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じぶんのたのしい時間のつくりかた。在宅時間の中で、ほぼ毎日続けられる、ちょっとした習慣とたのしみの提案。

最近の世間で騒がれている状況にあわせて、外出を控えて在宅する時間が増えた。こういう時の過ごし方として、テレビのニュースやNetflixで過去の映画やアニメをぼぉっと観続けていたのだが、妙に居心地が悪かった。おそらく、ぼくの中で、受動的にコンテンツをただ消費することに疲れてきていたのだと思う(消費することを否定しているわけではない)。

それで、受動的なコンテンツの消費以外で、いい時間の使い方、すなわち、じぶんが心からたのしいと思えるようなことがないだろうか、最近、いろいろ実践しはじめている。

その1つは、絵を描いて、それを撮影してSNSにアップすること。(追記20/04/07)模写の画像およびツイートのうち、写真の著作権に該当するものは、投稿後、後日一括削除しました)。

もう1つは、料理をつくって、写真を撮ってSNSにアップすること(料理は、2020年の年明けからやりはじめている)。

あくまでも個人の感想だが、いずれも、はじめてみると、たのしい。しかも、ほぼ毎日続けることができている。続けられる大きな理由として、ぼくが成果物(絵や料理)に対して、見られることを少なからず意識しているからだ。

ほぼ毎日、絵や料理という成果物を、写真に撮影して、SNSにアップする。アップされた成果物=コンテンツに対して、誰かがリアクションをしてくれることがある。1人でも、通りすがりの観客がいてくれることが、何よりもうれしいのだ。たまに、「こうしたらいいよ」って、アドバイスをもらえたりすることもあるので、またそれが励みになる。

前もって言っておくと、ぼくが生み出す絵も料理も、じぶんで言ってしまうが、たいしたことはないと思う。絵については、高校生の頃に、年賀状で好きなアニメのイラストを模写して地元のともだちに送ったり、学校の美術の時間の課題作品を描いたりしていたぐらいだ(昔から模写は好きだった)。年賀状も課題作品も、いずれも描きたいと思ったものを描いている時間が、そもそもたのしかった。毎日絵を描くぐらい好きとか、そんなレベルではなかった。

デッサンの勉強や絵画教室に通ったことはない。ましてや、過去、何か絵で賞をとったり(中学の時に、学校の先生に褒められたことはある)、メディアに取り上げられて、キャーキャー言われたことなんてない。

絵が上手な人からみたら、そもそも基礎がなってないとか、下手だなとか、ネガティブなことを思われるんじゃないだろうかと、絵をアップする時は、内心、ぼくはドキドキしている。恥ずかしい、怖い、いろんな複雑な気持ちがよぎる。じぶんではたいしたことないと思っていても、ネガティブなことは無意識に襲ってきて、ぼくの心中はおだやかではなくなる。

料理は、過去、ヒトリ暮らしや夫婦生活で料理をすることはあったけれど、本格的に料理本や料理教室で学んで、こだわって、ごはんをつくったりしたことがない。未だに、包丁の持ち方や切り方が身についていない。知り合いからは、「ああ、その持ち方あぶない!」なんて言われるぐらい、ぼくは素人で不器用だ。

味付けや盛り付け方も、とりあえず、自身の思いつきや加減で、やってみて、たいがい失敗する(レシピを調べるのが面倒だったりするから、よっぽどのことがない限り、詳しく調べない性分のため)。どう見ても盛り付けがおかしい(おいしそうに見えないと)と、へこむ。ただ、下手だろうが、毎日のじぶんの胃の中にはおさまるから、無駄になることはない。

内心はネガティブなことを抱きつつ、基礎は備わってない、素人同然のぼくだけれども、ほぼ毎日、たのしんで絵を描いたり、料理をつくって、たのしんでいる(たぶん、他人に迷惑をかけることは、そんなにないだろうと思っている)。

たのしめているのには、いくつか理由がある。1つは、じぶんの身の丈にあったことをしているからだ。

絵なら、描きたいと思った絵を描くようにしている。今のぼくの場合、猫の写真の模写だ。料理だと、ただ焼いてジャムを塗るだけで済んでしまうトーストだ(手間がかかる凝ったものは、なるべくつくらない)。あと珈琲は、たまたま友人から珈琲を淹れる道具をかしてもらう機会があって、はじめてみたらハマったから続けられている(未だに、珈琲の味のよし悪しはわからないけど)。

とにかく、気をつけているのは、誰かに見られているからといって、むやみに、身の丈以上のことを無理してやらないことだ(でも、やりたい・できるかもしれない・たのしそうならやる)。

もう1つの理由は、工夫してトライアンドエラーを繰り返すうちに、じぶんにできることが少しずつ増えてきていることだ。

やりはじめた最初は、続けること自体、少し根気が必要だったのだけれど、だんだんほぼ毎日やるようになってくると、はじめた頃と比べて、じぶんにできることが増えていることに気づく。じぶんの頭で考えて試したいと思うようになり、同時に、仮説や妄想も膨らみ、少なからず、それらに、たのしみを見い出せるようになってくる。

例えば、絵も料理も写真で撮影してSNSにアップするときだ。iPhoneで基本撮影するのだが、そのままアップするとSNSのタイムライン上での写真の見栄えが悪かったりする。サムネイル写真が一部切れてしまったり、写真そのもの自体の明るさや色味がよくないとか、いろんなことが気になりはじめてくる。

ちょっと納得いかないのだ。

そうすると、「次こうしたらいいんじゃないか」と、ぼくは工夫したくなる(最近、このじぶんの性分を自覚することが増えた)。写真の画角や色味をアプリで加工したり、写真をとる場所を変えて光源を意識したりする。

ちょっと欲が出て、ちょっとだけ手間を加えたくなるのだ。

トライアンドエラーを繰り返していくと、だんだん以前よりも、じぶんの成果物に対して、「ましになったじゃん」って思えることがある。それは、ちょっとした手応えのようなもので、やってよかったと思えるのだ。さらに、副産物として、以前のじぶんと違って、モノの見方が少しずつ変化して、興味の対象が広がっていく。

写真に以前は興味を持っていなかったが、最近一眼レフカメラが欲しいと思うようになった。他のインスタグラマーが、普段どんな写真をアップしているのか、どんな撮り方、見せ方をしているのか気になるようになった(特にファッションやインテリア雑貨など)。

家に積読だけになっていたデザインやアート本を手にとる機会が増えた。たまたま偶然開いたデザインやアート本(雑誌含める)に、ちょうどじぶんが今関心を示している内容とマッチするページを発見して、食い入るようにそのページを読んだことがあったり、ちょっとした変化がじぶんに起こっている。逆に、以前興味を持っていたけど、今は遠ざかっているものもあったりする。

絵を描くこと、料理をすること、写真を撮ることが今はたのしい。次、試してみたいことは、読書と文章を書くことだ。ぼくは、昔から読書は苦手だけれど、今こうしたら、たのしく読めるんじゃないかという自身のアイデアが生まれている。また、なんども挫折しては繰り返し臨んでいる「文章を書くこと」についても同様だ。

こう思うようになったのも、絵を描いたり、料理をすることが、ほぼ毎日続けられるようになったことで、少しじぶんに自信が持てるようになったからだと思う(楽観的だけど)

これから、じぶんの身の丈にあった創作活動をやっていくことに、ぼくは、ワクワクしている。半年ぐらい経って、もう少し、スケールが大きいマイコンテンツになっていたら、もっとたのしくなるだろうなぁ。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。本文で述べた、絵や料理については、ぼくのTwitterで日々アップしているので、興味ある方は、一度のぞいてみてください(たいしたことないので、期待はしないでください)。

(追記20/04/07)模写の画像およびツイートのうち、写真の著作権に該当するものは、投稿後、後日一括削除しました)。



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