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ぼくがカバンに入れて持ち歩いておきたい本〜「古賀史健が永田泰大に訊く『岩田さん』のこと。」を聴いて

ぼくには、カバンに入れて持ち歩いておきたい本があります。

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。(以後、岩田さん)』です。(※写真と記事化にあたり、ほぼ日さんのご協力をいただいて、このnoteを書いています)。

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この『岩田さん』は、2015年7月11日に亡くなられた、任天堂元代表取締役社長で、ゲームプログラマーでもあった岩田さんのことばを集めた本です。

この本は、ぼくにとって、移動の隙間、例えば、電車の中で、おもむろに本を開いて、ページをパラパラとめくり、目に入ったページを、ただ読んでいるだけで、少しウキウキします。

「昨日のじぶんは、どんなんだったかな」「今、自分はたのしいのかな」「最近、誰かを傷つけてしまったかな」「じぶんは、嫌な人間でなかったかな」「なんか最近モヤモヤするな」とか。時々、過去まで遡って、自然にじぶんを見つめ直してしまう時に、ぼくは、この本を開くことがあります。

なんかイライラしたことがあって、自宅でただただ、イライラの原因を思い返して悶々としていたり、カフェで珈琲を飲みながら考えごとをしていて、なんとなく本を手にとって、自然と今じぶんが気になっていることに関係がありそうなページを、この本から、ぼくは探したりします(見つからない時もありますが)。

ただページに書いてある、ことばを読んで、じぶんに問いかけたり、考えたり、何かに想いをはせたりしていて、時々「あれ、これってこういうことなのかな」と、じぶんが今日あった出来事や過去じぶんに起こった出来事に当てはめたりして、ハッとさせられることがあります。

辞典ではない、詩集でもない、ビジネス本のように強い言葉や具体的なハウツーを必ずしも教えてくれるわけでもない。考える余白があって、ただただ、読んでいて、やさしい気持ちになって、自然とじぶんの口角が上に少しあがる本です。

はじめに

このnoteを書くことになったのは、友人がたまたま教えてくれた、2019年12月5日(木)に開催されたイベント「古賀史健が永田泰大に訊く『岩田さん』のこと。」に参加した帰り際に、偶然、同じ客席にいた、知り合いの編集者の寺田祐也さんと、ばったりお会いしたことが、きっかけでした。

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寺田さんとは、その日は、挨拶だけしてその場を別れたのですが、後日彼から連絡があって、『岩田さん』についての個人noteを一緒に何か書かないかとお誘いをいただきました。

『岩田さん』が2019年7月に発売されて、しばらくして、ぼくがツイッターで、本について、一時期呟いていたのを寺田さんが覚えてくれていたのが、ぼくに声をかけるきっかけになったそうです。

ツイッターで、『岩田さん』について、ぼくは、好きで呟いていたのですが、連日、本に書いてある彼のことばを、ただ抜粋・引用して紹介することに対して、個人的に、なんか伝え方として違うよなぁ、じぶんの呟きたいことってこういうことだったのかな、何のために呟いているんだろうという疑問を感じていました。それで、その疑問が払拭されないまま、結局1ヶ月ぐらいで、呟くのを辞めてしまいました。

その後、noteで、もう少しこの本についての、じぶんの感想noteを書こうかと思って、あれこれ考えていたのですが、なぜか筆が進まず、挫折してしまいました。

そんなモヤモヤを抱えていた中で、今回、寺田さんからお声がけいただいたことで、あらためて『岩田さん』について、書くきっかけができたのと、じぶん以外の人たちと、一緒に書くなら何か書けるかもしれないと思い、すぐに参加意向を伝えました。

思い入れが強すぎて、書けない。

あらためて、書くきっかけをもらって、いざ書き始めてみるのですが、書けない。

『岩田さん』という本の中身について、この後、あれこれ紹介しようと考えていたのですが(実は、この後下書きで、長々と本の感想を書いていた)、書いた下書きを読み返してみて、「うわぁ、なんだこれ」と思うぐらいに、ぼく自身、じぶんが書いていた内容に、引いてしまいました。

なぜなら、その下書きには、『岩田さん』という本と出会うまでの過程みたいなものが、つらつら書かれていたのですが、とにかく長い。あと、私情がたくさん書いてあって、本について、褒め過ぎな感じもあったので、じぶんで読んでいても、ちょっとつらい、恥ずかしいなど、複雑な気持ちが生まれてきて、居心地の悪さみたいなものが、込み上げてきてしまいました。(褒めることは否定しないのですが、やや過剰な褒め方になっていました)。

この本に対する、ぼく個人の思い入れが強過ぎるのと、バイアスが、かなりかかっていて、何がいいのかとか、客観的に分かっていなくて、乱暴な言い方をしてしまうと、「全部いいんです」みたいなことを言ってしまいかねない(いや、もう言ってしまってますね)状態でした。

こんな心持ちなので、ぼくは、『岩田さん』について、もう書かない方がいいのではないかと途中考えてしまうこともありました。でも、書く動機としては、この本を読み終えた当初から、本について何か書きたい、何か伝えたいことがありました。

また、毎日カバンの中に、この本を入れておきたい気持ちがあって、それがなんでなのか、じぶんでもよく分かりませんでした。これらモヤモヤ(悪い意味ではない)を少しでも、解消したかったのです。

じぶんの書いたメモを読み返して、困った。

じぶんで書いていて、じぶんに引いてしまった下書きの続きを書こうと思ったのですが、筆が進みませんでした。なので、一旦諦めて、今回参加したイベントについてのレポっぽいものを書こうと思いました。しかし、問題がありました。

手帳に熱心に書いた、じぶんのイベントメモの字を読み返してみると、じぶんでも、読めないのです(字が汚すぎて)。

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個人的な話になって恐縮なのですが、人の話を聴いて、感極まってメモをとってしまう時に、ぼくの場合、殴り書きに近いぐらいに、バァーと書いてしまいます。だいたい、読めないことが多いです。

かろうじて読めたとしても、対談や鼎談の際、誰がこの発言をしたのか、ちゃんとメモに書いてありません。あと、誰かの発言を受けて、ぼく個人の意見も、メモに一緒に書いてあるもんだから、登壇者が発言したことばなのか、じぶんが考えなのか、情報がごちゃごちゃ、記憶も曖昧です。メモを読み返しても、メモとしての役割を果たしているのか、自信が持てない時があります。


すみません、話を戻します。当時書いたメモを読み返しても、なんとなくイベント時に、こういう話をしたなぁというのは思い出せるのですが、いざ文章に書こうとすると、自信がないので下手に書けません。

なので、当時の会場で聴いた話で、ぼくが感じた会話の印象や、かろうじて記憶に自信が持てるメモ内容に限り(そんなにないですが)、以下、書いていこうと思います。

ぼくが、『岩田さん』をカバンに持ち歩いておきたい理由。

岩田さんがご存命の頃を知っている、登壇者の永田泰大さん、糸井重里さん(途中から)のお2人の岩田さんについての個人的なお話を聴いて、「岩田さんは、今も、心の中で、生き続けているんだなぁ」「本を通して、読み手側の中にも生き続けていくんだろうなぁ」と思いました(このnoteを書いていて思いました)。

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また、岩田さんにお会いしたことがない、古賀史健さんは、『岩田さん』を読んで、「読み返してみて、あらためて、岩田さんって、自分の能力をあっけらかんと認めるけど、嫌味に映らない方ですよね」という、本から伝わってくる人柄の印象についての話をしていました。

すでに本を読んでいたぼくも、この本から伝わってくる岩田さんの人柄の印象について、「うんうん」と、妙に納得して、聴いていたのを覚えています。嫌味にならないのは、岩田さんが岩田さん自身を、客観的に分析していて、そこにご本人の感情が、あまり強くのっかっていないからなのかなぁと、ぼくは思いました。

「どや感」がないというか、どこか、もう1人の岩田さんが、岩田さんを見て、淡々と語っている感じがするのです(実際の取材現場で、語っていた岩田さんはどうだったのか分からないので、あくまでも想像です)。

たぶん、ぼくがこの本をカバンの中に持ち歩いておきたいと思えるのは、そういう嫌味じゃない、ある種の清々しい、岩田さんの気持ちいい人柄が本から伝わってくるおかげだからだと思います。

3人の話を聴いていて、皆さん、岩田さんが好きなんだろうなぁ、尊敬や敬意が、じわぁと伝わってきて、聴いてるぼくも、妙にうれしくて、あたたかい気持ちになりました。

このイベントのあった夜は、素敵でいい時間を過ごすことができて、よかったです。同時に、イベント後に、また『岩田さん』を読み返してみたい気持ちになりました。


『岩田さん』を読み返したくなった。

実際、読み返してみると、イベントで聴いたお話から浮かび上がってきた、新しい岩田さん像が加わって、本に書いてあることばの受け取り方が、少しですが、以前読んだ時とは違っていました。より書いてある、ことばに、岩田さんの人間味が加わった感じがしました。岩田さんのことばの手触りを少しですが、ぼくなりに、感じることができました。

本に語られていない内輪の話も、イベント時に少し話にあがってきたのですが、そういう話を聴いていて、岩田さんは、岩田さん自身に対して、かなり厳しい人だったのかなぁと、ぼくは感じました。

最後に、勝手ながら、ぼくが少し手触りとして、感じとることができた、本に書かれている、ことばを一部紹介します(感じ取った内容があっているか、分からないのですが、そう信じたいなぁと思いました)。

わたしは思うんですけど、
考えてもしょうがないことに
悩むんですよ、人って。
悩んで解決するなら
悩めばいいんですけど、
悩んでも解決しないし、
悩んでも得るものがないものを、
人間って、考えてしまうんですよね。

 『岩田さん』95Pより引用 

この本の中で語られることばの中で、唯一、ぼくの中で、読んだ当初、少し違和感を持っていたことばでした。

他のページで語られることばは、適切な表現ではないかもしれませんが、どこか達観していることばだなぁと感じたのに対して、このページのことばには、少し岩田さんの自身に対する厳しさや葛藤みたいなものが滲み出ているように感じて、印象に残ったことばでした。

悩むのが、日常茶飯事のじぶんとしては、妙に親近感を持ってしまいました。

まず、明らかに自分と意見の違う人がいる。それは、理不尽にさえ思えるかもしれない。でも、その人にはその人の理屈と理由と事情と価値観があるはずなんです。そして、その人たちは、自分ができないことをできたり、自分の知らないことを知っていたりする。だから、すべてを受け入れろとは言いませんけど、自分にはないものをその人が持っていて、自分にはできないことをやっているということに対して、敬意を持つこと。この敬意が持てるかどうかで、働くことに対するたのしさやおもしろみが、大きく変わってくるような気がするんです。

 『岩田さん』P61より抜粋引用

次のページで、岩田さんが敬意を持つようになった理由が語られるのですが、そこには、岩田さんの「かっこいい。ああなりたい」という願望が書かれていて、憧れって、人に勇気と力を与えてくれるんだなぁと思いました。

自分以外の人に敬意を持てるかどうかについて、ぼく自身は、日々できていません。誰かを妬んだり、悪口を言ってしまったり、じぶんの心が穏やかでないと、油断して、つい相手への敬意を欠いてしまうことがよくあります。やってしまった後に、だいたい凹みます。

ぼくは、岩田さんのことは、この本で語られていることや、メディアでご本人が話していることばしか、知りません。ですから、実際はどんな人なのか分からないのですが、「かっこいい。ああなりたい」という、彼のことばから、きっと、敬意を持つことに対して、以前はそこまでは、できていなくて、そう思うようになってから、日々、相当努力をされていたのかなと想像しました。

おこがましい話ですが、ぼくも、岩田さんの言う、敬意を持つ姿勢に、日々意識していきたい、そうありたいです。

また、ふとした時にでも、この『岩田さん』をパラパラめくっては、気になったページを読んで、個人的に、たのしみたいと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また、今回一緒にnote執筆にお誘いしてくださった寺田さんと、ご協力いただいたほぼ日さんには感謝いたします。書きたいこと、伝えたいことが少し書けたと思います。個人的に思い入れが強いのが、影響として文章のいたるところに出てしまっているので、反省してます。




サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。