考えています。そこには、無宗教民族である現代日本人において、既に広く定着している排他的に多様性を受け入れる文化が根幹にあると考えています。言い換えると、隣の人間が人工妊娠中絶に賛成でも反対でもそれはそれで構わないのです。そして、人工妊娠中絶術というものは、母体保護法指定医にとって、仕事の1つです。慈善行為でも、正義の行動でも、社会を乱すものでもありません。言葉の受け取り方は様々ですが、人工妊娠中絶において、その是非を述べる事は、医師の仕事では無く、その処置自体が我々の「仕事」です。私は個人事業主ではないので、分娩件数が増えても、中絶手術数が増えても、個人の待遇に変化がありませんので、なるべく中立な立場でお話しします。


<日本の人工妊娠中絶術について>

 厚生労働白書には令和2年に約15万件の妊娠中絶の届け出がありました。この数は年々減少しております。ほとんどの事例で妊娠12週までに妊娠中絶が行われ、20~40歳が90%を占めています。理由については公表されてません。妊娠12週以降は、主に娩出後の出血量が多いことから、「中期中絶」として、分娩のように陣痛をつけるような方法で中絶処置を行います。それ以前の妊娠12週0日未満の症例については、人工妊娠中絶「術」として、多くは「掻爬法」と言うものが行われていました。そして、日本では現在も多くの施設で掻爬法が行われています。
この方法は以下の手順で行われます。

①子宮口を拡張する。(Dilatation)
②子宮内容物を鉗子で取り出す。
③遺残がないように、キュレットと呼ばれる器具で掻き出す(掻爬する)。(Culattage)
※これゆえD&Cと呼ばれます。アウスは「外に出す」という意味のドイツ語(Auskratzung)です。

 ポイントはその名の通り2つ、「拡張」と「掻爬」です。まず、この時期の妊娠子宮の子宮口は完全に閉鎖しているため、操作を行うために広げる必要があります。無理に突然拡張すると子宮が裂けることがあります(実際に裂けたところを見たことはありませんが)ので、特に未経産婦では前日か数時間前に水を吸って太くなる3-5mm程度の棒(ラミナリア桿もしくはラミセル)を子宮口に挿入して時間をかけて拡張しておくことが一般的です。鉗子はサイズが様々ですが、最も大きなもので15mm、通常10mmの大きさのものを用います。10mmの大きさの器具を子宮内に挿入して操作するためには、15−20mm程度の大きさに子宮口を広げておくことが望ましいとされています。このため通常麻酔をかけた後、ヘガールという拡張器で15mmまで拡張させます。掻爬の前になるべく卵膜を破綻させないように、胎盤鉗子と呼ばれる鋏で子宮内容物を取り出します。おおよそはこの操作のみで完了しています。この後に掻爬を行います。掻爬の目的は;
①子宮筋層に比較的強く付着している絨毛(後の胎盤)を排出させること。
②破綻して遺残している卵膜を排出させ、術後の合併症を予防すること
にあります。この「掻き出す」と言う操作を習う際に「筋層を掻破する感触」覚えるように教えられます。遺残物があると筋層のを掻破する完食ではなく、ツルツルとした膜の上を撫でている感触しかありません。ここで遺残物を完全に排出する目的は、その後に出血や感染と言う合併症をきたすからです。
 実際に、妊娠を中絶させるためには、絨毛と呼ばれる、その後に胎盤になる成分が排出されることが重要で、子宮の内容物を完全に排出させる必要はありません。しかし、結果的に輸血が必要なほど出血したり、抗菌薬を使わなければいけないほどの子宮内感染を起こす可能性があるので、子宮内容物を完全に排出させることを目指します。この「仕上げ」の掻爬をやりすぎると、子宮内膜を超えて筋層を過剰に傷つけることで、結果的に子宮内環境の悪化を招き、炎症による術後の過剰な疼痛や後の着床障害による不妊症、妊娠した場合の癒着胎盤や前置胎盤のリスクを上昇させます。このことはメカニズムはさておき、統計学的には正しいとされています。

<余談・麻酔について>

 ここで疼痛の話が出たので、子宮の痛みについて、余談を1つ。子宮内をキュレットで掻爬したときに感じる痛みは、子宮筋に傷が入る痛みが主ではありません。2つあり、1つは子宮口の周囲に存在する神経によるものです。もう一つは子宮の外側、すなわち、漿膜の刺激による痛みです。子宮の中の神経線維は疎であり、最も神経線維が密集しているのは子宮膣部であるとされています。したがって、子宮内腔の処置による子宮の痛みを防ぐには、傍頚管ブロックと呼ばれる局所麻酔で十分であるとされています。これは下記で参照している2012年のWHOの提言でも言及されていることです。
 この提言では、全身麻酔によるリスクを抑制するために、妊娠10週までの子宮内容除去術では、傍頚管ブロックを推奨しています。とはいえ、旧来より、全身麻酔や静脈麻酔で行われていた人工妊娠中絶術が、WHOが勧告したからと言って突然全世界で傍頚管ブロックで行われるようになるわけではありませんが、既に英国では、おおよそのクリニックで行われる人工妊娠中絶術は局所麻酔で行われていると言われています。この点については、日本でも見習わなければならない部分があると思いますが、ここで変化しないところが日本らしいところです。医療上も局所麻酔の方がコストがかからず、全身麻酔や静脈麻酔のリスクを負う必要がありません。日本で広がらない理由は、日本人が考える「麻酔」というほど痛みが取れないところで、歯科の麻酔のイメージとは程遠いと思います。例に出すと、コロナの予防注射を受けない理由が「痛いから」という人はやめておいうた方が良いと思います。

<人工妊娠中絶術についてWHOが提言した件>

 掻爬法が推奨されなくなった背景には世界保健機構(WHO)が「Safe Abortion 2nd Edition」という提言を公表したことによります。この提言については、様々な国の各事情で、様々に行われている人工妊娠中絶術について、少なくとも世界共通に「正しい」と考えられるおおまかな方針を述べたものになります。その序文を読むと、何をWHOが提言したかったのか?がおおまかに掴めると思います。

「毎年全世界で2,200 万件の安全でない中絶がなされていると推定されています。安全でない中絶のほとんどすべて(98%)が発展途上国で起きています。世界中での安全でない中絶の発生割合は2000年から変化していませんが、安全でない中絶の総件数は2003年の2,000万件から2008年の2,200万件へと増加しています。法律により幅広い適応事由によって中絶を認める場所では、中絶が法律によってより厳しく制限されている場所よりも、安全でない中絶の割合は一般的に低いのです。法律の及ぶ限り最大限、あらゆる女性にとって安全な中絶サービスが利用可能であり、かつアクセスできなければなりません。(原文直訳)」

WHO 「Safe Abortion 2nd Edition」2012

 この書籍として発刊されたガイダンスは2003年に初版が発行され、2012年に約10年ぶりに改定されました。そもそも世界に目を向けたWHOのような団体では、世界中の女性が直面し、且つ全体として解決可能な問題について議論し、提言を行います。例えば「子宮頸がんワクチンについて」だったり、「出生前診断について」だったり、今回の「人工妊娠中絶術について」だったりします。その宗教的、文化的是非については議論は上がりません。ただし、少なくとも「人工妊娠中絶術」というものについてアクセスできない環境は、女性の健康、権利、福祉の視点からは健全ではないとしています。2版では、人工妊娠中絶術が安全なものであるためには、発展途上国での医療技術上の問題点が改善されることと、法整備がなされている国でも人工妊娠中絶術に対するアクセスが容易であることが重要であるとしています。

 このうち、「医療技術上の問題点」については今回の提言の内容の中心となっており、要約は以下の通りです。

① 掻爬法は吸引法と比較し、安全ではなく女性にとって苦痛をもたらすものとなっている。従って、吸引法は掻爬法に取って代わるべきである。
② 掻爬法による合併症の頻度(発生率)は吸引法の2~3倍高い。
③ 掻爬法と吸引法を比較したランダム化比較試験は、最終月経から妊娠10週までは、吸引法はD&Cより迅速であり、失血が少ないことが明らかになった。

WHO 「Safe Abortion 2nd Edition」2012

 安全性については、医療水準が高くない発展途上国の医療水準において、明らかに掻爬法では合併症が多いということが指摘されていました。機械的な操作の少ない吸引法の方が妊娠中絶を達成するという意味では効果も安全性も高いのです。

 WHOおおまかな指針を提言する背景には、日本においての現在の母体保護法制定である優生保護法の制定の経緯と似ています。
この優生保護法が制定された1948年の時代背景として;
 ・戦後爆発的に人口が増加していたこと
 ・望まない妊娠が多かったこと
 ・人工妊娠中絶術の医療水準が低かったこと
という発展途上国と同様の社会背景が日本にも存在しました。このため、人工妊娠中絶術を法律上明文化し、施術においての規範を作ることで、適切な希望者に、適切な処置が行われる目的で優生保護法は施行されました。一部に問題のあった優生保護法ですが、根幹は医療の安全性を担保する目的があったのです。ちなみに議会の議事録にはここでは触れないほうが良いと判断されるような、現代の倫理的にはかなり問題になる内容の議論がなされていいる内容が残されいます。興味のある方は「逆淘汰」をキーワードに探してみてください。
 現在の発展途上国でも、同様に危険な人工妊娠中絶術が行われている地域があり、安全でない人工妊娠中絶術が施される女性が2,000万人以上おられます。その地域の公衆衛生や医療にコストがかけられない経済状況もこともさることながら、施術者の教育・医療水準においても安全であるとは言い難い現実があります。これを減らす目的で、安全性の高い吸引法を推奨することにしたのです。
 そして具体的なWHOの具体的な行動目標としての提言は以下の通りです;

① 掻爬法が未だに実行されている場合には、安全性と女性のケアの質を改善するためにD&Cを吸引法に取って代えるための全ての努力がなされるべきである。
② 人工妊娠中絶術が現在提供されていない場合は、搔爬法ではなく,吸引法が導入されるべきである。

WHO 「Safe Abortion 2nd Edition」2012

<吸引法の実際>

では、吸引法と掻爬法はどこが異なるのでしょうか?そんなにも違うものでしょうか?
吸引法にも実は2つあります。
電動式吸引法(EVA)と手動式吸引法(MVA)です。以下、吸引法の手順です。

<電動・鋭的吸引法>
①はじめに胎盤鉗子で子宮内容物を把持して排出させる。
②金属の吸引管で子宮内に遺残のないように吸引する。
③(オプション)掻爬で筋層のが露出されたことを確認する。

<MVA(手動吸引)法>
①キットになっているシリンジを密閉し準真空状態にするように陰圧をかける。
②カニューレ(~9㎜)を子宮内に挿入する。
③陰圧を解除する。

 日本では掻爬法が主であると先ほどから述べておりますが、前述のWHOの勧告を受けて、2021年に厚生労働省からの依頼を日本産婦人科医会は会員に下記のように通達しています。

人工妊娠中絶・流産手術については,WHOは別紙の通りEVA(Electric Vacuum Aspiration : 電動式吸引法)及びMVA(Manual Vacuum Aspiration : 手動式吸引法)を推奨しています。つきましては、こうした国際的な動向を踏まえて、EVA及びMVAについて会員に対して周知していただくよう、御協力をお願い致します。

 このように数年前から掻爬法から吸引法への転換はすでに始まっていました。電動式吸引法はやや古い方法です。子宮内容物を鉗子である程度排出させた後、遺残物を吸引で排出させます。吸引器が必要なのですが、多くの場合「吸引分娩」で使用する吸引器を使用しますので、産科の病院には大抵設備が整っています。この方法はエコーのない時代に「吸引されなくなる」=「子宮内容物が完全に排出された」と判断可能であったため、重宝したものと思います。欠点は、吸引圧がある程度のコントロールしかつかず、スイッチを切るまで吸引圧をかけ続けます。針のように尖っているわけではないのですが、硬い吸引管を用いて操作するため、子宮筋層を穿孔させるリスクが他の方法より高いといわれています。

 そしてMVA吸引法ですが、手動で吸引圧をコントロールし、先端の吸引管はやや硬いシリコン程度の硬さしかありません。したがって吸引圧が高くなりすぎることもなく、穿孔を起こすほどのコシもないというデバイスです。この器具は50x20㎝程度のキットになっており、ダイレイターと呼ばれるヘガールの代わりに頸管拡張に用いる器具、その器具と内診台または分娩台、消毒・腟鏡・膿盆があれば可能になっています。さらに麻酔は局所麻酔が推奨されておりますので、キットの価格を考慮しなければ、コスト自体はずいぶん抑えられることになります。施術時間は5分もかからず妊娠中絶が完遂可能で、かつ合併症が少ないということであれば、これまでの方法を行い続ける理由はありません

<人工妊娠中絶術の合併症>

 ここで産婦人科医として心配になることがあります。それは「本当に合併症が少ないのか?」ということです。これに対する答えは、2015年の全国的な調査で、すでに検討されています。要約を述べます。

・約10万件の調査で人工妊娠中絶術の合併症は0.4%
吸引法(2万件)では0.1%、鋭的吸引法(3万件)で0.3%、掻爬法(5万件)で0.6%、経口中絶薬(300件)で0.7%であった。
・350件程度の合併症のうち、遺残が300件と合併症報告のほとんどを占める。
・穿孔と出血は20件に満たない程度。
・症例数にかなり差があるものの、遺残の確率が吸引法では少なく、内服では出血と穿孔は発生しなかった。

Sakaguchi et al. International J Gyn Ob 2015

 この調査研究には鋭的吸引法、吸引法を行った後に掻爬を追加する方法も含まれています。鋭的吸引法はやや合併症が高いという結果になっており、「なぜ、せっかく吸引法を選択したのに、諸悪の根源である掻爬を行うのか?」と聞こえてきそうですが、多くの産婦人科医とって処置を行ったのに、目的を達成できないことは避けなければなりません。完全に子宮内容を除去しなければならないという考えは、人工妊娠中絶術が「子宮内容除去術」という術式であるということに由来します。子宮内容除去術は、文字通り子宮内に存在する例えば流産した内容物、異物、感染巣、がんなどの新生物を除去する、産婦人科のキホン中のキホンの手術です。今あげた「内容物」は必ず除去してしまわなければ、医療として問題があります。この手術を人工妊娠中絶にも用いるのが、人工妊娠中絶「術」である、というのが掻爬法の考え方です。
 しかし、実際に「人工妊娠中絶」を行うためには、絨毛が排出されれば妊娠は中絶したことになります。もし遺残物が発生した場合は、感染や出血のリスクが上昇しますが、多くの場合は自然に排出されます。「人工妊娠中絶」の目的を達成することと、子宮内容を除去することは、本当はイコールではないのです。証拠に、子宮瘢痕部妊娠という特殊な異所性妊娠があります。主に帝王切開の傷の部分に妊娠し、その後子宮破裂を起こす可能性があるため、医療上妊娠中絶を行うことがあります。これらの症例に、初期であればメトトレキサートという免疫抑制剤であり抗がん剤としても用いられる薬剤を局所注射して妊娠を中絶することがります。流産となった病変は稀に自然排出され、その後の処置が不要となることがあります。後にわざわざ子宮内容除去術を追加することはありません。
 加えて、上記の論文でも指摘があったように、吸引法は掻爬法よりも遺残や穿孔のリスクがむしろ高いとされています。自分の感触で子宮内容を輩出させた方がより安全で有効と考えるのは、その産婦人科医の自己満足かもしれません。少なくとも、MVAキットでは、取扱説明書に書かれている通りに行えば、技術差すらなくなるため、その上で遺残や穿孔リスクが提言するのであれば、吸引法を行わない理由はありません

<比較による吸引法による人工妊娠中絶術のメリット>

 では実際に吸引法ではどのようなメリットがあるのでしょうか?ここは貴繰り返しになるのであっさり行きたいと思います。メリットを箇条書きにして、後に開設したいと思います。

  1. 頸管拡張が容易

  2. 柔軟なカニューレにより穿孔のリスクが低い

  3. 吸引圧が調整できないため、誰が行っても同じ

  4. 使い捨てであり、清潔

1. 頸管拡張が容易」という点ですが、この点はカニューレの太さが9mmまでであり、事前の頸管拡張は不要とされています。このことは、局所麻酔であれ、静脈麻酔であれ、すべてが麻酔がかかってからの処置となるため苦痛の提言につながります。麻酔という意味でいうと、操作が単純であるため、苦痛も少なく、このため局所麻酔でも可能とされています。
2. 柔軟なカニューレにより穿孔のリスクが低い」これは理解しやすいと思います。ヒトによっては子宮が高度に前屈や後屈していて、形状を可変的に変化させることのできない金属鉗子では無理な力が加わるため、危険な操作になることもあります。一方で、「やわらかいので大丈夫」という慢心を生むというデメリットも指摘されています。
3.吸引圧が調整できないため、誰がやっても同じ」という点は、言葉通りで、調整やコツのようなものが存在しないので、結果は誰がやっても同じになります。一方で、手技が簡単になると困難症例などへの対応が難しくなり、特に教育面では、技術力の低下が懸念されいます。
4. 使い捨てであり、清潔」という点は、日本の医療機関などには当てはまりませんが、発展途上国などで、器具を滅菌する設備が整わない環境でも清潔に使用できるという意味です。

<手術としての人工妊娠中絶術についてのまとめ>

 あくまで個人の考えですが、エビデンスという意味でも、少なくとも人工妊娠中絶術と流産手術においては、傍頸管ブロックもしくは静脈麻酔併用の手動吸引式子宮内容除去術が最も良い方法だと思います。断っておきますが、「個人が正しいと思う」とか、「統計学的に正しいと考えられる」ということは、即座に社会に反映されません。なぜなら、机上の空論だけで本当の意味で真実かどうかはわからないからです。加えて、少なくとも医療の現場では様々な歴史を経て、現在の形ができています。それを即座に変化させることは困難だと思います。しかし、確実に変化はしてきているので、手術としての人工妊娠中雑術は、手動吸引式が主流となり、掻爬法は淘汰されるでしょう。
 手術に関して最後に1点。掻爬法の合併症に「アッシャーマン症候群」を挙げ、このため子宮内容除去術は危険である、吸引法は安全である、とする方がいます。しかし、証拠のない話です。アッシャーマン症候群とは子宮内腔が何らかの理由により癒着し、内腔がふさがってしまって、子宮内に空間がなくなる状態のことを言います。主に不妊症の分野で問題となることが多い疾患です。掻爬法を行うと、子宮内腔に傷が入り、創傷治癒の過程で子宮内がお互いに癒着する、と想像されます。確かに、アッシャーマン症候群の15~40%は掻爬の後に起こっています。しかし、吸引法でも起こりますし、この後にお話しする経口妊娠中絶でも起こります。少なくとも流産(人工・自然)や分娩、感染ということは関連があると考えられます。掻爬法を行ったからアッシャーマン症候群を起こしたという意見を真実として採用するには早いように思います。
 少なくともここでは、「吸引法が人工妊娠中絶術には最も適した方法である」という意見ですが、この理由に「アッシャーマン症候群の発症が少ないから」という意見は含めないものとさせてください。私見は「気持ちはわかるが、それはわかりません。」です。

<経口妊娠中絶薬について>

 さて、ようやくここまで来ました。令和5年4月より経口妊娠中絶薬の使用が日本で認可されました。しかし、未だ広く用いられているとは言い難いものであります。ちなみに先ほどの2015年の調査は日本で行われたもので、内服の中絶薬が含まれていましたが、これは2013年より当薬剤の臨床試験のデータを用いたものと考えられます。
 はじめに個人的な意見をいいますと、反対も賛成もないのですが、おすすめはしません。希望される方には、その価値は理解できますし共感します。ただし、つらい時間が長いことと、効果、つまり成功率が低いことが問題点として存在します。
 日本で導入が遅いかったのは、この薬に限ったものではありません。何も倫理の問題や文化の問題でもなく、(批判的な意味ではなくて)PMDAの認可にとにかく時間がかかるから、というどちらかというと行政的な遅さだと思われます。産婦人科医たちは賛成も反対もありません。しかし、使用するかどうかは、「医師の裁量権」にゆだねられます。どんなに先進的な方法であっても、なじみのない方法を選択して、患者を危険な目に合せるわけにはいきません。開腹手術しかしたことがない医師が、突然明日からロボット支援下手術を行うようなものです。

 この薬は少し複雑な服用の方法が必要です。2種類の薬剤を使用します。下記の図のように、はじめに「ミフェプリストン」という薬剤を服用します。原則、母体保護法指定医師の目の前で服用します。この後は帰宅可能です。その36~48時間後、つまり2日後にもう1つの薬剤「ミソプロストール」という薬剤を内服します。ミソプロストール内服後は原則入院という決まりになっています。2つの薬剤とはいえ、1つの製品として販売されているため、「片方だけ購入したい。」というわけにはいきません。妊娠9週までの人工妊娠中絶に使用します。流産の処置の代わりに使用することはできません。基本的には3日間かかります。価格については、薬剤料+入院費がかかるため、手術と同等かむしろ高いのではないかと思います。中絶術は自費診療になりますので、医療機関によって設定しています。


経口妊娠中絶薬の使用方法

<経口妊娠中絶薬の効果>

 薬剤での妊娠中絶は、子宮頸管を薬剤で柔らかくして、子宮の収縮を促して子宮内容物を排出させる、というメカニズムです。従って、排出させることで中絶を完了させます。絨毛を機械的に摘出したり、メソトレキサートのような絨毛への毒性を持った薬剤で妊娠を中絶するのではありません。このため、薬剤の効果が不十分であれば、妊娠の中絶が不成功に終わるということが起きます。
 120例を対象とした臨床試験での中絶成功率は93.3%でした。特に2剤目である「ミソプロストール」内服後では4時間までで60%、8時間まででは90%の症例で成功したとの結果でした。残りの6.7%の方はどうなったかというと、人工妊娠中絶術を行うことになるということになります。
 これを「効果がある」と判断するか、「あまり効果がない」と判断するかは、実は実際に使用する個人、つまり女性自身にゆだねられることになります。参考までに、実は2002年に公表された、手動吸引式人工妊娠中絶術と経口妊娠中絶薬を比較した海外の報告では、吸引式で242例中5例、経口で203例中11例の不成功例があったとしています。やはり、5%程度の中絶不成功があるようです。

<経口妊娠中絶薬の副作用>

 では、副作用はどうでしょうか。
 こちらも同じ臨床試験で、投与中に頻度の高い副作用として、腹痛と嘔吐があります。子宮収縮を強めて子宮内容物を排出させるため、当然といえば当然です。約30%の方が腹痛を自覚し、20%の方が嘔吐したとあります。
 重篤なものは4例に発生しました。それぞれ重複がありますが、出血性貧血、サイトメガロ ウイルス感染、子宮内膜炎、細菌感染、子宮筋緊張低下、不正子宮出血、投与後に不完全人工流産があります。
 こちらも参考までに先ほどの2002年の報告では、嘔吐は半数程度とされており、多量出血は吸引式では242例中2例、経口では203例中4例、但し輸血が必要だったのは吸引式の1例のみでした。この研究では、「次回も同じ方法で妊娠中絶を行いますか?」というアンケートも行っており、吸引式では96例中76例(79.2%)、経口では67例中47例(70.1%)でした。
 これが多いと感じるかどうかも個人にゆだねられることになります。

<それでもなぜ経口妊娠中絶薬を選択するのか?>

 上に記載した通り、吸引法と内服では、数字の上では、効果・合併症ともにそこまで変わりません。明らかなデメリットとしては腹痛の合併症があり、処置ではないので時間がかかるのも当然です。現在の日本の医療ではどちらも入院が必要であり、どちらも金額は15万円前後ではないかと思います。

 認可された後、やや下火になったものの、依然内服での妊娠中絶を希望される方はおられます。なぜでしょう?一つには「経済的理由」としてまとめられている妊娠中絶にあると考えます。
 どんな女性も、周囲の人間も、かかわる産婦人科のスタッフも、喜んで妊娠中絶を選択する人はいません。何も負担することがなければ、妊娠中絶は選択しないし、したくないはずです。産婦人科医としても、ぜひ産んでほしいと思っています。
 しかし、何らかの理由で妊娠の継続をあきらめなければいけない事情があり、それらの妊娠中絶の理由はすべて「経済的理由」となります。いろんな意味で経済的に困窮し、妊娠を継続し、母親になることは母体の健康を損ねる可能性があるのです。しかし、引き換えに一つの命になるかもしれなかった、新しい可能性を失うことになります。これは残念なことですが、仕方のないことです。この倫理観の議論は、別に譲ります。

1. 受容のために必要な時間を作る
 いくら仕方がなくても罪悪感は消えることはありません。この罪悪感受けとめて、自分の中に受容するためにはきっかけや時間が必要な場合があります。理想的には本人と、家族と、胎児と分かち合う時間として、約3日間を過ごすことは、後のメンタルヘルスにとって影響を及ぼすと考えます。「影響を及ぼす」としたのは、いい影響も、悪い影響もあり得ると考えるからです。実際に、人工妊娠中絶術の術後や中期中絶などで痛みを訴える方の中に、その痛みは自己のこれからのために必要なものであると考えている人が少なからずおられます。
2. 子宮内環境のことを考えてる
 もう一つは、前述のアッシャーマン症候群のことを心配しておられ、外科的な処置が子宮に加わることについて、否定的にとらえている場合です。これは結論が出ていませんので、何とも言えません。

<最後に>

 様々な理由で人工妊娠中絶術を受ける方がいます。本当に理由は様々で、環境も様々です。上に「経済的理由」と一言にしましたが、お金の問題だけではないのが実情です。経済環境、家族関係、社会的立場など、妊娠に関連して悩みを持つ人はさまざまです。望まない妊娠による、望まない処置は産婦人科医としても行うのは心苦しい限りではあります。
 一方で、人工妊娠中絶は方法の如何に関わらず、無くならないものであり、アクセスできないようなものであってはいけません。こんなことを言うのは申し訳ないですが、現実問題として若い女性は社会的には弱者です。特に妊娠中絶に関する話題は、避けてしまいたくなる事柄ですし、家庭で学校で教えにくいと思います。少なくとも、政府や自治体の広報される方は妊娠について悩む多様な女性に、様々な形でアプローチを行う必要があると考えます。産婦人科医は医療機関にいますので、ある程度の制限があります。実際に世に出て、発信することができない状況にあることがほとんどです。しかし、多くの同志とともに産婦人科医は女性の味方であり、その健康と福祉を守ることで女性の幸福を支えることができるものと信じています。



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