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深夜のみしぇ論 詰め合わせ

こんにちは、みしぇる(@crsa_photo)です。

3月も3分の2が終わり、日中は汗ばむ陽気の日もあり、世界が少しずつ春めいているのを感じています。

おおむね週1回投稿の深夜のみしぇ論を思い出したかのようにアップします。

先週の土日は、ぼくの大切なお宿である今井荘に行っていたこともあり更新ができませんでした。
また今井荘についての写真や記事もみなさまにお届けできればなと考えています。

では、みしぇ論をどうぞ。

   素敵な文章を綴る人に出逢うとうれしくなる。

 綺麗なことば選びができる人や、情景描写にリアリティのある人、比喩表現を巧みに操る人など、文章がうまいとされるような条件はさまざまだと思うが、ぼくにとってこころ惹かれる文章をひとことで表すなら「無理のない文章」である。これは手垢のついた表現でいうと「等身大である」と言えるかもしれない。
 自分を過剰に着飾ろうとするのではなく、多くの人に伝えてやろうといった傲慢さもなく、ただただ語らなければ気が済まないというような切実さの感じられる素直なことばで文章を綴るひとがすきだ。

 もちろん人の目につく場所に文章を置いている以上、きっと苦しみながらことばを選んだり、おもしろそうなことや素敵な自分に見えるような話を選んでいるのだろう。だとしても、むしろ自分の気持ちを正しく文章にするために自分とことばに正しく向き合って最適なことばを選ぼうとしたという姿勢自体が、切実さの表れであるし、そこで背伸びをした表現を選ばなかった、あるいは選べなかったということが、その文章の読み手の内側に滑らかに入り込むような力を宿すのだろうと思う。

 久しぶりにとても素敵な文章を綴る人に出会ってとてもうれしくなったので、すきな文章について考えてみた。本当に素敵なのでみんなにも教えたいのだけど、もうしばらく独り占めしたいという気持ちもあるので、もしも気になる人がいるのならぼくに直接尋ねてきてほしい。
 
 
 
 職場の水道から出てくる水が熱すぎる。

 職場のお手洗いの洗面台には湯沸かし器が付いていて、蛇口のレバーの角度によって水とお湯を切り替えられるのだけど、いい感じの暖かさになるポジションを見つけるのがかなり難しい。あまりにお湯側へとレバーを動かしてしまうと、完全に熱湯が出てくる。想像がつかないかもしれないが、もくもくと湯気を立てるようなレベルの熱湯が出てくる。たぶんカップラーメンとかなら普通に作れるのではないかとすら思う。

 冬場のこの時期はできれば温かいお湯で快適に用便後の手洗いを行いたいのだが、この熱湯のせいで非常に難易度が上がっている。

 うまく調整できないまま熱湯に触れてしまったときの「熱っ」というリアクションを見られるのが妙に恥ずかしいので、冷たい水のまま手を洗ったりしてしまうのが悔しい。
 
一発でちょうどいいぬるま湯が出てくる角度を見つける旅ははじまったばかりだ。
 
 
 
 文章のアイデアは日常のいたるところに潜んでいる。これは写真にも似ているかもしれない。

 結局ぼくらが新しいことをはじめて、それをどこか人目につく場所に置きたいと考えたときそれがなかなか継続できなかったりするのは、どうしてもよく見られたい、すぐれた才能があると思われたいといったような虚栄心が邪魔をして質の低い作品を世に出すわけにはいかないといった自縄自縛に陥っているためである。

 そうしたよく見られたいという気持ちを一度捨てて軽い文章をとにかくたくさん書いてみる、といった訓練を重ねる必要がある。他人どころか、自分が読んでもくだらないなと思うような文章をとりあえず人目につく場所に置いてみるのだ。
 そうすると、不思議なことにひとりくらいは面白いと言ってくれる人が現れたりする。一度では誰からも反応がなくても、飽き足らずとにかく思考を垂れ流すかのように文章を生み出していると「あの文章いつも楽しく読んでるよ」などといった声が届いたりする。

 これは自分の見ている世界と他人の見ている世界が驚くほどことなるといったことの証明でもある。つまり、自分ではくだらない当たり前と思っていたこともいやはや興味深いといって見えるひともあるのだ。

 具体的なエピソードトークよりも、自分が何かについてぼんやり考えていることなどをことばにしたときにそうした傾向は強まるように思う。

 こうして文章にしてもいいと思えることがらのハードルを下げたうえで、多くの文章を書いて見せてと繰り返すうちに意外なほど表現の力というのは高まってくるのだ。
 
 
 
 あまりされたくない質問というのが誰しもあると思う。

 プライペートなことや、デリケートな話題のように一般的に訊き方やタイミングに気をつけるべき質問はもちろんだが、単純に個人的に答えに詰まるような質問もあるだろう。
 
   この数年で比較的よく質問されるにもかかわらず、いまだに的確な返答を見出せずにいるのが「なんで『みしぇる』っていうんですか?」という質問だ。

 本当に困る。なにが困るって、ただ真実を答えるとまっまくもって面白くないのだ。

 この質問をしてくる人たちが、どういった回答を期待しているのかはいまだに判然としないが、絶対にスベるとわかっている答えを伝えねばならない気持ちがわかるだろうか。

 最近は諦めて本当のことを伝えているが、一時期はどうにか面白い回答ができないか試行錯誤していたこともある。たとえば、「ミドルネームなんです」とか「おじいちゃんがベラルーシ人で、東方正教会の洗礼名をもらったんですよ」とか言っていたのだが、ぼくの人柄や見た目が悪いのか中途半端に信じられてしまい、余計にスベりかねないということを悟った。

 というわけで、この文章をご覧のみなさまにおかれましては、ぼくの名前についての疑問をゆめゆめ持たれないようよろしくお願い申し上げます。
 本名なので。 

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