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スイッチ


家に帰って、クーラーのリモコンの電池が切れていることに気づいた。
もう外に出る気力はないから電池を買いに行くのは明日にしよう。
そう思って、クーラー本体についているスイッチを探した。

スイッチには「応急運転スイッチ」という名前がついていた。
その響きはなんだかとても切羽詰まっていて、押したらなんだか大変なことが起こってしまうのではないかと躊躇ってしまう。最後の手段だけどいいのかい、と真剣に問いかけられているような気がしてくる。
私はただリモコンなしで部屋を涼しくしたかっただけなのに。

2年ほど前に、失恋したときのことを思い出した。
ずっと憧れている先輩がいた。付き合ってもらえるイメージなんか全くできないし、付き合ってほしいのかもわからなかった。でも先輩に会うと嬉しいし、もっと会いたいと思う。そうやってぐるぐる考えて、とにかくなんとかしてしまいたいと思って、ある日勢いで告白してしまった。振られたのはあまりにも予想通りだった。
思いを吐き出した爽快感が全ての感情に勝ってしまって、その日はスキップしそうになりながら帰った。

それでもやっぱり心のHPはしっかり減っていたようで、次の日はなんだかぼうっとしていた。でもその日は3限目の授業でグループワークをすることになっていた。あまり面識のないクラスメイトと90分喋って、課題を進めなければいけない。実は昨日失恋して本調子じゃないんですなんて言えるわけがない。

あの時私は自分の「応急運転スイッチ」を押したかもしれないな、と思った。
服を着替えてメイクをして、歩いて大学に行って授業をちゃんと受けて、また歩いて帰ってくるという日常生活を、なんとかやり過ごすために、自分を動かした。帰ってから、どっと疲れて、いつもよりもたくさん寝た。

応急運転スイッチは、クーラーを動かすことしかできない。無理やり動かしたクーラーの風はとても冷たくて、私は家の中でしばらく凍えながら過ごした。冬服を仕舞い込んだケースの引き出しの中から、久しぶりに長袖のパーカーを探して着た。
機械も心も、急いで無理やり動かすと、うまくコントロールできずにたくさんエネルギーを消耗してしまうのだろう。

このスイッチをできるだけ押さずに生きていたいな。

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