目が合った本
初めてジャケ買いした本のことを覚えている。
小学校から高校まで通学路が同じだった。12年間同じ電車に乗っていた。ずっと校則が厳しくて、スマホも持って行っていなかったし、かばんにつけるキーホルダーは拳ぐらいの大きさで1個だけという決まりも守っていた。
校則では寄り道も禁止されていた。高2になるまで私はそれも律儀に守っていて、コンビニにすら寄らなかった。初めての寄り道は、最寄駅のひとつ前の駅で降りたところにある本屋さんだった。よく一緒に勉強をしていて、似たような大学を志望するんだろうなと思っていた友だちが、良い化学の参考書を教えてくれて、どうしてもその日に欲しくなってしまったのだ。私の家の近くに住んでいる先生はいないし、他の大人に見つかったとしても通報されたりはしないことぐらいはわかるようになったし、バレることはないだろう。それに本屋さんだったらバレても怒られなそうだなとなんとなく思った。初めて制服を着たまま店に入った。見つかって怒られることがあったとしても言い訳ができそうな参考書コーナーだけを回ろうと決めて、無事『福間の無機化学講義』を見つけた。真っ直ぐレジに持って行って、買って帰った。滞在時間は5分ぐらい。怪盗キッドやルパン三世並みの大仕事をやり終えたような気分になったのを覚えている。それから自分の中で本屋さんなら寄り道をしてもいいというマイルールができ、よく学校の帰りに行くようになった。参考書のコーナーを必ず一応見るのは卒業するまで続けたけど、だんだん小説売り場をゆっくり眺めたり、ONE PIECEの新刊を買ったりもできるようになった。
センター試験の1ヶ月前、電車で読んでいた小説をシステム英単語に持ち替えた頃、古文のセンター対策の本が欲しくなった。帰りにいつもの本屋さんに寄る。まっすぐ参考書コーナーに向かって、古文の本を何冊かパラパラとめくった。助動詞の活用、よく出る単語、敬語。あれ、全部知ってる。どの本にもみほちゃんが言ってたことしか書いてないわ。ずっと私たちのクラスの古典を受け持っていたみほちゃんは担任だったこともある。背が高くてとても字がきれいで、キリッとしているようでたまにおっちょこちょいなところもあって、みんなで母のように慕っていた。みほちゃんは私たちに、既にセンター試験を戦える武器を与えてくれていたのだ。そのことに気づいて、やっぱり参考書は必要なかったとわかったので、買わずに帰ることにする。少しだけ店を回って行こう、と文芸書の棚の前を通りかかったとき、夜の空みたいな色をした表紙が私のことを見ていた。目が合った。思わず手に取ったその本が、伊坂幸太郎さんの『フーガはユーガ』だった。高校生の時までは本は図書館で借りて読むのがほとんどだったから、新刊が出ていたなんて知らなかった。この本が欲しい、と思った。買えば自分のものになる。この素敵な表紙をいつでも見られるようにしたい。伊坂幸太郎さんの本はどれも大好きだから、読んでがっかりすることも絶対にない。古文の参考書を買いに行ったのに、新刊の小説を一冊買って帰った。
センター古文はみほちゃんに教わった知識だけで満点を取れて、無事志望校にも合格した。ひとり暮らしをすることになって、引っ越しの時にはもちろん『フーガとユーガ』も連れてきた。今でも本棚の一等地に置いていて、自分になにか足りていないんじゃないかと焦って新しいことに手を伸ばしそうになるときはいつもその本を見て、実はもう大丈夫になっているんじゃないかと自分に問いかける。
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