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向田さんの「言の葉」

向田さんに会いたい

「夕暮時というのが嫌いだった。昼間の虚勢と夜の居直りのちょうどまん中で、妙に人を弱気にさせる。ふっと、本当のことを言いそうで腹が立ってくる」(『冬の運動会』)

 これは、南青山で開催された、向田邦子没後40周年特別イベント「いま、風が吹いている」で、私が拾い上げた向田さんの「言の葉」だ。

 向田さんが亡くなって40年が経つ。妹の向田和子さんが「最後の打上花火」とおっしゃったように、和子さんが直接手がける「最後」の向田邦子展になるかもしれない。

「向田さんに会いたい」

積年の思いが、私を会場へ向かわせた。

向田さんの「気配」

 平日だというのに、会場であるスパイラルガーデンは、向田邦子ファンであふれていた。こんな風に書くと、今の時代怒られるかもしれない。確かに人は多かったが、誰もが互いを気遣いながら、静かに向田さんと向き合っていたように思う。

 会場は向田さんの「気配」に満ちていた。直筆の原稿、万年筆、食器などの愛用品、留守番電話に録音された向田さんの声、ファンであれば誰もが知っている向田さんの部屋に飾られた藤田嗣治の猫の絵や、中川一政の書画、愛猫マミオとの写真。中でもファンにとって嬉しかったのは、向田さんが着用した洋服の数々ではないだろうか。直木賞授賞式で着用した水玉のジャケットや、原稿執筆時に着用し、勝負服と呼んでいたロング丈のシャツジャケット、黒いマントやトレンチコートが、展示ケースのガラス越しではなく、階段沿いに、まるでブティックのように並べられた演出は、おしゃれな向田さんを直に感じられる粋なものだった。

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向田さんの「言の葉」

 冒頭、私が拾い上げた向田さんの「言の葉」は、会場の吹き抜けに設置された、高さ7.5メートルの展示「風の塔」から舞い落ちてきたものだ。向田作品を朗読する小泉今日子さんの声が流れる中、滑車で天辺まで持ち上げられた「言の葉」が、時折ふわりと木の葉のように落ちてくる。風の塔の下では、向田さんの言葉を愛する人たちが、大切に「言の葉」を拾い上げていた。まるで向田さんからの贈り物を受け取るかのように。

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 学生時代から20代の一時期、私は貪るように向田さんの作品を読み漁った。向田さんの紡ぐ言葉に憧れ、自分の言葉を探していた。何か「書きたい」衝動に駆られていた頃だ。向田さんの言葉は、私にとって宝石のように美しく、いつか向田さんのような文章を書きたいと思っていた。
 だから、向田さんの文章を知った時、すでに向田さんがいないことを、どれほど残念に思っただろう。

「向田さんにお会いしたかった」

 向田さんのファンは、おそらく誰もがそう言うだろう。この言葉は、向田さん本人に会いたいという気持ちだけでなく、向田さんがこの先紡ぐはずだった「言葉」に会いたかった、そんな意味も込められているのではないだろうか。だから今回、向田さんの一番近くにいた妹の和子さんが監修した展示ならば、向田さんに、そして向田さんの「言葉」に必ず会えるはずだと思った。
 実際、私たちは、会場のそこかしこで、今も変わらず魅力的な向田さんに出会うことができたし、もう新たに紡ぎ出されるはずのない向田さんの言葉が、時を経て、再び芽吹き、成長し、新たな「風」に乗って、私たちの前に舞い落ちてきたことを実感した。「言の葉」を大切に持ち帰った人たちが、向田さんからの贈り物として、SNS上で紹介している。切り取られた向田さんの言葉の美しさ、力強さ。向田さんの「言の葉」は今、SNSという風に乗って、再び時を超え、世代を超えて、また新たな言葉を紡いでいくはずだ。

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和子さんとの出会い


 時間をかけて展示を見終えた後も、去りがたかった私は、会場の中央にあるカフェで遅い昼食をとることにした。1日限定30食の「ままや」のメニューは終了していたが、ぐるりを向田さんに囲まれて頂く昼食は、何とも言えない贅沢な時間だった。
 そして、このカフェで私は来場していた向田和子さんにお会いすることができた。しかし、和子さんがいらっしゃることに気付くまでに、しばらく時間がかかった。カフェの中央テーブルで、お茶を飲んでいたYOUさんと小泉今日子さんがいなければ、おそらく私は最後まで和子さんに気付かなかっただろう。今回の展示で、朗読を担当した小泉今日子さんは、ラフな格好でYOUさんとおしゃべりをしていた。会計を済ませた小泉さんたちが、展示を見に行くために、近くのテーブルに座っていた白髪の女性に声をかける様子を目にした時、ようやく、和子さんではないかと思いいたった。その時の胸の高鳴りは、向田さんのファンの方ならお分かりいただけると思う。声をおかけしてもいいだろうか。誰もがマスクをしている昨今、写真でお顔を存じ上げているとはいえ、人違いの失礼だけは避けたい。あれこれ逡巡しながら、飲み物を飲むためにマスクを外した横顔で、和子さんであることを確信すると、思い切って声をかけた。
「向田和子さんでいらっしゃいますか。失礼を承知で、声をおかけしました。」
すると、和子さんは
「そうです、そうです。どうも」
と優しく答えてくださった。
この方が向田和子さん。向田さんが慈しみ、信頼した末の妹さん。そして向田さん亡き後、向田さんの人生を静かに紐解いて下さった方。和子さんの優しい笑顔で力が抜けた。胸がいっぱいの私は、向田さんのファンであることを、壊れたおしゃべり人形のように繰り返し伝えた後、和子さんに尋ねた。
「和子さんは、もうお書きになりませんか」
すると和子さんは
「もうね、かくのはね、頭だけですよ」
とユーモアたっぷりにおっしゃった。
 向田邦子という人気作家を姉に持ち、その功績と人生を伝える役目をずっと担ってきた和子さん。もう向田さんについて、すべて書き尽くしたのかもしれない。
「声をかけてくださって、ありがとう。とても嬉しいですよ」
と言ってくださった。最後に握手を求めると
「ごめんなさいね。握手じゃなくて、今はこれね」
と右ひじを曲げて、ほら、と前に差し出した。ああ、そうかと、私も右ひじを曲げて、和子さんのひじにそっと近づけた。
「お元気でね」
80才を超えてなお、チャーミングでユーモアあふれる和子さんは、向田さんの作品や、和子さん自身の文章に書かれているお姿そのままだった。

「向田さんに会いたい」

決して叶うはずのない願いが、展示と和子さんとの出会いで、思いがけず叶えられたことの幸せを、今かみしめている。

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おわりに 

 向田さんは、50歳を過ぎて直木賞を受賞した。受賞作のタイトルを『思い出トランプ』とした理由を次のように話している。

「理由も全くないんです。しいて、言いますと、新幹線なんかに乗ってぼんやりと窓ガラスをこう見ておりますとね、窓ガラスに映る景色がサッサッサッサッサと、トランプを切るようだなと思ったことがあるんですね。それで、どの作品の中にも過去の一つのエピソード、過去の一枚の景色、それを重要なモチーフとして、主人公の過去という名のトランプが一枚、どこかにまぎれこんでいればいいと思ったんです。」(小説新潮2021年2月号「まちがってても素敵であればいい」より)

 向田さんのような文章を書きたいと願っていた20代から、ずいぶん時間が経ってしまった。思い返せば、「過去」という景色がトランプを切るように車窓を流れていく。人生の様々な出来事の何一つ、あがることもできず、20代にあれほど希求した自分の言葉も探し出せないまま、今日まで過ごしてしまった。

 そんな今の自分に、この日の出来事を、拙くても「書いておきたい」と思わせてくれた向田さんに、感謝している。

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