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昨日と今日の区別がつかない(おっさん金魚ラジオ vol.6)

感動的な映画だった。

おっさん金魚は背骨をバキバキと鳴らす。
同じ姿勢をずっと取っていたおかげで、体が固くなっている。

血液が一気に体をめぐり、少しくらくらした。

彼は目を閉じ、今朝の出来事を頭で反芻する。
「今朝のウンコは、2センチはあったな。いや、あれは昨日のことだったかな。そういえば今日はまだウンコが出ていないのかもしれない」
なんだか急に腹が張っているような気分に陥る。

そこへ緑の金魚が、いつものように郵便を届ける。
いやに大きな小包の側面には、こんな但書がある。

ちひろ、31歳。
あと9日で32歳になる。

あと8日で9ヶ月になる娘と、34歳の夫と暮らしている。
夫はフルリモートフルフレックス勤務で、基本的に24時間365日同じ屋根の下にいる。

包みの中には、ちひろが丸まっている。
おっさん金魚は包みを元のように梱包しな…

(ちひろ)
せいせいせーい!
せめてツッコミ!

(おっさん金魚)
今はやめて。ほんまやめて。
僕な、今『ショーシャンクの空に』を見たところやねん。
ツッコむテンションと違うねん。

(ちひろ)
でもわたし、悩んでるんです。
悩んでるっていうか、いや毎日悩みはゼロなんですけど、まじ幸福なんですけど、でもなんか無気力感に襲われていて。

(おっさん金魚)
うん。じゃあ聞くよ。

(ちひろ)
昨日と今日の区別がつかない、って感覚、わかります?

(おっさん金魚)
最高やないの。
当たり前のように、毎日が繰り返されていく。
平和の象徴やね。
ところで、象徴と記号の違いってわかる?

(ちひろ)
わかりません。

たしかに、今日の夕ご飯が食べられるかどうかわからない、みたいな状況ではないことには感謝していますよ。
産後直後ほど忙しいわけでも、しんどいわけでもない。

娘の成長は目をみはるほどで、それを見ているのはもちろん楽しいし、きゃわわわわ、って感じで。
ただ、なんとなく同じところをぐるぐる回っている感じというか、ね。

もちろん、毎日がまったく同じスケジュールってわけじゃないんですよ。
むしろ、娘の寝るタイミングとか、機嫌とか、離乳食にかかる時間とかで、予定なんてあってないようなもんで。

(おっさん金魚)
メタファーとイデアの違いは?
人類が存在する意味とは?
自己と他者の境界線は?

(ちひろ)
スケジュールは読めない。
でも1日が終わってみて、やったことをリスト化してみると、毎日ほぼ同じなんですよね。
その中で優先順位の高いものは、もちろん娘のお世話関連で、自分が健やかに過ごすためのもろもろ、運動とか読書とか翻訳とかボランティアの仕事とか、そういうのが次いで入ってくるわけですが、
まあとにかく「まとまった時間」をみつけるのが難しい。

自分の好きなこと、できることはできる。
2分後に娘が泣くかもしれんし、15分後かもしれんし、1時間後かもしれん。
5分後に泣いたあと、15分したらお昼寝して、そのあと1時間半寝るかもしれん。

でもね、一旦「やるぞー!」が折られたあと、また「やるぞー!」を復活させるのって、なかなかしんどいんです。
特にそれが、何度も、何日も、何ヶ月も続くと、「どうせ…」みたいな気持ちが頭をもたげてくる。

朝起きたとき、今日何しようかな? ってわくわくする気持ちよりも、今日のスキマ時間はどうやって過ごしたらいいんやろう、っていう億劫な気持ちに変わってくる。
むしろ、娘のお世話でてんやわんやしまくっていた時期のほうが精神的に楽やったかもしれん。

でもね、こういう気持ちも、贅沢なんです。
ネットで限界を訴えているワンオペママさんほど大変なわけではもちろんないし、
娘を預けて一人でエステとか映画館とか行きたいわけでもないし、
娘はまじでいい子やし、子育てカテゴリ楽ちんランキングの上位に食い込む子やし、
夫はせっせと働きながら、文句も言わず家事をして、むちゃくちゃ優しいし、
睡眠不足でもないし、
自分の時間だって、ないわけじゃないし。

ただ、娘の成長を前に、私自身は前に進んでいる感じがなくて。

(おっさん金魚)
今日、ウンコ出た?

(ちひろ)
これって、育休中の人にありがちな心理状態なんですかね?
わたしはバリキャリとは程遠い人間やし、
すべての意思決定を「娘と夫と幸せに暮らす」を基準にしてるし、
どちらかというと、育休中に閉塞感に陥るママとか、自分磨きママ的な位置づけからは遠いところにいると自負してたんですが。

(おっさん金魚)
よしよし。
人間に生まれるっていうのは、酷やなあ。
僕という金魚友達がいて、よかったなあ。
なんか飲むか?
美味しい珈琲?

(ちひろ)
珈琲もね、全然我慢してないんです。
授乳中ですが、特に罪悪感も感じず、夫がハンドドリップで淹れてくれる美味しい珈琲をいただいています。

何なんでしょうね、わたし。
優雅な日常疲れ? もっと不幸になったら、今の暮らしのありがたみとかわかるのかしら。

昨日ね、スーパーでコーヒー飲料を買ったんです。
1本130円くらいの、乳飲料カテゴリのやつ。
体に悪そうやし、いつも夫がつくってくれる珈琲よりももちろんまずい。
それやのに、高い。
スーパーはまとめ買いをする場所なのに、完全に無駄な行為です。

ただ、なんかしるしがほしくて、そのコーヒー飲料を飲みながら家まで歩きました。
昨日と今日を見分ける、しるし。

家に着くと、不思議となにかが癒やされてたんです。
これが日常になると意味がないので、同じ手は使えない。
でも一度は効果がありました。

(おっさん金魚)
そう、しるし。それがさっき言った「記号」ってやつなんやで。
それはコーヒー飲料でなくともよかった。
それはあくまでも、「昨日の記号」として機能した。
ほんなら、君にとっての「昨日の象徴」ってなんなんやろな。

(ちひろ)
聞いてもらった感はあんまりないですが、なんかスッキリしました。

(おっさん金魚)
君、最近抽象的なこと考えてる?
僕が問いかけてきたようなこと。
形而上学的な、哲学的な、答えのない問い。

20代の頃、脳みそが溶けるくらいに、病みそうなくらいに、息苦しくなるくらいに考えたものごと。

そういう思考の渦と無縁になって、君はある意味で幸福な人間になった。
日常を、人生を愛し始めた。

でもある意味で、そういった問い群は君の性癖でもある。
たまにそういう領域に足を踏み入れると、渇きが癒されることもある。

(ちひろ)
娘を見ながら、どうやって?

(おっさん金魚)
考えるのは、道具がなくてもできる。
娘、8ヶ月やろ?
抱っこしながら、オカンが遠い目をして考え事してても、別に変に思ったりせんって。
ほんまに放心状態になってたら危ないかもしれんけど、意識を別空間に追いやって考えごとに没頭してみたら、楽しいかもしれんよ。

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