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31歳になったわたしへ送る歌

 今日でわたしは、31歳をむかえました。
 31歳、アラサー、既婚。10代の若者からみれば、もう「おじさん」とよばれてしかたのない歳であり、とはいえ、40代以上のかたからみれば、まだまだ「若造」といわれてしかたのない歳でもあるのでしょう。

 歳をかさねるほど、じぶんの年齢に拘泥しなくなりますよね(ちがいますか?)。なんだか、27歳をすぎたあたりから、もう細かい年齢の差異がどうでもよくなってきました(なりませんか?)。

 今日は、そんなわたしからわたしへ、せめてものバースデーソングを送ろうとおもいます。とはいえ、なにか、制約がほしい。テーマがほしい。
 ということで、6月14日生まれのアーティストから、3曲選んでみたいとおもいます(なんだか、完全に自己満の企画ですみません。万が一、6月14日生まれのかたがいれば、あなたにもこれらの歌をお送りします)。

 まずは1曲目。マーカス・ミラーの「ラン・フォー・カヴァー」

 マーカス・ミラーは、1959年6月14日生まれのベーシスト。
 1970年代の後半に休養にはいったマイルス・デイヴィスが、80年に「カムバック」をはたしたのち、その才能を愛でたベーシストがマーカス・ミラーでした。
 1986年発表のマイルスのアルバム『TUTU』は、当時まだ20代だったマーカス・ミラーのプロデュース能力がいかんなく発揮された1枚です。
 
 マーカス・ミラーといえば、フェンダーという楽器メーカーがつくっている「ジャズベース」を愛用していることでも有名です。その「バリバリ」「ブリブリ」した音色と、正確無比なスラップ奏法(右手の親指で弦をたたき、人差し指で弦をはじきあげる)は、いちど聞けばすぐにマーカスの演奏だとわかる、たぐいまれな個性を演出しています。

 たしか4、5年ほどまえ、父親といっしょに、青山のブルーノートにマーカスの来日公演をみにいったのをおもいだします。とても還暦まえとはおもえないエネルギーを感じました。

 つづいて2曲目。菊地成孔の「ミラーボール」

 菊地成孔は、1963年6月14日生まれのジャズミュージシャン。
 若いころにジャズピアニストの山下洋輔のグループに参加したことからキャリアがスタートした菊地成孔ですが、その活動は八面六臂、というか、ほとんどそのしっぽをつかませないような変態的な活躍ぶりです。
 バンド活動も、「Date Course Pentagon Royal Garden」(その後、DCPRG、dCprGなどさまざまに改名)、「SPANK HAPPY」、「菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール」、「JAZZ DOMMUNISTERS」などを主宰するほか、多彩なミュージシャンと共演をはたしています。

 東日本大震災のすぐあとの2011年4月から、2018年の年末まで、菊地成孔は「菊地成孔の粋な夜電波」というラジオ番組をやっていました。
 わたしが菊地成孔を知ったのもこの番組であり、20代だったわたしはこの番組から音楽の間口をおおきくひろげることができました。ほんとうにお世話になりました。
 こういう良質な音楽番組が、聴取率のためだけに淘汰されて消えていってしまうこと、そこにいまでもたいへん残念な思いがあります。復活してほしいラジオ番組、ナンバーワン。

 そして3曲目。藤井風の「何なんw」

 藤井風は、1997年6月14日生まれのミュージシャン。
 公式サイトの解説によれば、「幼少期より父の影響でクラシックピアノを始め、中学生になってからはYouTubeにカバー動画を上げ続け、確かな技術と、聴き手を選ばない秀逸なピアノアレンジが各方面で話題に」とのこと。
 ちまたでは「宇多田ヒカル以来の逸材」ともいわれていますが、曲をいちど聞けば、その触れこみがあながちウソではない―というよりも、まごうかたない事実である―ことがいやがおうでも納得されます。

 声よし曲よし歌詞よし、と、ゲスの極み乙女の川谷絵音が評したといわれていますが、しかのみならず、憎いことには顔もよい(要するに、「すべて」がよい)。

 ここにあげた「何なんw」はいっけん人を食ったタイトルですが、岡山県出身とのことで、岡山弁が一部につかわれていることもユニークです。
 発売されたアルバムは、まだ、昨年の「ヘルプ・エヴァー・ハート・ネヴァー」1枚だけですが、すでに名実ともに日本のミュージックシーンのトップランナーに躍りでている観があります。

 ちなみに、6月14日生まれの作家には、川端康成、日野啓三、椎名誠などがいます。政治家だと、チェ・ゲバラ、そしてドナルド・トランプなど。

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