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一人で不安になるのは嫌なので、みんなにも不安でいてほしい。

どうにも落ち着かない。寝ている時以外は四六時中不安だ。だからといって日がな一日眠るわけにもいかないので、こうして起きている。
不安を解消する方法は結局のところ「行動する」ということに尽きるらしいが、何も考えず出鱈目になんでもいいから行動すればいいというものでもない。何が不安なのかを洗い出し、そこから逆算して取るべき行動を考え、実際に行動に移すのが効果のあるやり方だ。

では、何が不安なのかわからないけれどとにかく不安な場合はどうすればいいのだろう。
何かをしなければいけないような気がする。けれども、何をしていても間違っているような気がする。
この無尽蔵に湧き出てきてくる不安を消す方法は、たぶんない。

四月になった。四月には輝かしいイメージが常に付きまとっている。アホか。四月はぜんぜん輝いていない。まだ薄ら寒いし、花粉は凶暴だし、環境の変化によって不安な人が大量発生するし、その亜種として変態も増える。なかなかハードコアな季節だと思う。

この季節になると、いつも初めて就職したときのことを思い出す。インターン期間中にストレスのせいで飯の味がしなくなって一回飛んで、試用期間を耐えた後の夏にもう一度飛んだ。悪いことをしたとは思っていない。自らの尊厳を守るための行動だったし、あのとき我慢していたら本格的に潰れてしまっていただろう。
ちなみに当時働いていた会社の社長と少し前に梅田ですれ違って目が合った。普通に挨拶をしようとした途端フラッシュバックが起こってキョドってしまい、何も言わずヨドバシ方面へ駆け出した。僕の精神は正しく防衛機制を発動できるらしい。つまり健全だ。

不安の話に戻る。上記の通り、僕は主にその環境から逃げることで、不安を含め精神的なダメージが致死量に達するのを回避してきた。だからいつでも逃げればいいと思っていた。しかしいまここに来て、真正面からぶん殴って倒さなければどうにもならない問題をいくつか抱えることになってしまった。自分なりの戦略で取り組んではいるものの、勝手がわからずどうにも精神的に参っていしまいそうになっている。そして、思考を整理して精神的負担を減らすために、今この文章を書いている。

コンフォートゾーンの範囲内だと思っていた場所が、実はコンフォートゾーンの外側だった。今の僕の状況を簡潔に言い表すなら、そうなる。けれどもコンフォートゾーンの範囲外にも快適なエリアが飛び地のように点在していて、それは例えばショッピングモールだったり、でかいスーパーマーケットだったりする。どこにでもあるつまらない景色は、つまらないがゆえに一定の安定感が常にある。つまり、安心感がある。
特にモールはいい。暖かくて、なんでもある。モールにいると、巨大な生き物の体内にいるような気分になる。守られているような、体と心をあずけていいような、そんな気分になる。
だから不安になったら、とりあえずモールへ行く。

どこにいても、何をしていても、誰でもみんな薄っすら不安なのかもしれない。というか、そうであってほしい。
僕は別に孤高でありたいとは思っていない。ある程度大衆に混じって、半分くらいは洗脳された状態で生きてゆきたいと思っている。だからみんなが不安なら、そのことに安心する。
みんなが不安であることを確かめる絶好の機会が、四月だ。

新社会人をへの優しいアドバイスを箇条書きにしてまとめたツイートが伸びているのを見ると、安心する。ああ、みんな不安なんだなと思う。そのまま不安でいてほしいと思う。そのまま憂鬱でいてほしいと思う。
#春からxx大学、みたいなハッシュタグの投稿が溢れかえっていると安心する。みんな一人が嫌なんだなと思う。そのまま繋がりを渇望しつつ、自分が何者なのかわからなくなってほしいと思う。
この思考は非常によくない。けれどもやめられない。やめたいからこうして書き出しているのかもしれない。

基本的には安定した幸福を求める姿勢でいたいし、他人にも幸福であってほしい。
でもたまに、みんなで一緒に不安になりたいと思ってしまう。自分一人だけではなく、みんな不安でいてほしいと思ってしまう。
そんなことを考えるタイミングが、毎年四月だったりする。


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