37. ALASKA National Geographic Society
たまに思い出してはインターネットやSNSで近況をチェックしている人が何人かいて、その一人が松家仁之さんだ。松家さんは自身の作品を文芸誌で発表するため、その見逃しがないようにしていて、文学界に掲載された「眠る杓文字」や、すばるに発表した「泡」に気が付けたときはとてもうれしかった。
最近また松家さんの名前で検索したところ、文春文庫から出た大竹英洋「そして、ぼくは旅へ出た。」の解説文を書いたと知り、さっそく手に取った。検索した際に見た表紙の写真には見覚えがあり、以前に出た「THE NORTHWOODS」という写真集を中目黒のCOWBOOKSが取り扱っていたために知っていた。そうやって、自分がどちらも好きな二方向からの矢印が出ると、とたんに親近感がわくが、松家さんが解説を書いているというだけで手には取っただろうと思う。というのも、松家さんのライフワークとして星野道夫さんがいて、大竹英洋さんが星野さんに通じるものがあるのかも知れないと感じたからだった。
自分にとって星野道夫という人は、今の自分を形成したほどに影響を受けた一人で、最近ではあらためて読むことはなかったが、これを機に久しぶりに読み返していた。星野さんに関する本でいつまでも持っていたいものがいくつかあり、まずは新潮文庫と文春文庫の何冊かずつ、知るきっかけとなったcoyoteの二号目、生前の特集となったSWITCH、そしてナショナルジオグラフィック社からの写真集「ALASKA」だ。
coyoteのその号ははじめて星野道夫に触れる人向けにも、よく知っている人向けにもよくできた一冊で、例えば、文庫になっている著作では語られていないはずの、アラスカを目指すきっかけとなった話がのっている。そこで出てくるのがこの写真集で、星野さんが大学生のときに神保町の古本屋で手にしたこの写真集にあった、海に飲み込まれそうな海辺の村の俯瞰写真を見て、この村で暮らしてみたいと思い、
MAYOR Shishmaref Alaska U.S.A
とだけ宛先にして手紙を出したところ、半年後に返事が来て、三ヶ月間、その村に滞在することになった。
先に挙げた大竹英洋さんも、手に取ったオオカミの写真集に感動し、その写真家に手紙を出すことから話が始まるが、coyoteには当時の編集者だった湯川豊に宛てた星野さんの手書きの手紙も何枚かのっており、その文字はまさに星野さんをあらわすようで、後で手にしたつるとはなから刊行された「須賀敦子の手紙」で須賀敦子の文字を見たときと似たような感じ方をした。
そのように隅々までcoyoteのその号を読んだ身にとっては、アラスカへと星野さんを誘ったその写真集や、他のページのフェアバンクスの自宅の本棚を調べた蔵書一覧にあった本は手にしたくなるもので、いつか出会うことを想っていた。
大学四年生のとき、アメリカへの憧れを果たそうと思い、シカゴからサンフランシスコ、オレゴン、シアトル、カナダに入りバンクーバー、そしてシカゴへと、約一ヶ月間の行程で、ホステルに泊まりながら電車やバスで移動した。
そのなかでなぜか憧れのあったオレゴン州ユージーンは、オレゴン大学が街の多くの部分を占め、街中を一日で把握できるようなところで、まわった都市のなかでは一番ゆったりとした場所だった。そのメインストリートには、大学街だからか古本屋や古本を置いた古道具屋が点在しており、古本屋では、その当時は文庫化されていなかったヘミングウェイ「移動祝祭日」のペーパーバックを購めて、女性の店員さんに良い本だというような声をかけられた覚えがある。
そして別の古道具屋に入り出会ったのがこの写真集で、フォークアートが並ぶ店の床に大判の本が入ったバスケットがあり、そのなかを見ていくと、この表紙と目が合ったのだった。その数日後にはcoyoteの別の号で読んだ、バンクーバーのUBC人類学博物館に展示されているビル・リードのワタリガラスを見たり、バンクーバーの古本屋で星野さんの蔵書にもあったビル・リードによるイラストの「Raven’s Cry」を見つけたりして、自分のなかでは色々と果たされたような想いがあった。
今でもそのように苦労してでも、どうしても体感したいことはあるのだろうか。誰か未知の人に手紙を出すように。結局は、本のなかで全てを済ませてしまっているような気もするけれど、それが楽しいのだから仕方がない。
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