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新型コロナ関連の選択で、自分の優柔不断さとはいつも興味のなさからくるものだと自覚した

緊急事態宣言が発令されましたね。
そうしてちょっと判断に困ることが出てきます。
自分の主義はこうだと決めて、突き進みたいことには突っ走って歯止めも聞かない私なのですが、
逆に、優柔不断に感じることも多くあります。
「どちらの可能性も考えてしまうよな」「というかどちらでも良いな」と思うようなことには、判断しかねてしまい、ついついズルズルしてしまいます。
そんな時に自分にとってその事柄の興味の度合いもわかります。

フリーランスの仕事の調整

私は大変優柔不断です。
判断基準を定め、それを決まったルールとして運用していくということが大の苦手です。
そのため、フリーランスの仕事においては、自分の報酬を決めることが本当に苦手です。
報酬を決める際の一番簡単な方法は、先方の予算を聞いてそれを受け入れることです。
また、自分が会社員時代、取引のあったフリーランスの方への報酬を思い出します。
どのくらいのボリュームと納期でどのくらいの報酬をお支払いしていたか。
そのような基準がある程度前例としてわかっていたようなものには、それを参考にいまの自分の仕事のプライスにも役立てさせてもらっています。
さて、新型コロナウイルス感染症が流行してからも、ありがたいことに私のフリーランスの仕事は売り上げが変わっていません。
というか、お取引先にとっても必ず毎月更新の必要があるような業務内容のものが多く、私の契約も継続更新していただいているという感じです。
通常時であれば、いつものフローであっさり来月分が契約更新されていきます。
今回の件があってもそのような感じでした。
仕事の契約内容も報酬もなんとなくいつもの流れです。しかし、実感として仕事の業務量は減っているという場合があるのです。
もちろん、新型コロナの流行の影響です。
私の業務量が減っていることは、先方もわかってると思うので、通常通りの契約続行がなんだか悪いような気がしてしまいます。
そこで、「仕事量は減っていますが、報酬含め、契約内容減らす方向で変更も可能ですよ〜」
と声かけすることにしました。
なんとなく先方にも気を使われていたら嫌だし、私は私で報酬泥棒のようで気になります。

利用している家事代行について

私は家事代行サービス、つまり家政婦さんを毎月だいたい週1日ほど利用しています。
私は掃除、料理、片付けなど、全般が大変苦手で、家の管理や衛生を保つことへの不安があります。
死ぬほどではないかもしれませんが、苦手なことを気にやむことで、ストレスになるくらいなら、サポートの手を常に確保しておきたいと考えています。
大変ありがたいサービスです。
1年以上来ていただいているので、お手伝いのおばちゃんとの関係も深まります。
彼女は70歳で、元気ですが、新型コロナに感染した場合、かなり心配であるご年齢だと思います。
そのため、本当なら来てもらわないということが安全なのかもしれません。
私の家庭の衛生は守られませんが、命に支障があるほどではないと思うので。
一方で、これを一旦休むことにすると、いつまた再開すれば良いのか、また、休みの間、おばちゃんの収入は減ってしまうことなど、考えると心配です。
このおばちゃんは大元の会社に業務委託契約で登録をして、うちに来てくれているのですが、持っているお客さん全てがお休みしてしまうと、ここからの報酬はゼロになります。
その場合には国からの補助などもあるのかもしれませんが、よくわかりません。
このような感じで、私の中ではなんとなくの対策しかできておらず、確固たる根拠を持って感染リスクのコントロールをできていないため、悩むのです。
「コロナで誰かが亡くなった」だとか「私自身が36.8度ほどの微熱である」などの場合は、心境がコロコロ変化します。
そうかといって、何か心配しすぎてしまうということが悪いことのように感じる自分もいます。
そんなこんなで優柔不断で結論を出せないまま、微熱が落ち着くまで1週間ほどおばちゃんは来ていただかず様子を見ています。

娘の保育園も今後どうするのか

娘は保育園に通っているのですが、緊急事態宣言が出されてからの本日も、娘の保育園からは特になんの連絡もなく、通常通りに預かってくれています。
そのため、私も普通に預けて仕事を家で行えます。
これは本当にありがたいのですが、当然登園させなければその分リスクもゼロになります。
保育園は休ませたからって、利用料を支払わないわけではありませんので(自治体や保育所の形態によっても異なると思います)、先述の家事代行のおばちゃんのような心配は無用です。
保育園は一人でも登園児が減れば、その分の考えうる感染リスクが減ります。
しかし、保育園に預けなければ仕事に手がつけられなくなるでしょう。
それはそれで、いつまでその状態を続けていれば良いのか明確な目処がたたないことに踏み切るのは勇気がいります。

結局、興味がないのだな

私が悩んでいるような問題は全てどちらでも良いと感じている程度の問題なのです。
もちろんこれは一般論ではなく、私についての話です。
選択を迫られるような事態では、何かしらの基準を元に、一つ一つ根拠を見つけながら、良さそうだということを無理矢理にでも決めることが可能です。
上記のことをそれぞれ見た際にも、自分なりの基準を持って根拠を見つけながら、選択に迫られていることを決断することは可能だと思います。
悩んでいる時というのは、その作業が面倒くさくて放置している状態なだけです。
それくらい、どちらでも良いことと、私は考えているのだと思います。

実際、自分が興味大なことに関しては、リサーチを重ね、自分なりの根拠を持ってぐいっと突き進むわけです。

その熱心さと押しの強さといったら周りが引くほどです。

そんな習性を改めて実感した出来事でした。

おしまい

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