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『演技と身体』

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東西の哲学、解剖学、脳神経学、古典芸能(能)の身体技法や芸論を参照しながら独自の演技論を展開しています。実践の場としてのワークショップも並行して実施していきますので、そちらも是非… もっと読む
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2022年1月の記事一覧

『演技と身体』Vol.5 呼吸と内観

『演技と身体』Vol.5 呼吸と内観

呼吸と内観吐息芝居が目に付く

セリフを言う前に吐息をして、それからセリフを言う役者をよく見かける。気にならない人も多いかもしれないけど、僕は気になる。すごく気になる。芝居っぽさを感じてしまうのだ。
思うにあれは、息を吸いすぎているせいなのではないかと思う。重心が胸のあたりに残っていると息が浅くなり、それを補おうと無意識に息を吸いすぎてしまう。吐息をしなくとも息を吸いすぎている役者は多く、そうする

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『演技と身体』Vol.4 可動域=柔軟性×脳の可塑性

『演技と身体』Vol.4 可動域=柔軟性×脳の可塑性

可動域=柔軟性×脳の可塑性ビバ&ファッキン 現代都市生活

今日は身体の”可動域”について書いていこうと思う。
みなさんは普段生活の中でどのくらいの範囲で身体を動かしているだろうか。例えば僕の今日一日を振り返ってみると、一番腕を高く上げたのがコーヒーをドリップする際にヤカンを持ち上げた時、膝を曲げたのは冷蔵庫から食材を取り出すためにしゃがんだ時くらい、とまあそんなものだ。
ああ、現代都市生活とはな

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『演技と身体』Vol.3 ”人間的”なるものを越え出る

『演技と身体』Vol.3 ”人間的”なるものを越え出る

”人間的”なるものを越え出る曖昧な”人間的”範囲

具体的な身体の使い方の話に入る前に哲学的な思索を一度挟んでおこう。
演技を通じて表現しようとするものは総じて”人間的”なものの範疇だろう。人間的な感情、人間的な業・罪などなど。しかし、この”人間的”の範囲について考えてみると案外曖昧なもの(というか恣意的なもの)である。
白人を中心(人間)として有色人種を奴隷(非人間)としたり、ゲルマン民族を中心

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『演技と身体』Vol.2 表現者の身体性

『演技と身体』Vol.2 表現者の身体性

表現者の身体性固定化された身体

表現の場で必要な身体性は、日常の身体性とは異なる。たとえ日常的なシーンであってもだ。
日常の動きはルーティン化され、ある程度固定化されている。しかし、これは役に立つ。毎日階段の降り方を変えたり、包丁の持ち方を変えてみたりしていたら、生活は必要のない怪我でままならなくなってしまう。エネルギーや集中力には限りがあるので、日常的な動きをルーティン化することで余分な力の浪

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『演技と身体』vol.1 演技は芸術なのか

『演技と身体』vol.1 演技は芸術なのか

演技は芸術なのか
映画は芸術か?演技は芸術なのか?
そう問われるとふと考え込んでしまう人をしばし目にする。しかし、どうせ答えなんて決まっていないのだから、それぞれがそれぞれの都合の良いように決めておいたら良い。そのことで思い悩む必要もないし、悩むのもまた自由だ。
僕にしてみると、映画は芸術だし演技も当然芸術である。
じゃあ、芸術とは何か?これもまた簡単だ。
「芸術は爆発だ」
それに尽きる。
爆発と

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