『赤毛のアン』の読書会事始め
❇︎ 拙著からアンの読書会の様子を描いた1章を転載します。
雰囲気を感じていただけると嬉しいです。
『アンが愛した聖書のことば
-『赤毛のアン』を大人読み-』
目次
はじめに
1 『赤毛のアン』の読書会事始め
2 アン、ことばを熱愛する
3 まず内側から
4 アンが愛した聖書のことば(主の祈り)
5 マリラ、新しい愛の出現
6 マシュウ、神の愛
7 ギルバート、赦しと和解の物語
8 牧師夫人モンゴメリーという人生
9 村岡花子とアン
10 天国をこころに持つ
11 新しい朝
12 道の曲がり角
( いのちのことば社2014年刊行 )
1『赤毛のアン』の読書会事始め
神のなさることは、
すべて時にかなって美しい。
伝道者の書3:11
読書会は出会いが楽しい。一冊の本を掛け橋に、思いを分かち合って共感し、ときには、感性のサビを落としてもらって感謝する。満ち足りて本を閉じ、再会を約束して手を振る。
都会のサードプレイスのひとつになれれば。小さな願いだ。「第三の場所」とは、家でも職場でもなく、そこに行くと気のおけない仲間がいて、自分がありのままで受け入れられる場所を言う。
『赤毛のアン』をこのサードプレイスでも読みたいと、長年思っていた。
ふだんの読書会は、年齢、性別、読書経験を問わず、すべての大人に間口を広げているが、今回は「アン好きな女性」に限定しようと決めた。
会場は、あえて私たちの教会にした。モンゴメリにちなんでということもあるが、米軍払い下げのかまぼこ兵舎を再利用した古い会堂は、百年以上前の本を読むには似つかわしいと思ったからだ。戦後すぐからある重い長椅子を向かい合わせ、アメリカ系の大型スーパーで買った長テーブルには、淡いピンクのバラ模様のクロスを掛けて時代を隠した。
お菓子作りの腕を見込んで、同じ牧師夫人仲間のメリーさんに声をかけた。メリーさんはもちろん愛称で、私と同じ日本人だ。子どものころ、アンに出てくる「輝く湖水」だとか「歓喜の白路」だとか、想像力をかき立てられることばの数々にときめいたという。
「最後にアンがつぶやくでしょう。『神、天にしろしめし、世はすべて、こともなし』。本当にそうなんだわって、前向きな気持ちになれるのね」
アンの物語は手違いから始まる。手伝いをしてくれる男の子を願った兄妹の家に、孤児の女の子がやってきた。人生悲喜こもごも。でも、そのひとつひとつに意味と時があり、最後には「すべて世はこともなし」となる。
初めまして、とブログを見て読書会に集まってきた女性たちは、三十代からそれ以上と、各世代がほどよくばらけている。今もアンの人気は層が厚い。
いつもの読書会ではまず、その日の呼び名を決めてアイスブレイク代わりとする。当り障りなく、自分の名前を選ぶ人が多い。でも、ここはアンの世界だ。
「アン・シリーズの登場人物の名前はどうでしょうか?」
提案してみると、もう名前が口に上る。なりきるのはアンの得意技だ。
「コーデリア・フィッツジェラルドは、やり過ぎですよね?」
ひとりが言う。参加者たちが、うふふ、と笑う。ああ、アンの読書会が始まったのだ。でも、門外漢にはわからない会話で、少し怖いかもしれないけれど。
「コーデリア」とは、アンが間違ってグリーン・ゲイブルズ( 緑の切妻屋根 )に来た日、マリラに名前を尋ねられ、「コーデリアと呼んでくださらない ?」と答えた話による。自分の名前は、平凡な「アン」ではなく、すばらしく優雅な「コーデリア」だと思ってきた。アンの説明に、堅物のマリラは「何を言っているのか、さっぱりわからないね」とあきれる。
アン・シリーズ全体で見ると、登場人物は四百人以上いる。選ぶのに迷いそうだが、さすがにアン好きの集いだけあって、ダイアナ、ルビー、マリラ、リラ、プリシラと、アンの家族や友人たち五人の名前に即決した。メリーさんは照れたのか、メリーさんのままとなった。
ダイアナはアンの親友だ。初めてその名をマシューから聞いたアンは、「なんて完璧に愛らしい名前なんでしょう!」と感激する。髪も目も黒く、バラ色の頬を持つ美人だが、太めなのを気にしている。想像力はやや乏しい実際家だが、それ以外のことは何でも器用にできる。
同級生のルビーは、あでやかな美人だ。クイーン学院でも学友だった。リンド夫人はルビーの美しさを「大きな赤い芍薬」にたとえ、アンは「白水仙」のようだと表現した。
アンの友だちはタイプの違う美人揃いで、モンゴメリーは女性たちを巧みに書き分ける。人物設定の細やかさが、アンの世界を支える大きな魅力だ。
リラはアン・シリーズ『炉辺荘のアン』に登場するアンとギルバートの末娘。正式にはバーサ・マリラ・ブライスという。リラの名前はマリラから取った。マリラは、グリーン・ゲイブルズの主人マシュウの妹。
読書会でマリラの名前が挙ると軽くどよめいた。「マリラは、いいですよね」とだれか。「ほんと、ほんと」と他の人たちも同意して、空気がさらに熱くなる。
子どものころには気付かなかったが、『赤毛のアン』を支えるマリラの存在は大きい。アンを引き取ったとき、すでに壮年だった。独身を通してきたマリラは、一見堅苦しいように見えながら、その実は、ユーモアを解し愛情に満ちている。大人読みには欠かせない人物だ。
私が選んだのはプリシラ・グラント。クイーン学院の同級生だ。アンと同じレッドモンド大学卒業後、海外宣教師と結婚した。シリーズ第六巻『アンの夢の家』では、夫の宣教の働きに伴って日本で暮らしている。現役の牧師の妻としては悪くない選択だろう。フィリッパ・ゴードンも牧師と結婚したアンの同級生だが、こらちは超美人の大金持ちなので遠慮した。
名前を選んだ理由とアンとの出会いを語って一周する。自分自身のライフヒストリーの一端を語ることになる。小・中学生で出会った人が多いが、中には、結婚してからアニメのほうを夫に勧められて好きになり、原作を読み始めた人もいた。これで軽く一時間近くが過ぎる。
いよいよメリーさんの焼いたケーキを囲んでお茶会となった。
「今日のケーキは何だと思いますか?」
「レイヤーケーキかしら」
やはり当てられてしまったか。アン好きならば、忘れられないエピソードに出てくるのがこのケーキだ。
アラン牧師夫人のためにアンが心を込めて作った。それなのに、アンは痛み止めの塗り薬を間違えて使ってしまった。
レイヤー・ケーキとは、焼いた生地を横二等分に薄く切り、ジャムやゼリーをさはんでレイヤー(層)をつけたケーキを言う。
メリーさんが運んでくる。丸いケーキの横から、ラズベリージャムの愛らしい赤が上品に顔を見せる。表面にはパウダーシュガーがふうわり。白いティーカップに、熱々の紅茶が注がれる。ディンブラを選んだ。カップの小花の絵付けは、メリーさん自らが手がけた。
レイヤー・ケーキの配合は、小麦粉とバター、砂糖、卵がすべて同量。シンプルだからこそ、作り手の腕と人柄がそのまま出る。端正で誠実なおいしさだ。
アンの時代、アヴォンリーの村にはカフェなどない。お茶会は貴重な社交の場、ここで交わりを紡いだ。顔を合わせておしゃべりをすれば、距離が縮まる。ハレの気分を味わって、また日常に戻る。まさにこの日のように。
アンの世界には、電気やガスもなく、調理用ストーブでまかなった。食糧は自給自足だ。畑で小麦を栽培し、雌鳥が産んだ卵を使う。バターやチーズは、家で飼っている乳牛の乳を絞って作る。食事が暮らしの中心に据えられている。
「アンの時代の生活はタフですよね」と本日のマリラさんが言う。「薪を用意したり、鶏の首を絞めるところからですものね」とプリシラの私。ルビーさんもリラさんもメリーさんもうなずく。どうやら、アンがレースやフリルの世界だと思われがちなことに、みな一家言あるようだ。
日常のこまごまとしたことに、アンは喜びを見出す天才だ。日々の暮らしを慈しみ、アンは人生をまっすぐに愛する。絶えず向上しようと努めるけれど、やせ我慢をしていい子になろうとはしない。失敗したら、それを次に生かしていけばいい。ふくらんだ袖のドレスとか、欲しいものは欲しいと言う。だからいいのよ。
こんな話が引きも切らず続く。大好きな古い友だちの話を自由気ままに紡いでいるだけなのに、話していると嬉しくなる。日常のささくれや、角ばった思いが、とんとんと音を立てて落ちていく。
アンはいつも、読み手をまっさらな気持ちにしてくれる。
あれだ。ヨハスベテコトモナシ。