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ほぼ中卒がシリコンバレーで起業するまでの話

5年前、「世界中で使われる大きな事業を作る」そんな夢を見つけて、ひたすら事業作りに励んできました。そして、20歳の時にマレーシアで興した事業を株式会社Kabuk Styleに事業譲渡し、2020年パンデミックの真っ只中シリコンバレーで2社目を起業しました。

これから何度試練に追い込まれても、自分との約束を守り抜く為の一つのけじめとして、シリコンバレーで起業する理由、自分自身の決意をここに残したいと思います。また、共に世界に向けて挑戦する日本人のわずかでも力になれば嬉しいです。

ほぼ中卒で海外へ

忘れもしない高校2年の春、人生の転機となる出会いがありました。シンガポールへ家族旅行に行った時に、偶然出会った現地の日本人起業家です。緊張で何を言われたのか覚えていませんが、世界で事業を興す楽しさについて語りかけられた時、全身に鳥肌が立ったことを覚えています。心が震えて、その日の夜、一睡も出来ませんでした。

帰国すると、「世界で事業を作りたい」という想いを止められず、高校に行くのをやめて、海外に出ることを決めました。同時に、学校に自分の居場所を見つけられず、そのプレッシャーから逃げたかったのだと思います。英語圏で物価が安く、日本人がいなさそうな場所を探して、フィリピンのダバオという町を見つけ、ここに住むことを決めました。

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ダバオ時代に使っていたドミトリーを案内されている様子

マレーシアでの起業

その後、2017年に事業作りの拠点を探してシンガポール、カンボジア、タイを周り、マレーシアを選びました。

東南アジアの英語圏で、シンガポール・香港は既に成熟して物価も高い。それに比べてマレーシアはまだ発展途上ですが着実に成長している、かつ様々な人種・宗教が入り混じる多国籍国家に魅力を感じました。

また、高校もろくに通っていないような自分が普通の正攻法を辿っても、大きな結果は生み出せないだろうと思いました。これから伸びる、成功例のまだ少ない場所から勝負する必要があった私にとってマレーシアは最良な国に思えました。

マレーシアの首都クアラルンプールに降り立ち、電車に乗ると、顔にターバンの様な布を巻いた人(ヒジャブと言います)に溢れており、中国語やヒンドゥー語、英語が飛び交うまさに異国の地でした。

こんな場所で本当に事業は興せるのか、不安でしたが、やれるという根拠のない自信だけはありました。

とはいえ、右も左も分からない状況だったので、現地で結果を出している起業家の元で働き、事業の作り方を学びたいと思い、気になった企業へ手当たり次第メール/電話をしてみることにしました。

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当時の失礼極まりないメール

何のスキルもない状態でしたが熱量だけは買ってもらえ、マレーシアのメディア業界で急速に成長しているM-townという企業で営業に携われることになりました。

こうして、マレーシアで飛び込み営業の毎日が始まったのですが、1ヶ月経っても契約は獲得できませんでした。しかし、事業主に中華系の割合が多いことに気が付き、中国語を勉強してみることに。これが功を奏して、初めて中華系レストランチェーンから契約を獲得することが出来ました。

この経験から、マレーシアで事業を作る為には中国語が必須だ、という気付きを得て、1ヶ月後には北京にいました。現地大学の短期コースに参加し、4ヶ月間中国語を学んだ後「これでマレーシアで勝負できる」そんな自信を片手にマレーシアに戻りました。

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万里の長城に登った時の写真

転機が訪れたのは、それから2ヶ月ほど経った頃です。マレーシアでどんな事業を興すべきか考えた末、賃貸仲介に関する事業に決めたのですが、何から始めれば良いのか分かりませんでした。そこで、片端から話して周れば誰かが助けてくれるだろう、という安易な結論に至り、その通りに動くことにしました。

しかし、ビジョンが大きいだけでビジネスモデルはめちゃくちゃ、白い目で見られることばかりでした。そんな中、横山さんは「すぐにやろう」と言って支援してくださり、気付けばマレーシアに自分の会社ができていました。あの時、何もない私の背中を押してくれた横山さんには頭があがりません。

会社が立ち上がった頃は、マレーシアの賃貸問題を解決できればこんな大きな事業になる、ついに起業家としての人生が始める、と期待に胸を膨らませていました。

しかし、事業自体は散々でした。

物件集めから始めるも、事業経験も人脈もない19歳を相手にしてくれる不動産企業はマレーシア中探しても見つからず。それでも連絡し続けた結果、気の良い中華系マレー人が条件付きで提携してくれることになり、事業がスタート。しかし、契約数が増えるにつれて、オンライン完結のサポートは難しく、スケールの展望は見えませんでした。最終的には、コミッション支払いの期日、提携していたエージェントの連絡が途絶え、消息不明になる始末でした。

会社を立ち上げてからの5ヶ月間、一人で走り続けて残ったものは、挫折感と口座残高が家賃3ヶ月分(約13万円)だけでした。

当初描いた事業を作れる道筋は一向に立たず、それでもどうにか現状を突破しなければと必死で、常にイライラしている嫌なヤツだったと思います。この頃、カフェで横山さんと会う度に、何も良い報告が出来ない自分が情けなく、このままでは失望されるんじゃないかと不安でたまりませんでした。

そんな人脈も資金もない時に見つけた唯一の活路が、クラウドファンディングでした。賃貸契約を根本から変えるシステムの構築は難しくても、入り口となる場所が世界中にあれば外国人の住居探し問題は解決出来るのではないか。そう考え、1つ目のゲストハウスを作る為にクラウドファンディングの挑戦を決めました。

関連記事を読み漁り、成功した類似プロジェクトの共通項を洗い出し、事業計画を練り、物件を探し、プロジェクトページの作成からPRまで。残された時間はあとわずかでした。一緒に奮闘してくれた当時の相方には本当に感謝しています。

結果、幸いなことに178万円以上の支援をいただき、クアラルンプールの中心地にゲストハウスPotHubを作ることが出来ました。世界中で使われる事業を作る、という夢に近付いていると初めて実感した瞬間でした。

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ゲストハウスのリビングの写真

ゲストハウスには様々なゲストが行き来し、東南アジアのノマドコミュニティーやゲストハウスのネットワークが広がっていきました。その後、2軒目もオープンし、事業は順調に進んでいる様に見えました。

しかし、実際はゲストハウス2軒の運営だけで手いっぱいとなり、思い通りに事業をスケール出来ていないことに葛藤していました。目の前の自分を見つめて「こんな小さな事業を作る為にマレーシアに来たのか」そう悶々とする日々が続きました。

そんな時、出会ったのが株式会社Kabuk Style代表の大瀬良さんと砂田さんです。 *株式会社Kabuk style(国内最大の定額制コリビングサービスHafHを運営、日経Nextユニコーン100に選出)

共通するビジョン(co-living)を掲げて、急速に事業成長させる大瀬良さんと初めてお会いした時、リビングが熱気に包まれていたことを覚えています。そして、クアラルンプールの屋台街で「事業を譲ってくれないか、東南アジアのハブにしたい。」とお誘いただきました。

「世界中で使われる大きな事業を作る」そう心に決めてから3年が経ちました。マレーシアで上記以外にも複数の事業を立ち上げ、サービスを利用して感謝された時や、素敵な出会いに喜びを感じました。一方で、「世界中で使われる事業を作る」という点においては、ほとんどが失敗でした。自分の実力不足が悔しくも、自業自得です。また一から始めようと思いました。

そして、株式会社Kabuk Styleに事業譲渡することを決めました。

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株式会社Kabuk StyleメンバーとゲストハウスPotHubメンバー

その後、ご縁で平成最後の大晦日、朝日新聞の一面トップにて特集していただきました。

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2019/12/31の朝日新聞

世界に向けて

世界に向けた事業を作る為には、マレーシアで事業作りするべきではないと感じた理由がいくつかありました。

1つ目は、周りにAirbnb, Uberの様なグローバル規模のプロダクトを作りたいと思っている起業家が居なかったこと。
2つ目は、マレーシアは現状維持の意識が強く、新しいサービスに寛容な国ではなかったことです。

では、どこからであればで世界中で使われる事業を作ることが出来るのか。この答えをネットから得た浅い情報ではなく、自分の目で見つけたいと思い、南アフリカ、北欧、シリコンバレーに絞って、6ヶ月間生活してみることにしました。

特に南アフリカは面白く、想像の何倍も発達した街並みに驚きました。しかし、中心部以外はスラム街が広がり、格差が残酷なほどに激しい現実や未だアフリカ人のほとんどは農業従事者であることを知り、今ここで事業を興すべきという確信は持てませんでした。

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ヨハネスブルグの街中で撮った写真

こうして、スウェーデン 、フィンランド、エストニアなど北欧諸国も周りましたが、確信が生まれることはなく、何も決まらずに時間だけが過ぎ去っていきました。

そして、最後に訪れたのがシリコンバレー・ベイエリアです。この街に来て、2ヶ月が経とうとする頃「ここで勝負しよう」という想いが固まりました。

前提として、世界中で使われる事業を作る為にはサンフランシスコが1番の近道だから、という理由はあります。サンフランシスコは未来に最も近い、世界の中心です。また先進国の中で人種や価値観が最も多様な、スケールを目指す為にはメリットの多い国です。人生をかけて世界に向けた事業を作りたいのならば、最高の人材、知識、資金が集まるサンフランシスコでやらない理由はないと感じました。

しかし、それと同じくらい惹かれた魅力がここにはありました。

それは、この街にいる日本人起業家の存在です。事業の話をしている時「なぜ起業するの」「どんな生き様を残したいの」と突然問われ、言葉をつまらせたのを覚えています。起業家は事業を作る ”職業” と割り切っている人が多い中、中屋敷さん千住さんをはじめ、この地にいる起業家は人生を通して成し遂げたい想いを事業として具現化する ”生き方” を全うしているのだと思いました。純粋度高く事業と向き合い、世界を目指す姿に多くの刺激を受け、同時期に来た大東くんと事業を模索する中で決意が固まっていくのを感じました。

渡米後の1年間

渡米してからは、0.9ドルのパスタと1ドルのトマト缶を食べながら、興すべき事業を毎日模索していました。

・クラウドファンディングのメンタリングスクール
・睡眠改善のパーソナルプログラム
・書籍要約podcast
・バーチャルコワーキング

など自分自身が抱える課題を中心にアイデアを検証しましたが、その中でも特に注力したのはいびき領域でした。私が昔から中等度のOSA(閉塞性睡眠時無呼吸)に悩まされ、未だにソリューションが見つかっていないこと、かつ高齢化により確実に伸びる市場だと考えたからです。

そこで、1ヶ月間集中していびきやOSAに関する書籍、論文を読み漁り、睡眠医学の最高峰 スタンフォード・スリープ・メディスン・センターの睡眠専門医 河合先生に教えを乞い、いびき患者に合計で15時間以上インタビューし、気付けばドキュメント数も100を超えていました。

しかし、深堀すればするほど専門性が高く、素人である自分が取り組むべき領域ではない様に思えました。河合先生にはスタンフォードで睡眠医学を1から学んだらどうかと提案されましたが、正直に言うと数年以上勉強に費やすほどの情熱をこの領域に持てませんでした。

この頃、金銭的にギリギリの状態だったのですが、友人の紹介で500ドル/月で部屋を借りれることになりました。平均価格が1700ドル以上のサンフランシスコでは破格の値段です。案の定、大量のゴキブリが住み、シャワーは冷水しか出ない様な環境でしたが、寝る or オフィスの生活だった為慣れれば問題ありませんでした。

シリコンバレーなら世界中で使われる事業が作れる、そう意気込んでから1年が経ちました。模索し続けても信じられる事業は見つからず、何の進展もなかったこの時期は、これがいつまで続くのかという漠然とした恐怖と苦しさがありました。

当たり前だった苦痛

2020年3月、状況は劇的に変化していきました。

サンフランシスコでは突然ロックダウンが始まり、身動きが取れなくなり、世界中が入国規制を始めたことで、今まで当たり前だと思っていたある苦痛に気が付きました。

それは、物理的に離れた大切な人との通話のハードルです。

私はこれまで3年以上、国際遠距離恋愛をしており、家族も全員別々の国で生活しています。物理的に会えない期間が続いたことで、「話したいタイミングが合わない、時間調整が面倒」など電話の課題が浮き彫りになっていきました。

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そんな状態が6ヶ月間続き、彼女に泣きながら言われた一言が心に刺さりました。

好きだからこそ、話したい時に話せないのが苦しい、辛い。

彼女や家族とはいつでもLINEで電話できますが、相手がいま話せるかどうかは分かりませんし、着信音で邪魔してしまうかもしれない。もっと気軽に、互いが話したい時に声をかけ合える手段があればこの問題を解決できるのではないかと思いました。

そこで、アプリをバックグラウンドにしていれば、相手が好きな時に話しかけられる、常時接続型通話アプリを構想しました。

しかし、私はノンテクニカルファウンダーであり、ソフトウェアで勝負する為には技術サイドの共同創業者は必須です。

そこで思い出したのが和木でした。彼とは一昨年、シリコンバレーで出会ったのですが、マイクロソフトや米国スタートアップでエンジニアとして経験を積み、日本で常時接続の通話サービスを開発するスタートアップのCEOをしていました。世界中で使われるプロダクトを作る、という志とを持って開発に没頭する姿を見ていたので、彼となら良いチームになるのではないかと思いました。

久しぶりにメッセージを送り、相談したところ、1ヶ月限定で開発を手伝ってくれることになりました。

この頃、私は心から欲しいと思える事業の道筋がやっと見えたことに熱狂していました。家に帰る時間が無駄に思えてオフィスに泊まり込み、シャワーは3日に1度、朝4:30起床12時就寝という生活が1ヶ月以上続いていました。しかし、和木はそれに引けを取らないスピードで開発を進め、プロダクトが出来上がっていきました。

共同創業者は彼以外いない、その想いを伝えて、幸運にも共に会社を創業することになりました。他のスタートアップへのジョインを蹴って、私の夢にかけてくれた和木に感謝するとともに、必ず成功しなければいけないという決意が強くなりました。

プロダクトの価値

まずは、国際遠距離カップルにターゲットを絞り、(1) 他にコミュニケーションに課題を感じている人はいるのか。(2) その課題はお金を払ってでも解決したいほど強いペインなのか。をクラウドファンディングで検証することにしました。

いつでも無料で電話できる時代に、通話アプリにお金を払う人はいるのか。ましてや、完成するかも分からない個人プロジェクトならなおさらです。そんな不安も抱えながらリリースしたプロジェクトは、日経新聞に掲載され、2週間で101人の方々から100万円以上の支援をいただき、いま強く求められているサービスだと確信することが出来ました。

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また、彼女や家族、ユーザーとの対話で少しずつプロダクトの価値が明確になってきました。

既存のメッセージングアプリ(LINE, WhatsApp..)は、大切な人だけでなく赤の他人とも繋がっている為チャットベースで設計されており、通話をする為には電話をかけて応答を待つ or 時間調整する必要があります。

しかし、Hereは「話したいけど電話するほどではない」という時に、アプリをバックグラウンドにしていれば、その時空いている相手がいつでも通話にdrop-in&outして、隣にいる様に話しかけることができる。大切な人との通話のハードルを無くした、クローズドな常時接続型通話アプリとなっていました。

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現在は、招待制でβ版を使ってもらい、密にコミュニケーションを取りながら開発を進めています。パワーユーザーの20人は1日平均4.6時間利用しており、確かな需要を感じています。

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愛用してくれているユーザーのメッセージ抜粋

常時接続のトレンド

一方で、米国では常時接続音声アプリのトレンドを感じていました。音声版Twitterと言われるClubhouseはユーザー数5000で100億円のバリエーションが付き、類似サービスのChalkや Rodeoもトップティアの米国VCから調達に成功しています。

しかし、これまでのSNSの変遷を振り返ると、2016年からFacebookのエンゲージメント率は落ち続け、TwitterやInstagramも企業のチャネル、インフルエンサーとの交流場所となってしまいました。Josh Elman(C向けの分野ではシリコンバレートップクラスのVC)は、「次のソーシャルは人との絆を深めるものだ」と主張しています。2020年、ユーザー数を160%伸ばしたMarcopoloやCocoonを筆頭に、米国では非同期のSNSが不特定多数とのソーシャルからクローズドな方向へとシフトしつつあり、この流れは常時接続の音声領域でも同じ様にクローズドへと移行していくと考えています。

物理的に離れた大切な人と隣にいる様に話せる、クローズドな常時接続通話の需要はこれからさらに広がっていき、自分自身だけではなくもっと多くの人の課題を解決できると信じています。

自分との約束

起業家には、一人ひとりに起業する理由があると思います。私がマレーシアで起業した最も強い理由は、コンプレックスでした。

小学生の時に前髪が全て抜け落ちるほど勉強したのにも受験に失敗し、中学生の時にいじめられ、学生時代に積み重なった劣等感を払拭したくて海外で事業を興し、成功したかったのだと思います。しかし、マレーシアで事業に失敗し続け、信じられる事業を見つけれなかったサンフランシスコでの1年の中で、誰かを見返したいという感情よりも、原動力となってくれた想いがありました。

それは、17歳までの私の様な、日本に居づらさを感じている人が「海外で起業できるんだ、やってみたい」そう思えるような人生を生きたい、という想いです。起業家という生き方、海外という選択肢をくれたシンガポールでの出会いが、これまでの人生で何よりも大きかったからなのだと思います。世界1だと誇れる事業をゼロから作り、世界中に届けたい、という自分のエゴを通して、そんな人を1人でも増やせれば嬉しいです。

世界中で使われる事業を作り、1人でも多くの人に海外で起業するという選択肢を届ける。これが自分との約束であり、その為にシリコンバレーでの挑戦に人生をかけたいと思います。

最後になりましたが、この地で挑戦ができているのは何もない自分に手を差し出し、支えてくださった周りの方々のおかげです。いつも親身に相談に乗り、サポートしてくださるカズキさん、切磋琢磨し合えるサンフランシスコの同志 the olive grove だっつ、Potlatch 寅さん、Sentrei カッキー。メンタリングしてくださるsfの先輩方 Anyplace サトルさん、Remotehour 山田さん、Zypsy かずささん、Waffle さっそさん、Ramenhero 長谷川さん、Chomp キヨさん、そして1番最初に背中を押してくれた横山さんに心から感謝申し上げたいと思います。

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