演歌と紅白
2023年も紅白歌合戦を楽しんだ。ここ30年くらい、一回だけディズニーランドで年を越したのをのぞいて、大みそかの夜は紅白を見て過ごしている。
2年前のnoteで、私はこんなことを書いた。
紅白歌合戦における流行歌の多文化共生は、年々クオリティが上がっている。2023年の紅白もすばらしい共生ぶりだった。ジャニーズが急にいなくなったけど、しっかりとバランスを保っていた。
そんな中で、演歌(と歌謡曲系)は少し元気がなかった気がする。演歌はもっと存在感を見せつけられたのではないか。それが残念だ。
天童よしみ「道頓堀人情」、水森かおり「日向岬」、坂本冬美「夜桜お七」、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、純烈「だってめぐり逢えたんだ」、山内惠介「恋する街角」、三山ひろし「どんこ坂」
元気がないように見える理由を自分なりに考えてみた。
第1に、新曲よりも旧曲のほうが多い。2023年に発売されたのは水森、純烈、三山の3曲で、天童、坂本、石川、山内が披露したのは過去のヒット曲だ。
旧曲が混ざるのは多様性があっていいのだが、あくまで新曲優位じゃないとジャンルの勢いを感じられない。
第2に、メンバーや楽曲が固定化している。今回の7組は全員、2021年も2022年も出演した。抜けたのは活動休止した氷川きよしだけで、新規参入はここ数年いない。はなはだしい硬直ぶりだ。
楽曲も変化に乏しい。「夜桜お七」は紅白9回目、「津軽海峡・冬景色」は13回目の披露だ。
正直、もういいんじゃないか。
何十年も同じ曲を歌い続けて、「待ってました!」と声がかかるのは演歌の醍醐味で、そこに美学があるのは分かる。でもこの2曲は、マンネリがプラスに作用しているとは思えず、もうワクワク感に包まれていない。
紅白に演歌枠のようなものがあるとして、その使い方はこれで正解なのだろうか。業界の秩序とか、事務所の力関係とか、いろいろあるのだろうが、紅白という晴れ舞台で、2023年の演歌の最新形をもっと表現できないものか。
偉そうなことを言えるほど私は詳しくないが、たとえば演歌なら市川由紀乃「花わずらい」とか、歌謡曲系なら新浜レオン「捕まえて、今夜。」とか、私でも知っている直近のヒット曲があるのに、そういうのを日本国民にアピールしなくていいのか。
あるいは、強烈な個性の真田ナオキが、いつまでも世間に見つからなくていいのか。
新人王・田中あいみを業界ぐるみで育てなくていいのか。
ドミノとかけん玉とか、お笑い芸人とのコラボとか、K-POPアーティストのダンスサポートとか、紅白ならではのギミックも楽しいんだけど、そんなものに頼らなくても、曲と歌の良さだけで勝負できるのが演歌なのに。
紅白は、演歌ファン以外が演歌に注目するほとんど唯一の機会なのだから、もっと業界全体で戦略的に活用すべきではないか。私が言うまでもなく、そんなことはさんざん議論されているのだろう。でも、その結果がこれだとすればちょっと違うんじゃないだろうか。
演歌のサステナビリティを考えるなら、若手を積極的に起用して、メンツを固定化しないほうがいいはず。紅白の多文化共生に寄与する意味でも、私はそれが正解だと思う。
もちろん人選のイニシアティブはNHK側にある。ただ、NHK側が演歌をあまり愛してないというか、信用してないのかな。おざなりとまでは言わないけれど、熟慮した結果がそれなのかと首をかしげる。純烈がNHKプラスの宣伝に利用されたのも、なんだかなあと思ったし。
演歌も日々進化しているし、とりわけ男性歌手はアイドル的な需要があって、アツい現場だと聞いている。演歌や歌謡曲はけっして衰退しているわけではない。
そのことを世間にアピールしたいなら、旧曲を使ってヘンなコラボをするんじゃなくて、曲のよさや歌のうまさをストレートに伝えればよいではないか。
いまのやり方では、「やっぱり演歌がいちばん歌がうまいね」ってあんまりならないと思う。それは演歌にとってアイデンティティの危機だ。まふまふさんやAdoさんがレベチの歌唱力を見せつけて評判をとったのを横目で見ながら、演歌勢は何を思ったのだろう。
レベチの歌唱力といえば、本家は演歌である。そして何より、「歌ごころ」こそが演歌の命。余計なギミックなしで、いちばん旬の歌手が、いちばん旬の歌をうたって、お茶の間に本物の「歌ごころ」を届けないと。
はたして今の紅白はそうなっているのか。
演歌ファンのみなさんはどう感じているのだろう。演歌ファンにとって現状がベストであれば、外野の私がどうこういう話ではないのだけれど。