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100年、読み継がれる本に


なぜ、修復を?

本の修復を学んでいる。
「本の修復」と聞いて、「いい“趣味”ですね」という人もいれば、「修復って?」と首を傾げる人もいる。
そして、その後きまって「なぜ修復を?」と聞かれ、私は答えあぐねてしまう。

まだ修復を学び始めたばかりで、教室で修復中の本の完成は、もう少し先だ。
1冊も修復を完成させていない私が、「本の修復」について語れることなど何もない。
しかし「なぜ本の修復をしたいのか」という問いについて、答えあぐねた自分自身の整理のために、修復を学び始めて感じたこと、考えたをことを少し書き留めておこうと思う。


本をつくること、直すこと

本がある場所が好きだ。
教員だったころは司書教諭として図書室の担当をしていたし、地元の高校で学校司書として働いたこともある。

現在は、本のある環境から離れてしまったが、昨年、同僚に誘われて「製本教室」に参加した。
製本のために必要なものはすでに揃っていたので、二時間ほどで文庫本サイズの小さな本が出来上がった。

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表紙に使う布や花布(はなぎれ:背表紙の天地にある装飾)、しおり紐の色を選び、自分だけの、世界にたった一冊の本を作る作業は、とても楽しかった。
しかし、出来上がった自分だけの本を目の前にして、頭に浮かんだのは
もしかしたら、本を直せるかもしれない、ということだった。製本教室で本を形成するいくつかの「部分」を垣間見たせいかもしれない。
自分だけの新しい本を見ながら、
「本を直したい」
そう思った。


本の修復の仕方を教えてください

現在の職場には、来館者が自由に利用できる、カフェに併設された小さなライブラリーがある。
ライブラリーといっても、毎年新しい本を入れる予算がつくわけではないから、本はどれも古くて、傷みが激しい。
しかし、経年劣化の傷みを除けば、たくさんの人に手に取ってもらった証しと考えられる、幸せな本たちだった。

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幸せな本ではあるけれど、これら傷んだ本を手に取りながら「どうしたものか」と考えあぐねていた。
本は備品ではなく、消耗品。
図書館で働いているときは、役目を終えた本は積極的に新しい本と入れ替えていた。
しかし、今はそうはいかない。
図書館とは違い、限りある本を簡単に処分することはできなかった。
「この本、もう一回読めるようにしたいな」そう思い始めた。


製本を経験してから「本の修復」への気持ちが大きくなり、1ヶ月後、教室でお世話になった村上亜沙美さん(#村上製本)に思い切ってメールした。
「本の修復の仕方を教えていただけませんか」

ブックデザイナー、製本家である村上さんのInstagramに、本の修復の様子が紹介されている。
それは、洪水被害で水没してしまった本と写真集の修復を手掛けた記録だ。
村上さんに了解を得て、Instagramの記録を引用させていただく。

水没した本を直すのは初めてで、どんなふうに直そうかと考えながら本を触ったりページをめくったりしていると、水没した様子が目に浮かんできた。

村上さんの、本を修復する過程に惹きつけられた。
裏表紙、背表紙、見返し、寒冷紗(本の背固め用の粗く織られた布)、本文(ほんもん)を丁寧に一つずつ解体していく。

地券紙についた皺を見て、たくさん読まれていたんだな、と想像する。

(地券紙・・製本時の表紙用の芯材。)

本の状態を見ながら、村上さんはその本が元気だった頃の様子を想像していた。
「書医」
何かの小説で読んだそんな言葉を思い出した。


本の声が聞こえませんか?

本の修復教室初日。
私は職場のライブラリーから修復する2冊の本を携えて、村上さんのもとを訪れた。

村上さんの教室、作業場は、ガラス越しに製本作業の様子がよく見える、浜松の街角にある。

大きな作業台を挟んで村上さんと向かい合って座り、修復教室が始まった。

持参した本は海水魚の図鑑と小さな植物図鑑。

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それぞれ保護用のブッカーが貼られ、背表紙や本文に破れがあった。植物図鑑はとても古いもので、本文は長年の湿気を吸い込んで波打っていた。
本の状態を調べたあと、解体作業を行った。

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長年、本に携わる仕事を経験しながら、本を解体したのは初めてだった。
ブッカーをはがしていくと、表紙の色が剥がれ、紙を傷つけてしまう。
ブッカーのおかげで、確かに大きな破損から本を守ってきたのかもしれないが、まるで皮膚を剥ぐような作業に少し心が痛んだ。
その時、村上さんが言った。
「本の声が聞こえませんか?」

本の声。
これまで、本の声など聞いたことも、聞こうともしなかったことを思った。
図書館にはたくさんの傷んだ本があったのに。
ブッカーをはがし終えた後、本が再び呼吸を始めたような気がしたのは、気のせいだろうか。
続いて見返し、表紙、背表紙をはずしていく。解体後、村上さんが状態を確認し、
「植物図鑑の本文はそのままにして、魚の本は綴じ直しをしましょう」
と見立て、続けてこう言った。
「この先、100年読み継がれる本にしてあげましょう」


100年読み継がれる本に

100年。考えたこともなかった。
本は消耗品だと思っていたから。
そして、ライブラリーから取り出した2冊の本は、傷みが激しいから修復の「練習用」にと適当に選んだ本だった。
さして思い入れもないこれらの本を直したところで、せいぜい数年でまた傷んでくるだろう。そもそも、これらの本が100年も読み継がれる「価値」があるのか・・。

「価値」という言葉が頭に浮かんだところで、立ち止まった。本の「価値」って何だろう。
高額の本?
もう手に入らない希少価値のある本?
本に書かれた情報そのものの価値?
どう考えても、これらの本にそのような「価値」はない。
それは村上さんが見ても分かるはずだ。
しかし、村上さんは初見の2冊の本を愛おしそうに眺めていた。
破損個所を確認するためにページをめくりながら、
「ついつい、きれいな魚に目が留まって、手まで止まってしまいますね」
「この植物のイラスト、素敵」
そして、植物図鑑のページの上部に、断裁されずに残っていた折れた部分を広げると、
「かわいいですね」
と写真を撮った。

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ああ、そうか。
本を修復する理由は、それが高額で、希少価値のある本だからではない。
ただ、今ここにある本を「その本」として残すためなのだ。


「その本」のそれぞれの価値

捨てられない本は誰にでもある。
私の部屋にも、何度かの引っ越しでも篩(ふるい)にかけられずに、ずっと手元に置き続けている本が並んでいる。
遠い異国の書店で買い求めた写真集。
学生時代、神保町の古書店で手に取った本。
自分の背骨のような言葉を紡いだ詩集。
なぜ、「その本」を手放せないのか。
その理由は人それぞれであり、本一冊一冊違うだろう。
そして、「その本」は何度も読み返してぼろぼろになっているかもしれないし、あんなに美しかった表紙の色も褪せてしまっているかもしれない。
しかし、もし今「その本」が新しく手に入るとしても、決して買い替えることはしないはずだ。

「その本」でなければならない。

それが「その本」の持つ意味、あるいは価値だからだ。
村上さんの「100年」という言葉。
それは高額で希少価値のある本を元通りに直し、さらに強くして100年破損しない本にするということではない。「願い」なのだ。
誰かにとって何かにとって「価値」ある本を、「その本」の良さを殺さぬように修復し、また誰かにとって何かにとっての「その本」になり、100年読み継がれていくことを願う、そういう意味の言葉なのではないだろうか。


“綴じ直す”こと

修復教室に通い始めて、私は本を「綴じ直す」作業に夢中になった。
本は「折丁」という何ページかの束を綴じたものである。
16ページで一丁、あるいは4の倍数ページが基本らしく、何冊か解体してみると1丁のページ数は紙の厚さや種類によって変わるようだ。
この丁を一丁ずつ麻糸で綴じていく。
私が教えて頂いたのは「ケトルステッチ」という絡め綴じだ。
何百ページもある本を綴じ直す作業は、なかなか骨が折れる。麻糸を蝋引きして、糸の強度を上げ、真っすぐにする。
丁に針で糸を通すとき、時折聞こえるキュッキュッという音を聞きながら、バラバラになった本が少しずつ元の姿に戻っていく。
この本が読まれたであろう時間が、ページと共に再び静かに重ねられていく瞬間だ。

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「時」を紡ぐ本、「時」をつなぐ修復

電子書籍の手軽さは利用してみて理解しているが、やはり紙の本が好きだ。
そして、書店に並ぶ本より、図書館にある本が好きだ。
書店にある本はいつも目を覚ましていて、賑やかにおしゃべりをしている感じ。
一方、図書館では本が眠っていて、書棚から本を手に取る時、ようやく本は目を覚ます。
毎日同じ時間に目覚める本もあれば、一週間に一度、あるいは一年に一度、あるいは何年も目覚めることなく眠り続けている本もあるだろう。
図書館の本たちは、書店に並ぶ新刊の本にはない「時間」を内包している。
つまり、本には「時間」が流れている。
本を手に取ることは、その本に流れる「時間」を共有することにほかならない。
私たちにとって「時間」は永遠ではなく、限りあるものの象徴だ。
しかし、本を手に取りページをめくることで、私たちが存在していない過去の「時間」を共有することができ、さらに私たちがかつて共有した「時間」を、次の時代の誰かが共有できる。
「本」は、中に記された情報だけを伝えるのではなく、人から人へ、時代から時代へ「時を紡ぐ」ものであり、本の修復は、1日でも長く時間を共有する手助けをするものなのだと思う。

村上さんの「100年」という言葉は、読み継がれていくことを願う言葉であるとともに、「時」を紡ぐ「紙の本」への慈しみの言葉のようにも思えてならない。
「紙の本」は永遠ではない。
いずれ役目を終えるその日まで、刻み続ける「時」をつなぐ。
それがつまり「修復」ということではないだろうか。


終わりに

『ぷらべん 88歳の星空案内人 河原郁夫』(冨岡一成著)という本を読んだ。

河原郁夫さんは日本最高齢のプラネタリウム解説員で、これは河原さんの人生を紹介した本である。
その中の一節に私は目を留めた。

河原先生は『星と宇宙』という本を見せてくれた。とても古い本で、あちこちが破れ、ひどく汚れている。
 この本は川に落としてしまったのです。それは空襲の中で、そのとき私はもう助からないと覚悟しました。でも幸いなことに、私は川から本を引き上げることができたのです。だから私もこうして生きていて、本も読めるし、星の話もつづけられる。

河原さんが、長くプラネタリウムに関わっていらっしゃった人生もさることながら、その人生に寄り添ってきた「その本」は、一体どんな状態なのだろうか。
それがとても気になった。
その本が刻んだ「時」を拝見できたら、と読み終えて思う。

私はまだ、修復のイロハのイにも満たない初心者だ。しかし、修復を学び始めてから、こんな風に、これまで気にも留めなかった「本」の別の一面に気持ちが動くようになったことを感じている。

もし、今また誰かに「なぜ本の修復をしたいのか?」と聞かれたら、こう答えようと思う。

「100年、読み継がれる本にするため」

表紙の破れた魚の図鑑を手に、大真面目に答える私を見て、皆いったいどんな表情をするだろうか。

(了)


※引用、あるいは写真は、村上亜沙美さんのInstagram、村上さんが修復教室の際、撮影してくださったものからお借りいたしました。ありがとうございました。

以下はブックデザイナー、製本家である村上亜沙美さんのインタビュー記事です。↓


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