人によって常識は異なる ~マスクを通じて学ぶ~

常識を疑え と時々目や耳にする。
新しいビジネスに打ち込み、成功した人が発することが多いだろうか。

常識、という言葉。手元にある国語辞典ではこう定義されている。
「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知恵や思慮分別」

「健全な」の一言が引っかかるが、後半に出てくる「普通な」という範囲が時代や人によって異なる。だから、その「普通な」と規定されている範囲を破ったらどうか、ということなのかな、と、冒頭の言葉を理解するようにしている。

日本の常識は、世界で通用しない(逆もまた然り)と言われるし、他人の常識が、自分の常識とは違うな、などと、ニュースを観たり、身近に接する出来事から感じるものだ。

先ごろ、それを強く実感する出来事があった。

週末、散髪してもらおうと、理容店に出かけた。
開店数分前で、何人か店の前に並んでおり、私も列に加わった。
COVID対策でのマスクが「各自の判断」となっていたこともあるし、待つ場所が屋外だったし、言葉を発することもなかったので、マスクを外していた。

列に加わった次の瞬間から、その行列に変化が生じた。
私の直前に並んでいた人物が、手に持っていたトートバッグを私に向けてかざし、壁を作ったのだ。
2分くらい経過したところから、その壁を作ったトートバッグを、私に向かってあおぎだした。
明らかに、マスクを着用していない私への抗議、そして、私の方からの空気を自分に寄せ付けない、というその人自身の防衛だ。
こちらも、何らかのアクションを起こそうかと思った(正直、腹が立つどころではない憤りを覚えていた)が、何をやっても相容れないからエネルギーと時間の無駄だな、と思い、理容店入店までの間をやり過ごした。

「マスクは自己判断」とうたわれていながら、花粉や黄砂の関係もあり、ほとんどの方がマスクを外していない、という現状。
更に、「自己判断とはいうけど、他人との距離が接近するところではマスクを着用すべき」という意見も多くあるだろう。
しかし、マスクを外して行列に並ぶという、その人の「常識」から外れるからと、持ってたバッグで露骨に壁造ったりあおいだりするのはやりすぎではないだろうか。

周りの目を気にしてのマスク着用、しばらくの間続くんだろうな、と思った週末であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?