SEIKO

思いがあふれた時だけ、書いています。

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向田さんの「言の葉」

向田さんに会いたい「夕暮時というのが嫌いだった。昼間の虚勢と夜の居直りのちょうどまん中で、妙に人を弱気にさせる。ふっと、本当のことを言いそうで腹が立ってくる」(『冬の運動会』)  これは、南青山で開催された、向田邦子没後40周年特別イベント「いま、風が吹いている」で、私が拾い上げた向田さんの「言の葉」だ。  向田さんが亡くなって40年が経つ。妹の向田和子さんが「最後の打上花火」とおっしゃったように、和子さんが直接手がける「最後」の向田邦子展になるかもしれない。 「向田さ

    • あるエッセイにみる「匂い」と「香り」の使い分けについての考察

      多様な類義語 日本語には、意味が似た言葉「類義語」が山ほどある。普段、何気なく使っているが、いざ意味の違いを問われると「?」となり、急いでググることは日常茶飯事である。 たとえば「きれい」と「美しい」、「怒る」と「叱る」、「思う」と「想う」・・などあげればきりがない。特に、書き言葉として使うときは、どの言葉を選ぶかで読み手に伝わる意味や印象が変わってしまうおそれがあるため、気を付けなければいけない。 『山とあめ玉と絵具箱』(川原真由美)に見る「匂い」と「香り」 最近読ん

      • 私と文具1 シャープペンシル

        「すてる」 どうしても捨てられないシャープペンシル(以下シャーペン)がある。 記憶をたどれば、おそらく学生時代から使っている(持っている)100円のシャーペンである。 きらきらした装飾もない、少し細身で深緑色の地味なシャーペンである。 筆入れの中にしまうと、ボールペンや蛍光ペンに紛れて、あっという間にその存在感を失うシャーペンである。 芯を入れるキャップを開けると、付属の消しゴムは当然なく、のぞき込めば深い暗闇が広がる。上下に振ると暗闇でかすかに芯が躍る音がする。 な

        • 星空の旅

          カムチャッカの若者が きりんの夢を見ているとき メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする この地球で いつもどこかで朝がはじまっている    ぼくらは朝をリレーするのだ 経度から経度へと そうしていわば交換で地球を守る 眠る前のひととき耳をすますと どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ      (「朝のリ

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        向田さんの「言の葉」

          100年、読み継がれる本に

          なぜ、修復を?本の修復を学んでいる。 「本の修復」と聞いて、「いい“趣味”ですね」という人もいれば、「修復って?」と首を傾げる人もいる。 そして、その後きまって「なぜ修復を?」と聞かれ、私は答えあぐねてしまう。 まだ修復を学び始めたばかりで、教室で修復中の本の完成は、もう少し先だ。 1冊も修復を完成させていない私が、「本の修復」について語れることなど何もない。 しかし「なぜ本の修復をしたいのか」という問いについて、答えあぐねた自分自身の整理のために、修復を学び始めて感じたこ

          100年、読み継がれる本に

          一滴の雨水として

          雨が降っている。 スッと軽く息を吸いながら、思い出すあの不安感。私は幼い頃から、ふとした瞬間、特定の時間、特定の場所関係なく、不意に訪れる「得体の知れない不安」を感じてきた。 「我々は広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ」(『猫を棄てる』P96) 私に「父」の記憶はない。私が幼稚園の頃に自死した「父」は私に何一つ残さなかった。 思い出も、言葉も、笑顔も、何一つ。記憶を自ら消したのか、意図的に消されたのか、今と

          一滴の雨水として