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南十字星と北十字星

その本を手にしたのは、中学二年の夏だった。母親のお兄さんが営むペンションでその夏の間を過ごし、そのときに何度か行くことになった地域の天文台の図書室で、その本を借りて読んだのだった。

ペンションを手伝うという名目で夏休みの間そこで過ごすことになり、都会育ちの自分にとっては、朝起きて仕事を手伝い、午後になってあたりを歩いて、夕方からまた夕食の準備や片付けを手伝って就寝するという毎日は、それだけで十分に刺激的だった。けれど、それだけでは退屈だろうと思った伯父さんが、僕と同い年の息子がいる地元の友人家族を紹介してくれ、さらには共通の知人である天文台に勤める人に取り計らい、その天文台へ見学に行く算段までつけてくれた。

天文台までは山をまわるバスで行けて、最寄りのバス停に向かう途中、いっとき木々が開ける瞬間があり、天文台特有の丸屋根を見ることができた。僕がバス停に到着したとき、その親子は車でもう着いていて、父親の方はまた迎えにくると言って去っていった。
その日は休みだったのか誰もおらず、開いていたガラス戸の入口から入り、受付にあるノートに紐がついたボールペンで各々の名前と日時を書いた。紹介されたその人は、きっと三階の観測室にいると言われていたので、階段で三階まで上がり、廊下の案内に沿ってその部屋まで行った。部屋に入っても誰もいなかったので、部屋の隅にある螺旋階段の上部に向かい、すみませんと声をかけると返事があり、しばらくするとその人が降りてきた。
よく来たねと言い、部屋の奥の給湯室らしき一角に入り、冷たそうな麦茶が入ったグラスを二つ、お盆に乗せて歩いてきた。僕たち二人に椅子をすすめ、やっと落ち着いたのを覚えている。
同行した男の子は、地質学を研究する父親の影響もあってか天文学には興味があり、この天文台について教えてくれるなかで色々と質問をしていた。僕の父親は普通の会社員だったので、こんな生き方もあるのかと感じていた。
その後、館内の案内をしてくれ、三階は観測室、二階はちょっとした講演が出来る大教室と普通の大きさの教室、一階には受付に繋がる事務室と図書室があった。
図書室は学校のとは違い、雑多な感じはなく、腰高の本棚が並ぶ整理の行き届いた部屋だった。先ほどの観測室での説明で少し興味をもった僕は、ペンションでの空いた時間を持て余していたこともあり、何か借りられる本はないか質問し、読み物だとこのあたりが読みやすいかなと何冊か選んでくれた。

その日はそれで帰り、またあらためて夜に泊まりがけで来ることを約束し、迎えに来てくれた車に乗せてもらい、ペンションに戻った。
借りた一冊を眺めると、その本はカバーはなく緑色の布製の表紙で、背に黒の箔押しでタイトルと著者名が入っていた。借りたときに言われたのは、この本は天文台にも出入りしていた同好会の人の自費出版で、売り物の本ではないということだった。
読み進めていくと、著者が若いころ、どのように星や天文学に興味を持ったか、どんな観察をしてきたかが書かれていて、そして中盤から、著者が戦争に行った際の話になっていった。
その当時の天文好きにとって南十字星は憧れの存在で、兵隊にとられ戦地に行くという悲惨な現実のなかにも、少しだけ、南国の地で南十字星が見られるかも知れないという気持ちがあった。ただ、そうやって見た南十字星は思ったより小さく鈍い光で、見られたという感慨はあったけれど、もう一度、北十字星、夏の大三角を見たいと強く願った。
仲間が戦死していくなかで、著者は生き延びて日本に帰ることができ、仕事としては別のことをしながらも、その天文台を含め星に関わってきたといったことが書いてあった。
そして、最後のページまで読むと、便箋一枚の手紙が挟まっていた。宛先は天文台のその人で、本を出したことについて簡単に書かれていた。

数日後、約束していたように、泊まる用意を持ち天文台へと向かった。星を観察したりして夜を過ごすなかで、ふと空いた時間に、借りた本について尋ねた。するとこんな話を教えてくれた。
著者のその人は、日本に帰ってきて北十字星をまた見ることができた。ただ、胸の中で、再び南十字星を目にしたいという想いが膨らみ、その本を出した何年か後に、戦争で行った地を訪れることになった。そして島々を船で巡る間に、その人は乗っていた船から姿を消してしまった。行方不明という扱いにはなったが、船から身を投げたのではと親族が伝えてくれたとのことだった。

夏が近づくと、ペンションや天文台で過ごした時間を思い出し、夏の大三角や、南十字星が見える南国の地を思う。そして、そこでかつて死んでいったたくさんの人たちや、生き残ってもその経験を忘れることができなかった人たちを思う。
あの夏からもう二十年が経つのかと感じ、戦争からはもうすぐ八十年かと考える。どの時代にも、今のそしてかつての自分と同年代の若者たちがいたことを想像する。
アルタイルやベガからは、約二十年前の光が今ようやく届き、デネブからは実に千四百年前の光が届く。デネブからのその光が地球まで進んでいく間に、千四百年間の様々な出来事があったと思うと、途方もないような気がすると同時に、時間や年月から解き放たれるような思いがしてくる。

#本  #古本 

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