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Amazonの星3.2

わたしのデビュー作は、2018年に出した『昭和ノスタルジー解体』(晶文社)。Amazonの星は3.2です。

低いです。こんな星がついてしまったらもう買ってくれる人はいないんじゃないかと、半ばあきらめています。

点数が低い原因は、星1つをつけた人がいるから(ヘッダ画像を参照)。

たしかにクセの強い本なので、賛否両論あるのはわかります。星5つの人がいれば、星1つの人もいる。そういう本です。

旧Twitterでは、輪島裕介さんや柴崎祐二さんなど、音楽研究者が何人もよい評価をしてくださいました。一方で、『図書新聞』に掲載された立命館大学・日高勝之さんの書評のように、ほぼ全否定の人もいました。

こんなふうに評価が大きく分かれる本は、どうしても星の平均が下がってしまいます。賛否両論の問題作が書けるなんて我ながらすばらしい!なんて、のんきに構えていたら、いつの間にかAmazonがこんなことになっていた。

気にしてはいません。そんなことより、本書の登場人物の方々から、直接ねぎらいの言葉をいただいたからです。

文化屋雑貨店の長谷川義太郎さん、コラムニストの泉麻人さん、アーティストの太田螢一さんが声をかけて下さいました。アートディレクターの故・信藤三雄さんは、個展の物販に本書をならべ、該当ページに「信藤三雄論」と書いたしおりまで挟んでくださっていた。

本の中で論じたご本人たちから、直接リアクションをもらったんだ。これに勝る喜びがあるだろうか。誰に酷評されようが、ボロカス言われようが平気。そんなふうに思ったし、今でもそう思っています。

書評についても、日高さん以外はおおむね好意的で、日経も、毎日も、永江朗さんも、近藤正高さんも、故・宮沢章夫さんも(ややフラットだったけど)、一定の評価をしてくれた。心から書いてよかったと思うし、書いた内容にも自信があります。

昭和ノスタルジーにサブカル史という補助線を引くことで、「ALWAYS 三丁目の夕日」的な昭和30年代ノスタルジーの分析に閉じていた議論をこじあけ、ノスタルジーにもレトロにも、昭和にも平成にも応用できる、汎用性の高い統一理論の構築に成功したと考えているし、書評では、まさにその点を評価してもらったと受け止めています。

でもそんなこと、Amazonを見る人たちは知るよしもない。彼らにとって、この本は星3.2の本。それ以上でも以下でもない。それが歯がゆい。

わたしはひとつ納得のいかないことがあって、星4つの人はちゃんとレビューを書いているのに、星1つの人は星だけつけてレビューを書いていない。Amazonはレビューを書かず、星だけをつけられるのです。

人が人生をかけて世に問うたものに最低の評価をつけ、その後の売り上げにまで(たぶん)影響を与えておきながら、安全な場所に隠れているとはどういう了見か。それなりの責任を背負うべきではないのか。これでは星のつけ逃げです。

星はプライム会員なら誰でもつけられるわけではなく、Amazonでその本を購入した人に与えられる権利です。だから、どんな星をつけられたとしても、まずは買ってくださってありがとうございます。それはわきまえています。

でも、お客様に何をされても黙って受け入れるほど、わたしも素直ではありません。

どんなに駄作だと思っても、金返せとお怒りでも、星だけつけるのはやめてほしい。星をつけるなら、なぜその星の数にしたのか分かるレビューを付してほしい。

とりわけ、評価者の総数が10人前後のロングテールものは、ひとつの評価がAmazon上での本の見かけを大きく左右します。ひとりの気まぐれで印象が悪くなることもあるし、仕込みのサクラで好著に見せかけるのも簡単です。

なぜそんなに星のことでとやかく言うかというと、星の数でなんとなく本を格付けしている閲覧者が、おそらくたくさんいるから。星の上げ下げはていねいに、慎重にやっていただきたい。

レビューの執筆を義務づけると、星をつける人が少なくなってしまうのではないかという懸念もあるでしょう。であれば、読書メーターやブクログを見ればいいんです。私の本のレビューは、Amazonよりも読書メーターのほうがはるかに充実しています。

なかには辛辣な批評もありますが、何が気に入らないのかをちゃんと説明してくれているから、ぜんぜん卑怯ではない。チクショーと思いながらも励みになります。

のっぺらぼうに無言で否定されるだけでは、何もいいことはない。ただ悲しいだけなのです。

いま読書メーターを読み直したら、「途中で読む気がうせた」と書いていたレビューがなくなっていた。アカウントごと消えたのかな。残念、あれをみなさんに読んでほしかったのに。

たしか、サブカルを好きなだけ享受できた都市郊外育ちの、独特の鼻につく感じがイヤ、みたいな批判だったと思います。なるほどその角度からの批判があるのかと、勉強になりました。もっとも、わたしはCDショップ以外に文化的な場所にほぼ出入りしていなかったので、サブカルを好きなだけ享受していたわけではないのだけれど。