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訃報と向きあう

昭和の文化に興味をもち、趣味として楽しむ人にとって、訃報は避けて通れないものだ。最近も、谷村新司財津一郎の訃報が届き、わたしはその死を悼(いた)んだ。

子どものころから有名人の訃報は切れ目なく届いていた。片岡千恵蔵が亡くなったとか、江利チエミが亡くなったとか、そういうのは小学生から新聞で読んでいた。年末のニュース特番で、その年に亡くなった人びとのありし日の映像が流れると、わたしは食い入るように画面を見つめたものだ。

当時は、悲しいという感情ではなかったと思う。追悼が帯びる、独特の浮遊感に惹きつけられていた。別れの知らせが素直に悲しく、心にしみるようになったのは、40歳を過ぎてからだろう。その人がいきいきとして、自分自身をぞんぶんに表現していたころを知っていると、やはりその死は重く感じる。

リアルタイムで知っている必要はない。半世紀前に活躍した女優や歌手に、いま出会ってファンになることもある。しかしこのパターンは、ファンになった矢先にその人が死んでしまうリスクがあり、ダメージが大きい。1960年代の東宝コメディ映画を片っ端から観ていた最中に、マドンナ役で何度も出演していた藤山陽子の訃報を聞いたときは、かなりへこんでしまった。

最近、悲しかった訃報

昭和文化史を追いかけている性質上、定期的に訃報一覧のようなものをチェックしている。最近、一覧に名前をみつけて悲しかったのは・・・

ヨネヤマ・ママコ(1935年生、2023年9月20日逝去)
パントマイムの達人。ヨネヤマといえば、NHKのクイズ番組
「ジェスチャー」の数少ない映像が現存する回で、高難度のジェスチャーゲームをあざやかに成功させる姿が印象ぶかい。初期のテレビCMにも出演していて、三菱製紙(1960)や山之内製薬(1961)の映像が残っている。

遠山一(1930年生まれ、2023年9月22日逝去)
昭和を代表する男性コーラスグループ・ダークダックスの愛称「ゾウさん」。パクさん、ゲタさん、マンガさんはすでに鬼籍に入(い)り、ゾウさんが最後の存命者だった。
ダークダックスといえば数々の名作CMソング。わたしの一番のおすすめは、三菱テレビ「高雄」のコマソン。

村田英憲(1928年生、2023年9月30日逝去)
フジテレビの長寿アニメ「サザエさん」を手掛けるアニメ・プロダクション「エイケン」の初代社長。村田はもともと、CM制作の最大手だったTCJのメンバーで、テレビアニメ制作に特化した「TCJ動画センター」が分社化するさい、社長になった。その後、自らの名前をとって社名を「エイケン」とする。
わたしにとって、TCJの初期テレビCM研究はライフワークなので(下記書籍を参照)、その中心人物のひとりが亡くなられたのはショックだった。ご冥福をお祈りします。

長生きしてほしい方々

いくつもの訃報が届く一方で、90歳を超えてご存命の方や、元気にご活躍の方もたくさんいる。有名な例では黒柳徹子(1933-)、草笛光子(1933-)、山田洋次(1931-)、高木ブー(1933)、渡邉恒雄(1926-)、村山富市(1924-)、大村崑(1931-)、渡辺貞夫(1933-)などなど。こないだ歌番組に生出演した菅原洋一(1933-)や、BSで見かけた曽根史郎(1930-)の健在ぶりにも驚いた。

お見かけしないけど気になる人は、楠トシエ(1928-)、三浦洸一(1928-)、クレージーキャッツ最後の存命者・犬塚弘(1929-)、「にんじんくらぶ」の三人、岸恵子(1932-)、有馬稲子(1932-)、久我美子(1931-)、仲代達矢(1932-)、ナベプロ名誉会長の渡邊美佐(1928-)など。

お会いしたことのある人では、日本のCM史研究の基礎をつくった山川浩二さん(1927-)はお元気だろうか。電通のCM制作者で、三木鶏郎との関係がふかい人物である。5年ほど前に泉麻人さんが著書『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』の執筆で取材したときは、しっかりしてらしたという。

無着成恭も長命だったが、今年の7月に96歳で亡くなった。わたしの世代だと、『山びこ学校』の著者というよりは、TBSラジオ「こども電話相談室」で、どんな質問にも答える不思議なおじさんの印象が強い。

影絵作家の藤城清治(1924-)は、99歳にしてYouTubeチャンネルを持っている。というか、まだ影絵を制作している。

人生100年時代というが、たしかに、喫煙率と飲酒量が下がり、医学が治療でも予防でも進歩して、ストレスの少ない働き方が定着すれば、おのずと寿命は延びていくだろう。もっとも、国力が下がり、貧困が蔓延すると話は変わってくるかもしれないが。

この記事を書き終わろうとしたとき、もんたよしのりの訃報が届いた。これからもたくさんの人びとを見送りつづけて、わたしは年をとっていくのだろう。自分自身が見送られるその日まで。

子どものいないわたしが奥さんより長生きしたら、だれが見送ってくれるのかは知らない。