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一定量の仕事と収入の証であるかのような保育園、仕事と保育園は常に私にプレッシャーを与える

前回の続きです。
スタートアップの会社で広報業務をお手伝いすることになり、妊娠後の本格的な仕事スタートに、期待する気持ちが強かったと思います。
ワクワクでいっぱいでした。
しかし、全くうまくいきません。

仕事の再スタートは思ったようなキラキラでしたものではなかった

スタートアップ企業での仕事は本当に整ってはおらず、混沌としていて情報を拾っていくだけでも一苦労です。

これまでの仕事ではできなくて当たり前の新卒から、なんとか身につけていったスキルを、転職先でもフリーランスでもそのまま使えるような仕事しか選びませんでした。

一方、スタートアップ企業では、世の中にないサービスを生み出すと同時に、会社のシステムも作っていかなければならないのです。

それこそメンバー一人ひとりが自分で自分の仕事を作るようなものです。

まだこの頃はADHDの自覚のなかった私ですが、もともとスケジュール管理や、物事の優先順位を決めることが苦手でした。

苦手なことをメンバーの方に相談することもできずに、結構ストレスを抱えていました。

はじめの頃は、そのような感じで信頼もなかなか築くことができず、企業とも良い関係を構築できていませんでした。

同時に夫婦の間でも喧嘩の絶えない日々でした。

これも仕事のストレスを私が家庭内に持ち込んでいるような状態も原因でした。

また、夫は夫で、アルバイトだった会社でそのまま正社員として働きはじめましたが、この頃夜は21時から22時帰宅が平均で、終電近くなることもありました。

朝の保育園への送迎は私が行うことがほとんどでした。

また、娘の保育園確保を私が一人で手配したことも、今思えばなんとなく癪でした。

さらに、妊娠からここまでの間は、フリーでライターの仕事を請け負っていたとはいえ、馴染みの方々との仕事をゆるく引き受けていた状態でした。

もしくは、クラウドソーシングで受託していた仕事なので、顔を合わすことなく、条件だけで忖度なしのやりとりができていました。

そもそもそこまで連絡を取り合うこともありません。味気ないですが、お互い割り切っているので楽です。

こうして妊娠期を入れると、約1年8ヶ月ほど、仕事とはマイペースな付き合い方をしていました。

そのため、本格始動後は、がんがん加速しなければいけない、自分のお休みしていたキャリアを再びリスタートさせなければいけないと、力が入りすぎていて面倒くさい感じだったかと思います。

結局、業務委託でのスタートアップの手伝いは、保育園入園の4月にスタートし、その年の12月ごろには9ヶ月間のお付き合いを終了し、1月には別の会社へ就職することになります。後者の企業は仮にT社とします。

ここも3ヶ月しか続かなかったのですが。

T社は、スタートアップで業務委託していた際に出会った、同じママさん業務委託の方の紹介でした。

その方が、私より先にスタートアップ企業での業務委託を辞め、T社に就職していたのです。

そこでT社に私を誘ってくれました。

縁故による就職は子育て中の再就職者におすすめ

紹介での就職に関しては、プラスのイメージがない方もいると思います。

マイナス面としては、一緒に仕事する中で、知人との関係が悪くならないか、自分が職場に馴染めなかった場合、最悪その会社をやめてしまう際に、知人の顔を潰すことにはならないかなどでしょうか。

しかしながら、紹介は再就職に苦戦する子育て中の親には大変おすすめです。

一からはじめましての会社への就職活動が全く上手くいかなかった場合、縁故を頼れば何かしらの仕事にありつけるのではないでしょうか。

結局ぐちゃぐちゃしながら退職した私がおすすめしても説得力はないのですが。

おすすめする理由のひとつは、大前提として、会社は紹介者が大切なので、紹介を受け入れたからにはほぼほぼ採用を決めるということがあると思います。それが会社のメリットになる場合も多いのだと思います。

また、知人同士はどこかしら似た者同士。企業側も、従業員の紹介であるならその人の信頼できる部分に通づるものがある人であろう、という目ではじめから好意的に見てくれるのです。

また、小さな子供を保育園に預けながらの就職では、それに付随してこちらからの条件を、要望として伝えたくなるかと思います。

企業側の担当者も人間です。理解は示しながらも、どこかで要望の多い人だなという印象にもなりがちかと思います。

しかし、紹介であれば、一通りの背景を知人が説明してくれている場合が多いでしょう。

当然、子育て中であることなど伝えていると思います。

その上で、採用を考えてもらっているのであれば、面談の際、面接者に質問されたこと以外は、あえて子育てにまつわる不安をこちらから申し出なくても良いように思えます。

また、構えすぎて面談が苦手な方、私のような極度に緊張したり、本音を突然口にしてしまうような方は、面談者がどのような方なのか、紹介者にあらかじめ聞いたり、自分の人柄に関するちょっと変わった点などを伝えておいてもらうと良いかもしれません。

企業は結局、バリバリ継続的にフルタイム(状況によっては残業もしてくれる)で働いてくれる人、融通が利く人、である方が良いに決まっています。

また当然ながら、それでいて優秀な人です。

時短勤務なりの条件付きの人をあえて雇いたいとい場合は、何かしらその不利な条件を認めてでも採用したい魅力を感じさせなければならないのです。

紹介は、それだけ知人の信頼ベースでひとつ保証をもらった状態であるということです。

私の場合は、上手くいかず辞めてしまうのですが。

就職後、3ヶ月の試用期間で実質クビに

結果T社は試用期間の3ヶ月で退職します。それも、1ヶ月と半月ほどで、会社に出勤できない状態になります。

今思えば、構えすぎていたと思います。

自分にぴったり合う環境を勝手に求めていた節もあります。

100点の会社もないし、100点の自分(自分が思う100点の自分)にもなれないのです。

成果もなかなか目に見える形にできず、会社からの評価がどんどん気になるようになりました。

別に何を言われたわけでもないので、気にしすぎなのですが。

そもそも今思えば、この仕事をこの職場でどのように極めていくのか、なんのヴィジョンもありませんでした。

契約社員で月給を約束され、よければボーナスも出してもらえる。

リモートや、止む終えない休暇申請なども受け付けてくれる、縛りの少ない自由な雰囲気の会社でしたが、その代わり、成果をあげてくれることが大前提という感じでした。

そのうち、成果をあげることもできず、打つ手がわからず、仕事がなくなり、暇になるようになりました。

この状況に耐えられなくなり、会社に出社するのが億劫になります。

そもそも仕事に対して私なりの余裕を持てるような捉え方ができていなかったのが問題だったと反省しています。

例えば、ブランクがあること、子育てのために時短勤務にしたいことなど、そのために今はスローダウンするときだ、などの計画を持てていたらよかったのでしょう。

しかし、私は焦っていました。

妊娠して以来、正社員でサラリーマンだった頃の状態に戻りたい、そして収入を取り戻したいと躍起になる気持ちが芽生えていました。

状況が変わったのに、そこばかりにこだわり焦ると、当然できないのでうまく行きません。

そんな中、雇用とはいえ、T社では契約社員という条件でした。

これも不満に感じていたのだと思います。

また、採用業務の一部も担っていたのですが、自分の雇用条件に満足していないのに、これから雇用する方々のことを思って仕事に励むのは大変苦痛なものです。

理想の人材設定を会社の人たちにヒアリングしながら、自分はこの人たちの言っている採用したい人材に当てはまっていないな、とマイナスな気持ちがむくむくと沸き起こり、落ち込みます。

最後は代表に率直に今の状態や思いを相談しました。

互いのために、契約を切りましょう。と実質クビとなるのです。

保育園は辞めなくて良いのか

私はT社の入社が決まる以前の4月の段階で、認可外保育園に娘を入園させています。

実はさらにその後の10月(これもT社に入社する前の話。T社入社はこの翌年の1月)に認可保育所の入所申請を出していました。

なので、その申請は個人事業主として、業務委託の仕事を請け負っていた状態で申請したものです。スタートアップ企業とライターをしていた内容です。

そして認可保育園の入園が決まったことが、翌年の1月、T社に入社した直後に判明しました。

そこで、4月からの認可保育園入園時にはT社で雇用として働いていることに、内容を変更しなければならないなと思っていました。

しかし、認可保育園の入園前である3月で、T社を退職することになります。

これで4月の入園を前に、また個人事業主状態に戻ったというわけです(T社入社の際、廃業届は出していなかった)。

なので、これはこれで良いのですが、娘が保育園に通い続けるためには、個人事業主としての時k行の実態を作らなければならないのです。

あるいは転職を即決めるという手もありますが、転職活動中であることでも入園が可能か、認可保育園と直接交渉しなければなりません。

そこで私は、個人事業主として、急いで請け負う仕事を見つけることにしました。

稼げない私は、保育園に娘を通わせる資格がないと思った

T社の退職で、私はかなり自分に自信をなくしていました。

もう、会社勤めに理想を持つのは辞めました。

人と関わりながら仕事をしていくことにも、不安を感じました。

人に迷惑をかけるくらいなら、一人で仕事をしていた方が良いと感じたのです。

そこで、徐々にではありますが、ライターの仕事をまた請け負うことにしました。

その頃の月収は本当に少額で、売上と保育園はそこまでシビアには関係ないのですが、通わせていることに後ろめたさを感じました。

たくさん稼げない私は、保育園に通わせる資格もないように思え、先生や保護者に合わせる顔がないと感じていました。

そうすると、ついついお酒に手が伸びます。そしてお迎えにいけなくなります。

そうして落ち込みます。

さらに、たまにハイになる日もあります。そしてまた飲みます。

ひどい状態でした。






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