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再帰性(1):教育学の参照基準
大学で学生を教えるとき,私の中で聞こえてくる声があります。
「じゃあ,お前はどうなんだよ?」
大学生の頃,私は決して褒められた学生ではありませんでした。
しかし,大学教員として,学生に一丁前に教えならなければいけません。
私は大学生だったとき,どうだったのだろうか。
大学教員の私が言うように,大学生のときの私はきちんと勉強していたのだろうか。
そして,大学教員の私はそれを隠すことなく今の教育に生かしているのでしょうか。
こうして私は,私が辿ってきた道をもう一度歩み直し,これから歩む道を考えています。
私だけでなく,教育に携わる者ならだれでも,自分自身の教育経験を振り返り,現在の教育自体を問い直したことがあるのではないでしょうか。
これは教育学における再帰性と呼ばれます。
教育学は前述のような実践志向性を持つ学問であるからこそ、教育という営みを担う実践者自身が、その営みの在り方を問い、教育学的知見を産出することを要請される。教育学を学ぶ学生は既に自らの生育史において様々な教育を経験しており、かつ、大学教育を通して教育学を学ぶという経験を行っている。すなわち、教育学は、教育者・学習者の双方が自らの教育経験を相対化するとともに、現在進行形の教育それ自体を問うことも求められる点に、他の学問分野とは異なる再帰性(自己の行為を対象とするという性格)を有する。教育学を教える教員は、自分が現に行っている教育が自分の教える教育学と齟齬がないかを常に問われるし、また、教育学を学ぶ学生も、自分が現に行っている学習を自分の学ぶ教育学から検討することを求められる。
(教育学分野の参照基準検討分科会, 2020, pp.5-6, 太字は引用者による)
この再帰性の概念については,教育学だけでなく,社会学を中心にこれまで議論がなされてきたようです。
その議論は,質的研究の品質基準の議論とも重なるところがあります。
これからしばらくは「再帰性」を一つのキーワードにしてちまちまと勉強して記事を書いてみます。
最終的にはそれを一つの視点として整理し,科学教育における質的研究を再検討することを目指したいと思います。
質JARSがひと段落して新シリーズ開始。教育者は二度同じ道を辿る、とかいう名言ないですかね。
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