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4. JOURNAL MURAL MAI 68 TCHOU, EDITEUR

今、本棚に並んでいる本は幾度にもわたる死闘を繰り広げた後に生き残っている本だ。要するに、何度かの引越しや、整理や、入れ替えに耐えた本で、そうなるとほとんどの本をどこでどう買ったのかを覚えている。けれど古本人生の初期に手に入れた本は、一体どこで買ったのかどういう心境で買ったのかあまり覚えていないものもあるが、それでも本棚に収まっているのをみると、買ったときの自分を褒めてあげたくなる。
それは例えば「PARIS, TEXAS」のドイツ語版のほとんど映画の写真集のようになっている大型で分厚いスクリプト兼スチール集や、キューバにあるヘミングウェイ旧住居の美術館の、館内の様子や展示物の写真が載っている粗悪な印刷の菊判ほどの薄いハードカバーの本や、ジョイスの「pomes penny each」のサンフランシスコで印刷された海賊版らしい中綴じ16p足らずの冊子などがある。これらはいつどこで買ったのかをさっぱり覚えていないけれど、かつても今も変わらず好きなものではあるので、買ったときの気持ちは何となくわかる気がする。けれど、この「JOURNAL MURAL MAI 68」は、どこで手に入れたのかは覚えているけれど、手に取ったことが偶然的過ぎて、思い出すたびに不思議な気持ちになる。
手に取ったという含みを持たせているが、つまりこの本は買った本ではなく無料で貰った本で、今でもたまに出ていると思うが、田村書店前の歩道のガードレール側に置かれた段ボールに入れられた、自由に持って行っていい本の一冊だった。神保町を行ったり来たりしていた大学生時代、田村書店の店頭本は安くて良い本があり、多くの人が群がるなか負けじと体をねじ込んでいた。まずは右側の単行本から見て左側のペーパーバックや文庫本を見るのだが、その流れで歩道の向かいの段ボールも見ていた。その中は基本的には外国語の本で、いつ見てもよくわからないものばかり入っていた。一般人ではなさそうな人がまとめて持っていくのも見たことがある。
どういう日にその段ボールをまた覗いたのかは覚えていないけれど、その中に横長のペーパーバックで表紙のデザインが格好いいこの本があった。パラパラと開いたであろう僕は、色々な言葉が色々なタイポグラフィで並んでいるこの本を貰っていった。その時はたぶんデザイン関係というか書体の見本帳のような本だと思ったのだろう。そして持ち帰りはしたが読むこともできなく、当時はインターネットはあったけれど、周りのあらゆる事をインターネットを使って調べる時代ではなかったので、そのまま部屋の中に転がしていた。
それとは別に、前後関係は思い出せないが、竹内書店の「壁は語る」を、確か新宿の京王百貨店での古本市で千円くらいで買った。これもその時は価値をよく知らず、当時関心のあった学生運動の関連本として買ったのだが、その後一万円近くで売られているのを見て驚いた。そしてどちらも手に入れてしばらくたった後、突然、無料で貰った本がその「壁は語る」の原書だと気がついた。気のせいかと思い何度も奥付や訳者のあとがきを見比べたが間違いなくそうだった。古本に関する偶然はいくつもあるが、これは一番と言っていいほど不思議な偶然が重なったものだった。二冊は並んで本棚に鎮座し、これからもあらゆる死闘に勝ち続けるのだろう。

#本 #古本 #ErnestHemingway #JamesJoyce

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