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『演技と身体』Vol.7 深層筋ネットワークの力

深層筋ネットワークの力

力強い芝居とは?

近年の日本映画は、観ていても何だか力強さがない。自分でも映画を作っていて、この力強さという点で難しさを感じる。
迫力を出そうという時、ついワーワーと声を張り上げがちだ。それでも迫力が出ないのは、声が足りないからだ。もっと声を張り上げるべし。そんな流れをうっすらと感じる。一番叫んだ子が一等賞。そんなわけで人よりも大きく叫んだら名演と言われるような風潮がありやしないだろうか。しかし、叫べば叫ぶほど、力のなさを僕は感じてしまう。
一方、力強さを感じる役者というのは、むしろ観ているこちらが吸い寄せられていくようなところがある。声の大きさにかかわらず、力が伝わってくる。
すると、力強さというのは表面上のボリュームではなく、芯の濃さに宿るのかもしれない。特に体の小さい日本人の身体においては。
僕は日本的な芝居の魅力とは何なのか考えていて、能に行き当たった。日本でこれほど長い伝統に裏打ちされ体系化された芸能があるのだから、それを映像演技にもうまく取り入れられたら、日本特有の演技の魅力や力強さが出せるのではないだろうか。そして、能はまさに芯の力強さで魅せる芸能であるのだと分かった。

深層筋ネットワークを目覚めさせよ!


能では後期高齢者にあたる年齢の役者が重たい衣裳を纏って舞台上で鮮やかに舞う。動きに無駄がなく、ゆったりとした動きにまぶたがとろりとしてきたところで驚くようなキレと速さを見せて観る者をはっとさせる。
安田登『能に学ぶ身体技法』によると、その秘訣は深層筋の活用にあるらしい。
深層筋はインナーマッスルとも呼ばれるが、身体の深部で骨を支えている筋肉だ。それに対して、一般的な筋トレで鍛えられる外側の筋肉は表層筋という。深層筋は一つ一つは小さいが、数が多く複雑で効率が良い。考えてみれば物を動かすのに、外側よりも内側から動かした方がずっと少ない力で済むし、細かい調整もしやすい。
この地球上で生きる限り重力の影響からは逃れられない。しかし、表層筋は水平(前後左右)に動くのに適した筋肉であり重力(上からかかる力)には弱い。例えば、何時間も立ち続けることはできても、それと同じ時間腕を上げておくことはできない。では、僕たちを重力に耐えさせるものは何か。それは骨格である。これは進化の賜物であり、だから筋肉が少なくても立つことができる。そして、その骨格を支え、動かすのが深層筋というわけだ。
つまり、基本的な動き、持続的な動きを深層筋で行えるようになって初めて表層筋の瞬発力やスピードが生きてくるというわけだ。
しかし、現代の楽々都市生活の中で深層筋が眠ってしまっている人は非常に多い。しかも深層にある筋肉なので、意識するのも難しい。だからこそ、深層筋は特に意識して使えるようにしていく必要がある。
しかもただ活性させるだけでは不十分である。深層筋は骨格に沿って全身にネットワークを形成している。このネットワークが機能して初めて力の伝達がスムーズに行われて効果が十分に発揮される。

体軸感覚が表現を際立たせる


深層筋ネットワークが活性化することによる、演技における利点を見ていこう。
まず、体軸感覚が得られるということだ。体軸感覚とは、背骨の内側に沿って体を貫く軸を感じられるというものだ。
物理学の法則によると、押す力に対しては常に反作用が働く。つまり、正しく立っている時、僕らは脚で地面を押すと同時に地面から押し返されていることになる。この地面からのエネルギーが深層筋を伝っていくと上半身が上に向かって伸びることになる。そして頭頂部から背骨に沿って真っ直ぐな棒がぶっ刺さっているような感覚が得られる。もちろんこの時、体の歪みや関節の詰まりがあると、エネルギーが正しく伝わらない。
この体軸感覚があると、立ち姿がきれいになるだけではなく、余計な重心移動がなくなる。これは特に映像演技においては重要である。映像では重心の移動はとても目立つ。座っているところから立ち上がって振り向くだけでも、体軸感覚のない人は二回も三回も重心の移動が起こる。これは動きがきれいだとか汚いとかそれだけの問題ではない。身体の動きで何かを表現しようとする時、余計な動きがあるとそれはノイズになる。伝えたい動きが余計な動きの中に埋もれてしまうのだ。映像演技では特に小さな動きが意味を持つ。その意味を際立たせるためには、軸と重心が安定していることが必須なのである。
この体軸感覚に優れているのが香川京子だ。振り向く芝居はもちろん、立つ/座るといった動きの際も体軸がしっかりしていてスッと動いている。京舞の井上八千代(四世)もまた驚異的な体軸感覚の持ち主である。井上八千代については語るのも野暮ったいくらいだ。興味のある人はYouTubeなどでご覧いただきたい。アメイジングとしか言いようがない。

表層筋が力を発揮するためにも深層筋が大事


もう一つ、深層筋ネットワークを活性させる利点をあげるすると、表層筋に無駄な力を入れずに動けるようになることだ。さっきも説明した通り、表層筋は水平方向に動くのに適した筋肉であり、瞬発力やスピードを出すのには良いが持続して使うのが難しい。だから基本的な動作を表層筋に頼って行っていると、いざというところでダイナミックな動きが出てこない。逆に言えば、基本的な動作を深層筋を使って行うことで、いざというタイミングで緩んでいた表層筋が発動して動きに力強さを生む。動きだけではない。体の力みは眼球の動きを制限する。体に余計な力が入っていると表情にも大きな制限がかかるのだ。
先ほど説明した通り、身体は常に地面からの反作用として力を受け取っている。深層筋を使うということは、地面から受け取るエネルギーを活用して動くということだ。表層筋だけで動こうとするとこの地面からのエネルギーをうまく使えないため、自分の内部にある限られたエネルギーを使うことになる。このようにエネルギーの源泉を辿れば、どうして深層筋のような小さな筋肉がが大きな力を生み出せるのかも理解できる。
さらにこれは、芝居に対する態度の違いにも関わるだろう。地面からエネルギーを受け取るということは、身体が外に開かれているということだ。自分の内部からエネルギーをこしらえるということは身体が内に閉じるということだ。
つまり僕が言いたいのは、筋肉は裏切る! ということだ。深層筋をないがしろにしたまま表層筋だけを鍛えても、それは飾りにしかならない。鍛えた自慢の表層筋を十分に発揮させたいなら深層筋をこそ鍛えるべきである。

以上、深層筋ネットワークを目覚めさせることによる演技上の利点を挙げたが、細かい利点を挙げればまだまだある。もっと言えば、演技をするしないにかかわらず、深層筋は大事だ。例えば健康寿命を延ばすのに役立つとか。
深層筋の具体的な鍛え方や構造については専門家や専門書を参考に当たっていただけたら幸いである。一朝一夕で身につくものではないかもしれないが、逆に十年二十年のスパンで眺めるとかなり大きな違いを生み出すだろう。



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