雨と風に、耳をすませば。
今朝方、目が覚めると、窓から、ある音に気づく。
外から、風の音、雨の音がする。
しばらく、ぼーっと、寝ぼけ眼で、部屋の天井を見つめて、開けっ放しにした部屋の窓に、耳をすませていた。
頭の中で勝手にイメージが広がる。
窓の外を見なくても、カーテンが小刻みに動くとき、風が吹いているのが、わかる。強い風のときは、「ビュー、ビュー」と風が大きい声をあげる。
窓ガラスや雨戸が大きくガタガタすると、風が吹きつけているのが、わかる。
実際、風は見えない。何か対象物が動いていることで、風が吹いていると、認識する。
人の肌に当たる、暖かい、冷たい「何か」を感じたとき、勝手に髪の毛が目にかかるとき、風が吹いていると、感じる。
雨は見ることができる。細い糸が無数に目の前を空から地面に、ぴーんと、落ちる光景を見て、雨が降っていると、認識する。
窓から手を出せば、人肌に冷たい水滴が当たって、雨に濡れたと、感じる。
窓の外を見なくても、雨が降っていると気づく。「ポタポタ」と地面や屋根瓦に、小さい何かが当たっている音が、遠くから聞こえてくる。
もしかしたら、粒と粒とが、互いにぶつかった衝突音も、雨音の要素なのだろうか(科学的なところは知らない)。
風も雨も直接姿が見える見えないはあるにせよ、それらが発する音は、いろんなものと混ざりあって、ぼくらの耳に、届く。
自宅の窓を開けて、静かな部屋で、それらの音に、、耳をすませてみる。
頭の中で、当たり前と思えることを、ただただイメージしていた。
想像して、いいか悪いかとか、何が言いたいとかではない、実際はことばにしにくい複雑な感情が、ぼくのこころの中で生まれていた。
わかっていることは、じぶんの琴線に音が微かに触れているということ。
そして、その音を通して、じぶんはヒトリである、ヒトリであることを感じて、寂しさと心地良さのようなものが、こころの中で、入り混じっていることだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。窓を開けて、ただ耳をすませるだけでしたけど、想像の世界が、今朝は広がっていました。
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