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大人ってなんだろう?

大人に会いたい日々

大人に会いたい。立派な大人に会いたい。
20代前半はこの気持ちを満たすために生きていました。

ああ、俺って周りの大人に愛されずに、生きてたんだな。

大学4回生になってこの事実に気づいた時、鬱病になりました。
背中の激痛に耐え、記憶が飛び、就活も卒論も危うい。
そんな地獄を乗り越え、なんとか卒論を書いて内定がないまま、卒業。

卒業して思ったことは2つ。
立派な大人に会いたい。立派な大人になりたい。

そこから、図書館通いと、アーティストさんの手伝いをする日々が始まりました。午後に学童で仕事をしながら、午前に本を読む。休日に保育士の勉強をしつつ、アーティストさんの手伝いとして草むしりや楽器を演奏する。そんな2年を過ごし、保育士の資格を取り東京へ上京。
三軒茶屋という渋谷にも下北沢にも近い場所へ住むことに。

ああ、これであの作家さんや学者さんに会える。立派な大人に会えるんだ。

そんなワクワクを胸に、四畳半の家に住むことになったのです。

大人への絶望

そんなワクワクは、いろんな大人に会いに行くたびに裏切られていきました。トークイベントなどを調べて、学者や作家などに会いに行って、本を読んで思ったことなどを質問していたのですが、反応は散々でした。
最初は質問の仕方が悪いのかな、と思っていましたが、どうやら都合の悪いことを聞いていたようです。

質問した時の反応は3パターンでした。

無視する
別の話題にする
キレる

NHKに出ていた人も、本をたくさん出していた人も、有名な大学の教授も、政府のアドバイザーも、そんな感じでした。ちゃんと向き合って質問に誠実に答えてくれたのは、10人に1人くらい。

名前をあげると、
東京都立大学の宮台真司
上智大学の寺田俊郎
人生カフェの本間正巳

以上です。この3人は何者でもない僕と誠実に向き合ってくれました。

30人くらいに会いに行って、うんざりして、著名な人に会いに行くことやめました。こうして、立派な大人の少なさを実感しました。

立派な大人になるんだ

そこから、私の立派な大人になりたい欲が加速していきました。
本を読み、哲学カフェに入り浸り、自分でも哲学カフェをつくり、大人とはなにか、を思索していったのです。
立派な大人とはなにか
それは相手が誰だろうと誠実に向き合える人、特に肩書のない人と。

そのための修行を今もしているのです。

最後にヴィヨンの詩を引用します。

【軽口のバラード】

牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる、 どんな人かは、着ているものでわかる、 天気が良いか悪いかもわかる、 林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる、 樹脂を見れば木がわかる、 皆がみな同じであれば、よくわかる、 働き者か怠け者かもわかる、 何だってわかる、自分のこと以外なら。

襟を見れば、胴衣の値打ちがわかる、 法衣を見れば、修道僧の位がわかる、 従者を見れば、主人がわかる、 頭を覆っているものをみれば、どこの修道女かすぐわかる、 誰かが隠語を話してもちゃんとわかる、 道化を見れば、好物をどれほどもらっているかがわかる、 樽を見れば、どんな葡萄酒かがわかる、 何だってわかる、自分のこと以外なら。

馬と騾馬の違いもわかる、 馬の荷か騾馬の荷か、それもよくわかる、 ビエトリスであろうとベレであろうと、知ってる女はよくわかる、 どんな数でも計算用の珠を使って計算する仕方もわかる、 起きているか眠っているかもわかる、 ボヘミヤの異端、フス派の過ちもわかる、 ローマ法王の権威もわかる、 何だってわかる、自分のこと以外なら。

詩会の選者よ、要するに何だってわかる、 血色のよい顔と青白い顔の区別もわかる、 すべてに終末をもたらす死もわかる、 何だってわかる、自分のこと以外なら。

以上です。朗読したい。
最後に写真は宮台真司の若かりし頃です。
宮台さんは特にいい人でした…

もし、時間があれば大人になるために読んだ本とか映画の紹介もしたいですねー




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