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『塩田千春展 魂がふるえる』感想文

ぽっかり時間が空いたので、塩田千春展に駆け込んできた。

まずよく写真で見る、赤い糸が張り巡らされた部屋。

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まず素朴に思ったのが、この展示、会期が終わったら壊されちゃうんだよな。という当然と言えば当然のこと。しかし、これほどのエネルギーが結実した作品が跡形もなくなるというのはちょっと切ない。

赤い糸は言わずもがな、生命や血を象徴しているのだろうが、命の躍動というのとはちょっと違うような、そんな印象だった。いくつにも織り重なった糸は心臓のようであり、壁を這う糸は粘菌のようであった。

それから彼女のこれまでのインスタレーションのドキュメントなどの展示が続き、今度は黒い糸の部屋だ。

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焼けたピアノを取り囲む焼けた椅子。そこに張り巡らされた黒い糸。この黒い糸の向こうにいる人たちがとてつもなく遠くにいるように感じられた。まるで向こうからはこちらが見えていないかのような、つまり彼岸に自分が来てしまったかのような感覚だった。すると、この椅子やピアノには死者の魂が座しているような気がしてくる。そこでこの展示のタイトルを思い出す。
『塩田千春展 魂がふるえる』
そうか、実はずっと最初から魂の話をしていたのか。と思い、そこでまた赤い糸の部屋に戻った。

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するとどうだろう。今度はこの赤い糸が単なる生命の絡み合いなのではなく、生命の爆発のように思えてくる。つまり、身体が消滅し、魂が身体から解き放たれた瞬間、死を迎えたその一瞬の生命のきらめきだ。

そのあと、旅行鞄が赤い糸に吊るされてだんだんと高く昇っていくような展示があった。魂が天に昇っていく。

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この展示には一貫して「不在」というモチーフがあるようだった。その「不在」が魂の「存在」を見えるような見えないような、かすかに感じられるものとして展示する。そう、これは魂の展示だったのだ。

部屋を何度も行き来して、体力を消耗しながらも、展示を堪能して会場を出た。

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そこでこれだ。
会場へのエスカレーターの上にかかっている展示なのだが、入場するときには特に何も感じなかった。しかし、一通り展示を見終えて改めて見るとまるで意味が違うのだ。黒い糸と、白い糸の絡まった船。僕たちが帰りにエスカレーターを下ると、相対的に船が上昇していくように見えるのだ。つまり、これまで共に旅をしてきた死者の魂との別れを意味しているのだ。

この展示は六本木ヒルズの52階からさらにエスカレーターを昇ったところにある。そこは生者が生きる下界と死者が生きる天界の中間地点だ。我々はまず赤い糸の部屋で生命の爆発(身体の死と魂の解放の瞬間)を目撃し、それからずっと死者の魂と共に展示会場を旅する。黒い糸の部屋でその存在を実感し、旅行鞄の部屋で彼らを見送る。そして、船に乗った彼らとこのエスカレーターで別れを告げる。そんなストーリーがこの一瞬で回顧的に創造された。
その瞬間、僕の魂はふるえたように感じられた。

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